日本財団 図書館



たが、現存するものは少ない。一方、建築家による本格的な鉄骨構造は、工場など産業建築に比べて相当遅く、明治42年(1909)竣工の佐野利器博士設計の東京日本橋丸善書店と言われているが、これも大正12年(1923)の関東大震災で焼失した。

? 現存最古級の鉄骨造としての魚形水雷庫
 以上の歴史から、明治35年(1902)10月着工、同36年(1903)7月竣工の魚形水雷庫を始めとする舞鶴の鉄骨煉瓦造の建築群は、圧延鋼材とリベット接合による本格的鉄骨建築としては現存最古級であるといえる。また更に重要なことは

 1)建物の保存状態が良好で当初の技法や構法がほぼ完全に遺存していること。
 2)舞鶴鎮守府設立書類や公文雑輯を始め膨大な未調査資料を含めて多くの記録が保存されていること。
 で、我が国の鉄骨構造の技術史を考える上で学術上の価値は大きい。また、構造技術の観点から注目される事項として次の諸点を指摘したい。

 1)リベット接合と圧延鋼を用いた本格的な鉄骨構造であること。 当時のリベット接合は造船などで用いられる最先端の接合方法であったが、ここではまだ水圧や空気圧を使わない最初期の手打ちリベットエ法が確認される。
 2)Bessemer転炉法を初めて実用化した米国Car−negie社の刻印があること。

鋼材の入手経路やコスト、製造過程などに関する詳紬な史料が残っており、鉄骨加工の状況を追跡することが可能である。当時は芙国のDormanlong社の輪入鋼材が多かったが、1900年Camegie社がUS steeIに合併する際、米国鋼材の市場価格が低下したため、当初は純煉瓦造で計画されていた本建物を鉄骨煉瓦に急邊変更したことを示唆する資料もあるようである。

 3)煉瓦壁はbearing wall(耐力壁)ではなくcurtain wall(非耐力壁)であること。

初期の鉄骨建築ではまだ煉瓦壁を主体構造として、床荷重を鉄骨の柱や梁で部分的に支持する構法が一般的であったが、図(4−3−3)に示すように本建物では我が国の伝統的な木造軸組構法と同様に建物の荷重を全て鉄骨の柱と梁で支持できる架構形式となり、煉瓦の外壁は非耐力壁として扱われている。また、水平力は山形鋼の筋違で負担する。このような構法は高層ビルなど現在の鉄骨建築に直接繋がる手法である。

 4)建設に関与した海軍臨時建築部技師など関係者を特定することができること。

 渡辺襄、山崎定信、森川範一、桜井小太郎の関与を示す資料が存在し、鎮守府設立の組織や経緯を示す記録が存在している。個々の建物に関する詳細な調査研究は今後の課題であるが、何れにしても我が国でも現存最古級の鉄骨煉瓦造建築が群として遺存する舞鶴地区の煉瓦造建築一特に鉄骨建築については鉄骨建築の導入発展を検討する上での技術史的な意味は大きい。揚重機など機械設備についても同様である。


(2)舞鶴機関学校の鉄骨槍造

 旧舞鶴機関学校一現舞鶴総監部の建物を視察した結果、当該建物は超高層建築の耐震理諭の基礎となっている動的耐震設計法に基づいて建設された恐らく世界最初の『柔構造設計』の鉄骨建築であり、構造技術史上・耐震工学史上別格の学術的価値を有する可能性のあることが判ったので、以下考察する。

 1)舞鶴機関学校の規模・意匠

 舞鶴機関学校(以下竣工当時の名称)の構成は庁舎(2階建)、軍事学・普通学講堂(2階建)、

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION