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りぎりに憲章草案を発表して、住民の批判を封じてしまった場合もある。そもそも、地方自治体の半数以上が人口千人未満であるアメリカ合衆国に適した社会契約的な自治体形成へのアプローチを、平均人口が数万人であるロシアの中小都市、「地区」に転用することが目的にかなったことであろうか。

エセ憲章主義の問題点は、採択された憲章の内容にも反映した。連邦法が首長の直接公選制とカウンシル制との間での選択を自治体に与えたにもかかわらず、圧倒的多数の自治体が直接公選制を選んだのである。筆者が6州において現地調査を行ない、憲章を収集した限りでは、南ドイツ型(いわゆる「弱い市長」型)の組織形態を選んだ自治体がひとっあるだけ(タンボーフ州コトフスク市)で、残りは全て「強い市長」型の組織形態を採用した。前述の通り、これは既存のエリート間の力関係を反映したものであるが、これでは何のために連邦法で組織選択の自由を与えたのかという問題となろう(カウンシル制をより望ましい自治の形態とするヨーロッパ・チャーターに胡麻をすり、ヨーロッパ共同体に入れてもらおうという動機でないとすれば)。

上述の過程はまさにウルトラCであった。一方では、「カウンシル制は1990年のような無政府状態を生み、立法・執行の分立は1992−93年のような二重権力を生む。唯一の望ましい形態は、執行権優位の下での権力分立あるいは再統合である」とする行政府指導層の意見がある。他方では、「1991年法による権力分立原理の導入が、十月事件や行政府独裁の遠因を作ったのである。唯一の正しい解決は、カウンシル制に帰ることだ」という、これも地方指導者、法律家の間でかなり有力な意見がある。しかも、1993年12月に選出された第一国会において既に、「ソヴィエト制の再建」を掲げるロシア共産党がかなりの影響力を有していた。このような事情から、連邦法のレベルではカウンシル制と首長直接公選制が併記され、妥協がなされたような外見を保ちながら、既述のエセ憲章主義のメカニズムのおかげで現場では首長直接公選制が圧倒的となったのである。

注目しなければならないのは、ボス支配にとってのみならず、行政府党の上意下達構造を(外見上の民主主義の陰で)存続させるためにも、首長直接公選制の方が望ましいと考えられていることである(18)。たとえばタンボーフ州議会は、州地方自治法を採択するにあたって、連邦法に反して、首長直接公選制を自治体が選びうる唯一の形態とした。この決定が「ソヴィエト権力の再建」を公式に掲げるタンボーフ市議会の猛烈な抗議を呼び起こしたことは当然である。タンボーフ州議会とタンボーフ市議会の間に政治的な色合いの違いはない。よく知られているように両議会とも親共産党的であり、連邦政府やかっての民主派行政府との闘争においては両者は「戦友」であった。しかし、この両議会の間においてさえ、州権力の自治体権力への統制、それに好適な自治体の組織形態という争点をめぐっては対立が生まれるのである。

以上は、自治体の組織形態の問題であるが、国家機構と自治体との関係という点では、

 

 

 

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