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つあるとはいえ、いくたの複雑な問題を抱えている。上述の円卓会議である発言者は、連邦の法律に違反する構成主体の法律によって、沿海(プリモーリエ)地方では、市民の選挙した市長が助役(副市長)とともに庁舎の前の広場に放り出され(これは94年3月の事件)(2)、ウラン・ウデでは選ばれた市長が半年で解任された事例をあげ、彼らを選んだ市民によるのではなく連邦構成主体の国家権力によってその職を奪われており、しかもこうした例が少なくないと嘆いている。連邦構造の問題や地方自治の形成途上の困難さなどを考慮するとしても、軽視しえない問題であることには違いない。連邦構造のあり方についても、チェチニャ(チェチェン)の地位の確定がある種のモラトリアムのもとにあるように、連邦条約から6年、新憲法制定から4年余りを経過した今も問題を残している。

そこで本稿では、93年のロシア憲法制定以降における憲法裁判所の活動のうち、ロシアの地方制度と地方自治に関連してなされた判決等の事例を紹介し、現段階における問題の所在の一端を紹介してみようと思う。分権とか自治は、本来的に、中央レベルにおける統一的包括的な権力的契機とは緊張関係にある。地方における連邦中央にたいする分節的あるいは自律的な傾向は、あるときは「主権」宣言となったり、あるときは独自の法制度の樹立の志向となったりする。憲法や地方自治法の実現に関する制度的保障のひとつとして、憲法秩序の実現・維持をその主要な任務のひとつとする憲法裁判所が、ロシアにおける立憲主義の実現とのかかわりを意識しながら、連邦制、地方分権、地方自治といった統一的で集権的な契機を内包する立憲主義とは緊張関係にあるはずの諸問題にどう対処しようとしているのかを知ることは、現代ロシアを理解するうえでの重要な鍵ともなるはずである。

 

2 ロシアの憲法裁判所と地方制度・地方自治問題

 

(1) 憲法裁判所とその位置づけ・機能

 

具体的な憲法裁判の事例を検討するにあたって、ロシアの憲法裁判所そのものについて、簡単に紹介しておく必要があろう。

周知のように、ソビエト時代のロシア(ソ連も)は、権力統合主義をとり、人民の選挙する代表機関である最高会議を全権機関とし、司法権による憲法コントロールは原理上採用されていなかった。こうした構造のうえに、指導政党である共産党の支配がかぶさって、「権力をしばる」法とか、国家や法律から「自由」であるべき人権(とりわけ、市民的政治的自由)といった観念は希薄化ないし無視されてきたのである。

ペレストロイカや脱社会主義の過程で西欧型立憲国家がめざされた途上で、ロシアには1991年に憲法裁判所が創設された。東中欧諸国では89年を前後して憲法

 

 

 

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