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第3章
世界に築く「人間の絆」
〜海外協力援助事業
第1節 海外協力援助の新展開
 日本財団の海外協力援助活動がスタートしたのは1971年だが、この十余年、援助の規模とその対象分野は格段に拡大した。
 1989年ベルリンの壁崩壊に象徴される米ソ冷戦構造の終焉と、情報通信技術の長足の進歩によるグローバリゼーションの劇的な発展は、必然的に本財団の海外援助活動の分野のみならず、援助の形態をも多様化させた。1990年代以降、本財団の海外協力援助哲学を一言で言うならば、グローバル化によってこの世界にもたらされた「光と影」のうち「影」の部分を取り出し、これに援助と励ましという「光」を当てることであった。
 
海外協力援助事業数と助成金の推移
年度 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001
件数 55 71 70 100 95 78 56 65 53 56
金額 884,508 670,544 769,441 845,042 809,068 772,701 711,688 621,491 565,500 620,559
(単位:万円)
 
 では、本財団が着目した1990年代の「影」の実態とは何か。
 例えば、グローバリゼーションと地球規模の情報化社会の出現は車の両輪であり、今日では視覚や聴覚に障害を持つ人も、インターネットを通して国の枠を超えたコミュニケーションを活発に行っている。
 しかし、一方には世界市場へのアクセスを持たぬ人々、情報化社会に参画できない人々も多く存在し、技術革新は南北格差をさらに拡大させる「影」の側面を包含している。また、グローバリゼーションそれ自体は貧困を解決するものではない。人類の5人に1人は1日1ドル以下の生活を、また、2人に1人は1日2ドル以下の生活を営んでいるという現実もある。
 世界のグローバル化以前から、本財団はハンセン病や飢餓といった人類にとって看過することのできない有史以来の問題を解決すべく粘り強く支援してきた。そして、30年を超える取り組みの結果、ハンセン病に関しては蔓延国が89カ国(1990年)から6カ国(2002年)へと劇的に減少し、世界的な制圧へあと一歩という段階まで到達した。また、1980年代より取り組んでいるアフリカにおける農産物増産事業においても、一部の国が食糧作物を輸出するようになるなど着実な成果を挙げるに至った。
 このような人間的な暮らしを送るための基本的ニーズに迅速に応える事業を展開する一方で、新しい世紀を担う人材育成を柱とした未来への投資も積極的に行った。40カ国60を超える大学を対象とした世界的な大学のネットワークづくりと奨学金事業であるヤングリーダー奨学基金事業、東南アジア諸国の知的リーダーを対象とした日本財団アジア・フェローシップ事業、肢体障害、聴覚障害、視覚障害の分野における自立支援のためのリーダー育成事業、日米のNPOのネットワークづくりを通した人材育成事業など、本財団は多岐にわたる支援事業を展開した。
 これらはどれも「継続は力なり」、すなわち、年々の援助の積み重ねが効果を発揮する性格のものであり、事業を通して育成された人材が、今後、世界のそれぞれの分野でリーダーシップを発揮することを期待している。
 
MDT治療薬を受け取るハンセン病患者(インド・ビハール州)
 
海外協力援助事業は東西冷戦の終結後、世界情勢の変化に合わせて規模や内容を拡大していった
(拡大画面:19.9KB)



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