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1995年地方自治法はさらに大きな問題を抱えている。1993年憲法は、「州・民族共和国までは国家、それ以下は地方自治体」という形で、国家機構と地方自治体を水平的に分割し、「地方自治体の諸機関は、法律に定めるところにより、それに必要な物質的・財政的資源を供給されながら、一定の国家的権能を担うことができる。委譲された国家的権能の執行においては、地方自治体は国家の統制を受ける」(第131条2項)と定めた。これだけならば、大陸型の地方制度が採用されたかのようである。しかしながら、憲法も地方自治法も、この「統制」と「資源供給」のあり方を具体化しなかった。結果として、大陸型でもアングロサクソン型でもない、国家機能と自治体機能がバラバラの統治システムが生まれてしまったのである。

このような状況下では、各州行政府が、それぞれの判断に基づいて、この法律上の矛盾を「解決」し始めたのも当然である。そうした試みの中では、スヴェルドロフスク州で採用された方策が最もラディカルなものである。同州においては、州は6つの行政管区に分割され、それぞれの行政管区は、州知事によって任命された長官の下で、憲法第71条、第72条に列挙された膨大な量の国家機能を担うとされている。この機構改革が実行された場合、住民の選挙によって成り立っている市・「地区」自治体には、上下水道、域内交通などに限定されたミゼラブルな権能しか残らない。しかしながら、同州行政府総務局長は、「教員への給与を住宅建設に回してしまった地方自治体全部といちいち裁判で事を決せよとでも言うのか」と、正当な意見を述べている。

以上の事情は、地方自治体の自主決定の物神崇拝化、つまり国と自治体の関係、立法権と執行権の関係を国法によって規制しようとしないことは、地方自治そのものにとって有害となるという、本節冒頭で述べた見解を不幸にも確証している。それでは、このような単純な事情を、法学者をはじめとするロシアのインテリはなぜ理解できないのだろうか。第1に、ロシアの法学者が政治学、社会学、行政学、歴史学、外国研究などを重視していないことが挙げられる。第2に、「国家=悪、自治=善」というロシア・インテリゲンツィヤに伝統的な心情が、ここでも作用している。第3に、ソヴィエト時代の経験の研究が不備なために、ソヴィエト制度から遠ければ遠いほど民主的な制度であるとみなされる傾向がある。ソヴィエトは全国画一主義だったから憲章主義の方がよい、ソヴィエトにおいて執行機関は間接投票だったから首長直接公選の方がよい、といった論法である。これと関連しているが、ロシアのインテリの多くは、滅びて久しい全体主義の亡霊がいまも地方自治の発達を妨げているかのような議論を展開しており、こんにち地方自治を阻害している最大の要因としての行政府党の上意下達構造を見落としている。

ところで、1995年地方自治法検討過程における最大の論争点は、地方自治の単位を考えるにあたって、既存の行政区画(郡、市、町、村)から出発するのか、既存の行政区画からは独立した抽象的な「地域社会(メストノエ・サオプシチェストヴォ)」の概念から出発する

 

 

 

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