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資料1-4 日本財団 笹川会長の冒頭挨拶
「新しい海事社会への改革に向けて」
〜マラッカ海峡における新しい協力関係のあり方〜
日本財団 会長 笹川陽平
2007年3月13日 マレーシア (ホテル日航クアラルンプール)
「マラッカ・シンガポール海峡の航行安全と環境保全の向上のためのシンポジウム」
 
 皆様、本日、「マラッカ・シンガポール海峡の航行安全と環境保全の向上のためのシンポジウム」においてご挨拶申しあげる名誉な機会を与えていただいたこと、また、沿岸国と利用国の研究機関が共催する初めてのシンポジウムに出席いただいた、運輸通信大臣閣下を初めとする政府の高官の方々、沿岸三カ国の関係者の皆様、INTERTANKO、ICS、日本船主協会などの利用者の皆様、そして全ての皆様へ主催者の一人として心からご参加を歓迎いたします。そして、この会合のホストとして準備を重ねられ、大変なホスピタリテイと努力で開催に導いたMaritime Institute of Malaysiaの皆様に対し、日本財団の代表として、惜しみない賞賛と感謝を申しあげます。
 
 私は、マラッカ、シンガポール海峡(以下マ・シ海峡)の通航安全と環境保全の問題の解決のため、沿岸国と利用国の研究機関が協力し、このようなシンポジウムを開催できたことは、画期的なことであると考えます。また日本財団がこの会合に参加できたことは大変光栄であると思っています。
 
 さて、先頃、アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画「An Inconvenient Truth」が話題となっています。地球温暖化による気候変動を扱った映画で、主役は米国のアル・ゴア元副大統領です。気候変動の結果による「海水温の上昇」、「冠水した海岸線」、「後退する氷河」など、心が動揺するシーンが続き、地球の約3/4を占める海への様々な悪影響が豊富で具体的な事例を駆使しながら描かれています。この映画にも象徴的に描かれている海への悪影響は、今や私たちの生活や国の発展をも脅かしています。
 
 私たちがこの危機に対処するためには、自らの活動を点検し、自らが必要な改革を行っていくことが大きな課題となっています。特に、人類の活動で大きな部分を占める海事社会・海事活動においては、海を利用し、海に作用を与えるのみの活動から、「海を守り、海の変化に人類が適切に対応する活動」に変えていかなければなりません。このことは、私たちのフィールドであるマ・シ海峡においても、同じことが言えるでしょう。
 
 インド洋と南シナ海・太平洋を結ぶマ・シ海峡は、古来より海上交通の要衝ですが、近年の中国を中心とした東アジア地域の経済発展によってますますその重要性が高まっています。また、地元の人々にとっては優良な漁場として、そしてその景観は観光客を惹きつける貴重な収入源として様々な生活を支える、人間活動の舞台であります。
 
 こうした海峡において、船舶が安全に航行できること、その環境が安定的に維持されることは、単に海峡に住む人々のみならず、国際社会の共通の利益であるといえます。
 
 しかし、狭隘かつ長大なマ・シ海峡は、航海上の難所を多く有する国際海峡であり、その航行安全の確保と環境の保護には多くの負担を必要とします。一度、事故により大規模な油流出が起こると、その環境被害は早期かつ広範囲に広がり、沿岸地域の漁業や観光、ひいては地域経済に大きな影響を及ぼす可能性があります。また、発生した場所によっては同海峡の通航自体を麻痺させる恐れもあります。
 
 その通航量は、スエズ運河の4倍、パナマ運河の10倍以上であり、他と比べても多くなっており、さらにその増え方も我々の研究によると2020年には現在の60%増、即ち年間40億トン(DWT)から、64億トンに達する見込みです。また、通過船の隻数でみても、現在年間の9万4千隻から、2020年には50%増の14万1千隻に達すると予想されます。今後、輸送量増加に伴う海上交通の輻輳、船舶の巨大化、原油・石油製品・化学物質などを含む輸送内容の多様化などにより、それ以前と比較にならないほど安全上のリスクを増大させており、その安全を確保するために様々な対策を講じることが求められています。そして、これに対応するための必要な経費は、今後10年間で約3億ドルに及ぶと推定され、沿岸国が通常の場合において負担する経費を大きく超えるものとなっています。
 
 このような情勢の中、マ・シ海峡問題について沿岸国と利用国による政府間会合が開催されたことは、有意義であり、沿岸国の皆様の長年に渡る努力が国際的に実を結びつつあることに疑いはありません。そして、昨年9月、当地クアラルンプールで開催された政府間会合が大きな成果を上げたと承知しており、安全航行に向けた国際協力関係の構築や費用負担問題の解決に向け、大きな前進であったと大変喜んでおります。
 
 しかしながら、マ・シ海峡の通航による直接的な受益者は、民間の産業であり、万が一汚染などを起こした時の原因者(Potential Pollutant)もマ・シ海峡通航の民間の利用者である状況で、この問題は果たして政府だけが考えればよい問題でしょうか。
 
 また、国際的な海運産業は、航行安全や海洋汚染防止に関する条約を遵守し、従来の慣れ親しんだ手法や既成の秩序・概念に基づいた取り組みをすれば、それで十分責任を果たしたと言えるのでしょうか。
 
 日本財団は、マ・シ海峡の安全通航、環境保全のため、沿岸国と協力してまいりました。それにより、安全性が向上したとすれば、これに勝る喜びはありません。しかしながら、海峡利用者は、主たる負担者ではなくてよいのだという考えを助長したとすれば、それは大きな悲しみです。海事活動の持続的な発展を図っていくために望ましくないことなのです。
 
 私は、企業活動の場を海洋に求める産業は、従来の古い考え方や法律に基づく責任だけでなく、その企業活動が影響を与える海洋、他国、ローカルコミュニテイの社会安全や環境保全に貢献する国際的で社会的な責任を負うと考えます。
 
 このような企業の社会的責任という考え方は、決して新しいものではありません。例えば、自動車輸送産業では、日本で通常の排ガス規制水準より著しく低い高価な天然ガス車などを自主的に導入、運行しています。また、国際航空分野では、グリーンランド上空を通過する際必要な航行援助施設は、実質的に利用航空会社が負担し、整備されています。
 
 さて、この観点から、即ち企業の社会的責任という観点から、マ、シの通航安全と環境保全の問題を見てみましょう。航海の安全が高いコストとなる重要海域において、その追加のコストを沿岸国のみに委ねるのではなく、民間海運産業の責任の実行が求められてきます。マ・シ海峡では主たる受益者である海峡利用者が、自らの問題として考え、沿岸国と安全・環境などの確保のために取り組み、必要な経済的な負担を自主的に行うことが自らの社会的責任を果たすうえで必要なのです。
 
 マ・シ海峡の東の入り口にある「ホースバーグ灯台」は、利用者の負担で設立し、その利用者の意志を反映して1851年に建設された灯台です。今のマ・シ海峡において重要なのは、この「ホースバーグ灯台」の発想です。利用者が海峡安全への資金提供を行うとともに、沿岸国と協力しながら海峡の安全対策を進めていく体制づくりが求められているのです。、まさに、歴史が指し示す「一筋の光」なのです。
 
 そこで、今日、皆さんに謹んで費用分担について提案したい考えがあります。私はそれを「次世代に繋ぐBurden Sharing」と名づけました。このコンセプトは、次世代に安全で健全な海を繋ぐための協力体制の構築です。
 
 Burden Sharingは、沿岸国の主権尊重、共通利益のための協力の実現、海峡利用者(潜在的事故原因者)の社会的責任の明確化を基本として、具体的に制度設計されるものです。また夫々の関係者の中で公平に負担がなされるものでなければなりません。したがって、その内容は、沿岸国のイニシアチブを基に、それに対する利用国の協力と利用者の貢献により成り立つものです。
 
 負担の考え方としては、例えば、マ・シ海峡には年間40億トン(DWT)以上の船舶は通過するので、海峡利用者が1トンあたり、わずか1セント相当の貢献をするとしても年間4,000万ドルとなります。これでも運賃への影響は殆どありません。これにより、沿岸国の過重な負担は解消され、海峡利用者自らの通航する海峡の航行安全と環境保全に貢献することになります。
 
 次に現時点で、沿岸国、利用国、利用者間でもっとも公平かつ衡平(fair and equitable)と考えられる必要な施策として3つに分けることができます。一つ目は、現在及び将来の航行援助施設などの維持、管理、更新、二つ目は、新たに必要な航行援助施設の整備、浚渫の実施などの新規投資、三つ目が政策立案や交通管理、取締りなどに必要なキャパシティ・ビルディングです。
 
 航行援助施設の維持、管理、更新は、利用者が直接利用するものであり、利用者による負担が適切な分野です。従って、新たな航行援助施設の整備、浚渫などの新規投資は、直接安全航行に必要なものは利用者が負担すべきですが、利用者の負担限度を超えるものは、利用国の協力により政府機関において実施されることが適当でしょう。
 
 そして、キャパシティ・ビルディングについては、沿岸国が海上警察力という自らの主権の行使に当たって必要なものであるので、通常は、沿岸国が負担する分野です。しかし、輻輳する交通を抱えるマ・シ海峡における航行安全や環境保全のための取締りなどは、特別な船舶機材の整備や優れた要員、行政官の育成を必要とします。このためには経験を有する利用国や私たちのような民間組織が特別な支援と協力を行うのが適切な分野です。
 
 このような提案が国際的に受け入れられれば、マ・シ海峡に、航行安全と環境保全のための基金が、沿岸国と海峡利用者、および我々のようなNGOによって世界で初めて設立に向かうことも視野に入れることができます。日本財団はこの任務を未来への改革の一歩として、希望を持って引き受けたいと考えています。
 
 そして、マ・シ海峡を「新しい海事社会への改革」に向けた21世紀の先駆けとして位置づけ、その実現のために、必要な費用負担をはじめとした国際的な枠組み作りの促進と環境作りのために、更なる力を注ぐとともに、マ・シ海峡問題の解決に向け中心的な役割を果たす沿岸国の活動に対し、日本財団は支援を惜しみません。
 
 16世紀、国際法の父と呼ばれたオランダのグロティウスは、当地マ・シ海峡におけるポルトガル船との事件を契機に、「自由海論」を展開し、その根拠を海洋の非枯渇性、再生産性に求めました。帆船時代の16世紀ならばともかく、21世紀の現在は、海洋は、無限に自由に収奪可能なものでないことは、広く認識されています。持続的な海洋活動を可能にするには、海洋利用者による沿岸国やローカルコミュニテイとの協力や自主的な費用負担が不可欠です。グロティウスから五百年後再び当地から自由な安全航行と海洋環境の保全のため利用者の自主的な費用負担を前提とした現代の「新自由海論」が生まれることを私は期待しています。
 
 私はこのシンポジウムがその最初の一歩になることを期待し、その一歩によりマ・シ海峡の安全航行と環境保全が皆さんの協力により成し遂げられれば、関係する我々だけでなく世界の全ての人間にとって、未来へ続く大道がはっきりと見えてくることと確信しています。
 
日本財団
会長 笹川陽平


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