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 そういう事で118名の方がお亡くなりになりましたし、同時に全壊、半壊になった世帯数が約20,000世帯です。一部損壊も20,000世帯でございましたから、全壊、半壊、そして一部損壊も入れますと約40,000世帯に及びました。
 これはわが市の全世帯数が7万2千位でありますから、それを考えるとどれだけ被害が大きかったか、皆さんもご想像して頂けると思うのであります。
 当初、本当に混迷を極めました。やはり一番のネックは正確な情報がなかなか得られなかった、ということであります。
 勿論我々自身も情報が得られなかった訳でありますから、市民の皆さんは更に情報が得られないという事で、大変な不安といらだちを感じられた事は、当然の事であります。
 いろいろ我々も反省をし、たくさんの教訓も得ました。
 反省の一つは、やはりこのような甚大な災害がやってくるとは、夢にも考えていなかったという事であります。
 特にこんな大地震が起こることはさらさら考えず、地震は関東のものだと我々はみんなそう思っておったんですね。
 関西の人はみんなそう思っていたんですよ。「来るなら関東、関西なんて地震がない」、こういう思いでありましたから、我々は地震が起こったときに本当に適切な対応が出来ていなかった、という事に気がつきました。
 情報をどの様に市民にお伝えをしようか、先ほどもお話がございましたが、お年寄りや障害者の方々にとっては、健常者以上に大きな不安をお持ちになったのはは当然の事です。
 情報が入らない、どうしたらいいのか、動けない、そういう不安の中で何時間も何時間も、何日もお過ごしになった方々もおいでになりました。
 我々も全くどのように対応してよいのかわかりませんでした。
 最初に、市民の皆さんが最も欲しがられたのは、安否の惰報なんですね。自分の友達、身内、親戚、近所に住んでる人もそうでした。
 遠くに住んでるお身内の方、友人の方もそうだったんです。
 宝塚に住んでる友人は無事だろうか。
 ご承知のように電話は全く通じなくなりました。電話という、平常時には非常に便利な通信手段が使えなくなったときに、一体どうなるのか。我々はそんな事も考えてなかった訳でありますから、みんなそのアプローチのしようがなくなっちゃったんですね。
 もう隣近所も勿論通じませんし、あるいは東京の方が自分の身内、自分の母親、父親が宝塚に住んでる、そういう人が一体どうなったんだろうかと、テレビを見ても、被災地のニュースは刻々と全国に伝えられておりますけれども、自分の知りたい身近な人の情報が全く入らない。
 そういうふうに情報が遮断されたときに、一体どうなるのかな、という事を痛切に考えさせられました。
 わがまちでも、本当に無力な面も多々ございました。
 行政ができる範囲というものは、非常にせまいものだ、緊急の場合には間に合わないこともあるという事もよくわかりました。
 いろいろな団体が障害者の方々の安否の確認という事も日頃からやっておられるため、そういう連絡網がおありでありますから、今回もそれぞれの団体で安否確認をやって頂いた、という事も非常に力強い事でございました。
 我々の方からなかなかそこまで手が及ばず、とにかくもう修羅場でございましたから、何から何まで、わあっと一度にかかってきたものですから、そのような安否確認までなかなかスムーズに対応できない。
 勿論少し時が経ちますと我々の方も福祉課の職員が一級二級の障害者の方々のところまでは、ずっと安否の確認に歩かせて頂いた。しかしそこに至るまではそれぞれの団体ごとで安否を確認をして頂くという事以外に、我々にはなす術がございませんでした。
 そして一定の安否確認という時期が過ぎますと、

 

 

 

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