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(6)誰もが快適に利用できるトイレ
  〜ユニバーサルトイレ研究会
 誰もが必然的に老いを迎え、身体にハンディキャップを持つ可能性があるという考え方に立った場合、家屋や公共施設などの建物はもとより、移動するための車や鉄道などは、これまでの「障害者用・・・」「高齢者対応・・・」などといった特別なものではなく、現在では老若男女を問わず誰もが快適に使える、いわゆる「ユニバーサル」なデザインが求められている。
 国の施策においても「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(ハートビル法)」や「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律(交通バリアフリー法)」が施行され、今後、障害を持った人々の移動が一層促進されることが予想される。
 公共のトイレも、これまで以上に機能の充実や快適さが求められているにも関わらず、高齢者や障害者によるトイレの使われ方と、それに応じて要求される性能については、必ずしも十分であるとは言えないのが現状であった。
 障害を持った人々は、使えるトイレがない場所へ行く日には水分を控えたり、外出そのものをあきらめてしまうなど、現実はまだまだ多くの問題がある。このようなバリアをなくすために、1つでも多く「誰にでも快適で使いやすいトイレ」の整備を行うことが急がれている。
 そこで、日本財団では、人々が生活する中で、最も基本的で重要な施設(設備)であるトイレに着目し、2000年に「誰もが快適に利用できるトイレ(ユニバーサルトイレ)」をテーマに調査を行った。
 この調査における報告書は公共トイレの設計・施工にあたっての参考となる資料として、建築家、住宅設備メーカーなど関係者に配布され、「ユニバーサル志向のこだわりのトイレ」が社会に浸透するための一助となった。
 また、日本財団ビルの移転、改装工事にあたっては、この研究会での成果を反映することができ、先駆性とユニークさを取り入れたトイレに、建築関係者など多くの見学者が訪れている。
 
ユニバーサルトイレの調査報告書
(7)地道な医療活動
  〜チェルノブイリ原発被曝者への検診
 1986年のチェルノブイリ原発事故から4年後の1990年2月、日本財団はソ連政府から「唯一の被爆国である日本の経験を生かした支援をしてほしい」という要請を受け、同年8月には我が国放射線医学の第一人者からなる調査団を現地に派遣した。
 その結果、汚染地域の広大さもさることながら、住民の社会的心理状況、特に強い不安、恐怖感を目のあたりにし、住民に正確な情報が欠如していることを痛感した。
 そこで、日本での経験を踏まえ、まず放射線感受性の高い子供たちを対象に健康診断を行い、今後の対策の基本となる正確な情報の収集と住民への正しい知識の伝達に努めることにした。
 (財)笹川記念保健協力財団を実施主体として、翌91年5月には、放射能汚染被害の大きなベラルーシ共和国、ロシア連邦、ウクライナの5カ所(ゴメリ、モギリョフ、クリンシィ、キエフ、コロステン)で、事故時0〜10歳の児童を対象に甲状腺および血液異常の検出を中心に、体内被曝線量の評価も含む検診を5年計画で開始した。
 特に、企画の段階から、放射線医学の豊富な経験を有する長崎大学医学部、広島大学原爆放射能医学研究所、(財)放射線影響研究所などからも協力を得ることができたことは成功に結び付く上での大きな要因となった。
 最初の検診から5年が経過した1996年、現地の社会・経済状況では医療機関が独立して検診活動を継続することが困難であること、また、高汚染地域に小児甲状腺がんの多発が見られたことから、排出された放射能との関係を究明すべく、5カ所の中で小児甲状腺がんが最も多かったベラルーシのゴメリ州においてさらに5年間継続することにし、最終的に事業は2001年3月に完了した。検診を受けた児童は約20万人に上る。
 約11年間の検診活動、また被曝者の健康管理、治療等に必要な検診車、医療機材、試薬等の物品供与に加え、日本からの診断技術等の指導のため全期間で延べ450名の日本人専門家が派遣された。また、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの医師・技術者を対象に、日本では延べ114名および現地では延べ109名が研修を受けた。
 本事業は人道的支援としてスタートしたが、そのためには医学的・科学的にも信頼できるものでなければならないという考えに立ち、開始から5年間の検診活動で得られたデータをロシア語のみならず英語の報告書として公表した結果、科学的にも非常に信頼できるものとして国際的に関係者の高い評価を得ることとなった。
 この間、1999年2月にはベラルーシのゴメリ市と日本の長崎大学医学部とを通信衛星で結ぶ遠隔医療システムを稼動させ、小児甲状腺がんの確定診断に役立っている。このシステムには世界保健機関(WHO)も関心を示し、(財)笹川記念保健協力財団と協力してベラルーシ内の遠隔医療・遠隔医学教育を発展させる事業も開始した。また、EU、米国国立がん研究所、WHO、(財)笹川記念保健協力財団の共同事業としてロシア、ウクライナ、ベラルーシ3カ国の甲状腺がん組織等の保管、管理体制を整備するプロジェクトも実施している。
 
訪問治療を行う派遣医師(長崎大学医学部 山下俊一教授)
(8)医学で日中のかけ橋を
  〜日中笹川医学奨学制度
 日中笹川医学奨学制度は、医学分野における日中両国の友好と交流を促す事業の一環として企画され、(財)笹川記念保健協力財団と(財)日中医学協会が共同で、1986年8月北京の人民大会堂にて中華人民共和国衛生部と同制度に関する協定を締結し、開始された。
 この協定に基づく同制度は、1987年の10月から20年間にわたり中国から毎年100名ずつ医学研究生を日本に招き、1年間日本の大学・医療機関・研究機関などで自己の研究を高めてもらうプロジェクトである。総計2,000名の中国医療関係者が日本にて近代医学を学ぶ壮大な事業に発展し、2002年で15年が経過している。
 同制度の特徴は、中国衛生部にて日本語または英語での資格試験と審査を経て一定水準以上の研究者が選考され、来日前の5カ月間は日本から派遣された日本語教師により、瀋陽の中国医科大学、長春の吉林大学において日本での留学期間を十分全うし得る語学並びに日本の医療事情・生活習慣などを受講することである。
 さらに日本側では、医学・歯学・薬学・看護・臨床検査・医学教育の管理、研究・衛生行政など広範囲にわたる研究者の受け入れ先を、本人の希望や経歴等を踏まえてあっせんし、来日前には研修場所が決定されている。
 来日した研究生は日本語にも優れ、研究熱心と優秀さにより短期間で研究生活にも慣れ、研究室内や居住地内でのささやかな異文化交流の場ができ、受け入れ先周辺での評価も高い。帰国後は、特に昇進も早く、中国医学界において中枢的な地位を占めつつあり、教授や病院長等指導的立場になるものが増えており、学位取得者も多く輩出している。
 同制度で1年間の研究生活を経験した研究者や指導した日本側教官から、1年間の滞在では短いという声が高まり、1992年には一度来日した研究生で2年経過した研究者に再度来日してもらい、研究成果を高めてもらう「特別研究者招聘制度」を追加新設した。
 また、同制度の5周年記念大会実施時、笹川医学奨学制度同学会(同窓会)制度を発足させ、帰国研究生の連携を保つ場づくりにも協力している。同学会では北京事務所を起点とし、機関紙や住所録の発行そして年1回の学術交流会を開催し、研究生間の情報交換や研究発表の場をつくるだけでなく、僻地・無医村・災害地へのボランティア診療活動なども実施し、同制度からの波及効果も着々と広がってきている。
 研修を終了した奨学生は2002年度で延べ1,545名を数え、日中両国の医学水準の向上と日中友好に大きく貢献している。
 
無医村でボランティア診療活動を行う奨学生
(9)いつでも、どこでも、誰にでも参加できるスポーツを
 日頃からスポーツに親しむことは、健康の増進と体力の向上に役立つばかりでなく、生きがいのある生活と活力に満ちた社会づくりにつながることから、日本財団では、いつでも、どこでも、誰でも気軽に親しめる「生涯スポーツ」の活性化を、積極的に支援している。
 1991年3月、香川県国分寺町を皮切りに、生涯スポーツの振興と高齢者の生き甲斐づくりをめざして、屋内ゲートボール場のモデルタイプ「すぱーく」の建設を推進した。そして1998年までに、全国103カ所の「すぱーく」の建設支援を行った。
 一方、ジュニア層への普及を図るため、1996年8月に、(財)日本ゲートボール連合が行う第1回全国ジュニアゲートボール大会の開催を支援した。現在、世界のゲートボール愛好者は1,000万人とも言われており、1998年11月ハワイ・ホノルルで開催された第7回世界ゲートボール選手権大会では、世界11カ国1地域から203チーム、総勢1,261名の参加を得た。
 「すぱーく」の建設を始めるとともに、生涯スポーツの普及、振興、育成を図るため1991年3月、(財)笹川スポーツ財団を設立し、1993年にはスポーツ団体の行う事業に対する助成制度「SSFスポーツエイド」を立ち上げた。2001年までに延べ5,500事業、およそ33億円を助成している。
 また同財団は、スポーツに対する実施・参加意欲を高めるきっかけづくりとして、自治体ごとに地域住民のスポーツへの参加率を競う「チャレンジデー」を1993年から実施し、10回目となる2002年5月29日には、82自治体、約88万人が参加した。
 さらに、1995年には、世界最大規模のスポーツ・フォト・コンテストを開催し、世界のスポーツの感動シーンや決定的瞬間などを写真展で紹介した。第5回となる2002年は、10万人の写真展入場者を予定している。
 2001年8月には、秋田県で開催された「第6回ワールドゲームズ」を支援。「第2のオリンピック」と言われるワールドゲームズは、オリンピックの競技種目に採用されていないスポーツを集めた、国際的トップアスリートによる総合スポーツ大会で、全31競技で熱戦が繰り広げられた。
 本財団の調査研究事業として1996年12月に実施した「東京ふれあいマラソン第1回神宮外苑ロードレース」は、一般ランナーと車椅子や視力に障害のある人が同時に走るマラソン大会で、第2回大会からは知的障害者も参加することとなった。1999年の第4回大会からは、実施主体を(財)笹川スポーツ財団に移管し、日本財団の助成事業として実施した。
 2002年に開催した第6回大会(「東京シティロードレース」に改称)では、日比谷公園をスタート、都心の公道を走り国立競技場をゴールとするコースとし、健常者、障害者、臓器移植者約6,000名の市民が都心を駆け抜けた。
 
各世代混合チームで戦う全日本世代交流ゲートボール大会
 
チャレンジデーに参加する子どもたち 富山県福野町の模様
 
スポーツ・フォト・コンテストでのゴールドプライズ作品
 
東京シティロードレースは車いすランナーも同じコースを走る
(10)音楽を通じた国際貢献をめざして
 西洋音楽は、20世紀初頭に日本へ紹介されて以来、学校をはじめとして広く親しまれており、西欧クラシック音楽界は、かねてより若手音楽家の育成に積極的に取り組み、日本からの音楽家も暖かく迎えられ、育てられてきた。その結果、今日では世界で活躍する日本人演奏家も多く見受けられるようになったが、こうした西欧からの恩恵の享受に対し、これからは「与えられる立場から与える立場へ」「学ばせてもらう立場から学んでもらう場の提供へ」という役割を担う時期を迎えている。
 日本財団では、音楽文化の普及に尽力してきた(財)日本音楽財団に協力し、1994年から「音楽国際交流事業」を実施してきた。昨今クラシック音楽界の一番の悩みである「弦楽器の値段が高く、入手することがままならない」という演奏者の状況に対し、アントニオ・ストラディヴァリやグァルネリ・デル・ジェス等によって製作された世界最高峰の弦楽器を収集し、国内外の一流演奏家、若手有望演奏家に無償で貸与する事業を展開している。
 この事業は、1)演奏家に名器を弾く機会を与え、伸びるチャンスを掴んでもらうこと、2)弾かれることで名器としての価値を高め、ストラディヴァリウス等を世界の生きた文化財産として後世に伝えること、3)国際的なレベルでの人材育成を行うことで、国際貢献を果たしていくこと、をめざしている。
 貸与期間は半年から数年程度としているが、希望者は増加の一途をたどり、ニーズの大きさを表している。およそ8年間で購入した18挺の楽器は、延べ55名の演奏家へ貸与され、世界各国での演奏活動を通じて、多くの人に感動を届けている。
 
チャリティによる海外演奏会で国際交流を図る



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