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事業の転換と拡大
鳥井
「ハードからソフトへといいますか。劇場を作ったはいいけども、催し物がないというのは地方自治体でよくある話ですが、日本財団はこの10年、ハードからソフトへ、より具体的な、非常にきめの細かいものに移ってきているのではないかという感じもします。その辺はいかがですか。」
笹川
「ご指摘のとおりです。我々の基本は、世の中の動きを敏感に汲み取って、大胆にそれを取り入れていくということです。ハードを必要とする時代にも、世の動きを敏感に汲み取ることはしておりました。例えば老人ホーム。老齢化の時代に老人ホームが圧倒的に不足していた時代、我々は先駆けて懸命にこれを造ってきましたが、いまは国や地方公共団体にバトンタッチしました。そして、ソフトへ大胆に変更していきました。
 ただ、海外活動では逆のケースもあります。かつては我々もハードを作ったことがあります。しかし、インフレーションによって建物が予算の範囲で建たなかった、などという苦い経験もしたことがありました。その結果、ハードウエアはやらないというのを原則としてきましたが、ペルーやカンボジアの小学校建設など、海外ではまだまだハードを必要とする面もあり、柔軟に対応する必要があります。
 この10年間の流れの中で、5名の常務理事制に移行したというのは、すなわち部署が増えたということです。一つは海洋船舶部。日本財団の存在を認めているモーターボート競走法に書かれている造船海運の振興事業を長くやってきたわけですが、もっと広く、「海」というものから物事を考えるべき時代だろうと、この10年で、広く「海洋」というコンセプトに幅を広げました。海洋船舶部では、最初は海の国際シンポジウムをやり、そして最近では海洋政策の提言を内閣に出しました。また、マラッカ・シンガポール海峡の海賊問題、それに伴うコーストガードの多国間の協力体制も、我々民の発意でやりました。非常にエクスパンドした10年だったと思います。
 公益・福祉部。ご承知のように非常に幅広い分野が対象であり、まさに多様多岐に先駆的事業を行っております。特に高齢化社会の中で、クオリティー・オブ・ライフを追求した事業を率先して行ってきました。完全個室型の高齢者施設モデル「ケアポート」の建設、屋内型ゲートボール場「すぱーく」の設置、終末期医療、緩和ケア普及のための「ホスピスプログラム」などです。
 そして現在、福祉施設や病院から在宅に移りつつある介護や看護の状況の中で、欠かせないものとしての移送や入浴の為の福祉車両の配備に力を入れています。一日も早くクロネコヤマト、佐川急便、日本財団と言われる程に、たくさんの福祉車両を走らせたい。大変画期的な仕事です。
 また、ボランティア支援部は、10年前はなかったわけです。阪神・淡路の大震災で私たちは71億円の支援金を出すと同時に、破壊された街を立ち上げるために兵庫県内の様々なNPOに対する支援をしました。ボランティア支援部は今までに約5,200件の支援を行っています。これは社会福祉、環境、教育、伝統文化、在日外国人支援、まちづくり等全ての分野が網羅されています。この間にNPO法が成立し、ボランティア活動の大きな芽が、今、出てきています。政府だけでは物事が動かない時代になってきたのです。ボランティア活動が本当に社会に根づくためにはどうすべきか、我々は試行錯誤をしながら、取り組んでいるテーマです。
 率直に言って、我々が応援した個々のNPOが、全て育ったと言えません。現在は、個々のNPOを支援するNPO支援センターという核になる組織を重点的にいま育成しています。我々は世の中で言われるほどNPOが社会に根づいたとは思っていません。しかし、根づかせる努力は、これからも大いにやっていかなければなりません。
 現在、日本財団は幅広いNPO活動支援の総本山みたいな形にはなってきております。一つの流行ごとで終わるのか、本当に社会に認められた存在にNPOがなっていくのかという大変重要な時期にきているのではないでしょうか。
 国際部は、国際的に認められたいくつかの大きな仕事を実践してきましたが、何といってもハンセン病の制圧活動です。これは日本財団が設立された当初から延々と、この40年間やってきた仕事です。差別を伴う病気、深刻な病気をまさか地球上から消せる日がくるとは、考えてもいなかったことです。これは初代会長、そして現在の会長も力強く制圧のための理解を示しています。したがって、現場を預かる我々としては大変仕事がやりやすいわけです。2005年に制圧宣言が出せるようラストスパートをかけています。世界中で必要とする薬を5年間無償で提供したというのは非常に大きな弾みになりました。
 今、グローバルアライアンスが創られました。WHOに日本財団、笹川記念保健協力財団、医薬品メーカーや世界中のNGOが参加して、ハンセン病をなくすために協力して活動しています。もし2005年に制圧が成功しますと、地球レベルでの様々な困難な問題の解決の一つの方法、成功例を提示できることになります。その意味からも、非常に大きな意義ある仕事だと思います。
 国際協力の分野は、私は継続と忍耐だと思います。特に教育の分野、公衆衛生の分野、あるいはアフリカにおける食糧増産問題、こういうベーシックヒューマンニーズと言いますか、人間が生きていくための基本的なことがらについて、地道な作業を継続してやってきたのも、日本財団の誇りです。とかく政府などが仕事をする場合には、必ず二国間の関係になりますけれども、我々民間ですから、多国間協力が日本財団のイニシアティブでできます。この財団のユニークさではないかと思っています。
 それから広報部については、特に支援実績のデータベースの充実と同時に、情報公開を徹底してやってきた10年間だったと思います。日本財団のホームページへのアクセスも飛躍的に上がっています。最近では英文のホームページが世界で3番目のヒット数になってきました。広報の充実は、会長自身がリーダーシップをとってやってきたことです。非常に大きな成果を上げています。更に、日本財団の存在が国民レベルで充分に認識されるよう、我々は努力する必要があると思います。」
 



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