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川野/それでは続きまして基調講演に移ります。講演していただきますのは、兵庫県立総合リハビリテーションセンター所長澤村誠志様です。
 澤村様は、障害者のバリアフリーに対応して、全ての障害者のリハビリテーシヨン間題について研究実践の第一人者として活躍されておられ、今回聴覚障害者問題についても関心を寄せていただきました。皆様もご存じと思いますが、ベトナムのベトちゃん、ドクちゃん、あの障害児の義足を考案され歩けるようにされた先生です。
 今日は「障害者や高齢者の暮らしやすい社会づくり」と題しまして、お話をしてただきます。それでは澤村様よろしくお願いいたします。

澤村/おはようございます。この話を大上会長さんからお聞きした時に、私は整形外科の医者でございますので、どうも、耳の不自由な方、言葉の不自由な方のことは、よくわかりませんので講師としては適切ではないと、いったんお断りをいたしましたが、会長さんのご熱意に押されて参りました。兵庫県で40年間障害者の方々と一緒に歩んで参りました私ども兵庫県立総合リハビリセンターは、神戸の西にありまして、今も障害者の人700人の方達と一緒に生活をしております。その40年間の歩みの中で、皆さんに少しでもお役に立てばと思って、ここに参りました。
 しかし、本当に聞こえの保障についての皆さんの悩みは、私にはわかっておりません。そのことは初めから頭を下げます。ただ、車椅子に乗っている人とか、あるいは手の不自由な人達が、地域
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の中に住んでいけるようなまちづくりを、目的として今までやってきておりますので、そういったことを含めて、基本的なお話をさせて頂きたいと思います。
それでは、スライドお願いいたします。

1.阪神・淡路大震災で学んだこと。
 いきなり地震の話が出てきました。私どもが今まで全然想像していなっかたような直下型の地震が、阪神間を襲ったわけであります。こういうふうに道路とか鉄道とかが壊れまして、私どもにとりましては、情報がなくなりました。そこで、一番頼りになったのは、近所に住んでる人達であります。普段から近隣の人々がお互いに助け合って生活しておれば、命を救うことができました。
 行政に対する批判は大分ありましたけれども、行政の人達は、一日に五万食の、食事を運ぶことで精一杯でした。それから、死者が沢山出ましたので、亡くなった方々の死体の処理をすることに追われました。
 そういった人の中で、障害を持った方達は、普段からの年金生活の中で、大変古い家に住まなくてはいけなかった。それで、今回の震災というものが、障害者・高齢者を、社会的な弱者から震災弱者にしてしまった。これは、低い収入で、家賃の安くて古い住宅に住まざるを得なかった、一人で頑張ってきた人達が、地震によって追いつめられて、そして身体の状態のために、一階に住むことが多かったために、圧死をした。そして、幸いに命をとりとめたお隼寄りは、行くところがありませんから、体育館に避難をしたわけであります。そこは、冬の真っ最中でありますので、非常に

 

 

 

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