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 大西所長さんのお話から、あの美しい姿を維持するために、多くの方々の日夜違わぬ不断の努力が行われていることを知らされる。
 ほい、これはいけない。ガイドをお願いしている約束の時間を大幅に回っている。あわてて入城口に駆けつけると、シルバーガイドの井上直美さんが手持ち無沙汰の様子で待ってくださっていた。
 遅れたお詫びをして、早速に城内を案内していただくことにした。
「あの、お客さん。見学は何時間くらいの予定ですか?」
「あ、ちょっと次の予定が控えているもんで、30分ほどで・・・」
「30分?・・・」
「い、いや、40分くらいは大丈夫かと・・・」
「それでも大変ですね。要所々々だけを廻って、ちょっと駆け足のご案内になりますけど、参りましょうか。」
「普通に姫路城を満喫しようと思うと、どれくらいの時間を予定しておけばいいんですか。」
「最低2時間から2時間30分くらいをみていただくと、ゆっくりご説明できますね。時間に制限ないとおっしゃるお客様であれば、次の予約がない限りは、3時間以上でもお付き合いさせていただきますけど。」
 当初1時間程度を見込んでいたのだが、やはり計画そのものに、無理があったかと後悔をしながら、汗を拭きながら早足で進む井上さんの後に続いた。
 以下、駆け足をしながら井上さんに教えていただいた姫路城の戦闘機能の一部をお知らせしよう。
 まずは、時代劇映画等でおなじみの「菱の門」を潜って以後、天守閣へ向かうまでにいくつかの門が待ち構えるが、門そのものやそれに連なる通路には、
イ. 梁を低くして兜の頭をつかえさせる。
ロ. 天守閣と逆方向へ向かわせる。
ハ. わざと下り坂にして、出口に向かっていると錯覚させる。
ニ. 通路を直角に曲げることで、突き当りの通路に見せかける。
ホ. 城壁や塀沿いには傾斜を作り、そこに滑りやすい草を植える。
 等々、侵入を容易にさせない様々な工夫が凝らされている。
 一方、城壁には
イ. 石垣をよじ登ってくる敵に鉄砲を撃ちかけたり石を投げつけるための石落し。石を避けるために城壁から離れた敵は、矢や鉄砲で射やすくなる利点もある。
 この他にも、城内の階段は迷路状に配置され、いざという時の篭城のための設備等々、まさに戦闘機能満載の姫路城である。
 しかし、このように戦闘機能の充実した姫路城ではあるが、築城以来一度も戦火の中に身を置いたことのない城としても有名だそうだ。
 だからこそ炎上もせず、今日までその姿を引き継ぐことができたというわけである。
 姫路城の故事来歴や魅力をいっぱい伝えたいと思っておられるガイドの井上さんの気持ちは痛いほどわかるのだが、如何にせん時間が余りにも不足していた。申し訳ない気持ちをいっぱいに尋ねてみた。
「姫路城を楽しむのに最もいい季節はいつ頃でしょうね?」
「皆さん沢山おいでになるのは、4月、5月や、11月ですね。でも、私個人としては、1月、2月の冬枯れの姫路城が一番好きです。しっとりと落ち着いた姫路城が実感できます。確かに、4月は桜も綺麗で見栄えはしますけど・・・」
 ああ、この女性は本当に姫路城のことが好きでシルバーガイドをしておられるんだなと感じさせる返事だった。
 ちなみに、シルバーガイドは60歳以上の方の登録制で、現在、実働25名が二班体制でガイドを担当しておられるそうだ。一回のガイド料は2000円だが、時間は案外融通が利きそうだ。歴史マニアの方はともかくとして、同じ姫路城を回るのなら一般の方には是非とものお勧めだと思う。利用の予約お問合せは、姫路城シルバーガイド(TEL 079-288-4813)までどうぞ。
 
 
 
 
姫路城大好きのシルバーガイド 井上直美さん
 
 ばたばたと慌しく取材を終え、お世話になった皆さんにお礼を言って三の丸公園まで出てきた。何気に腕時計を見ると、ほんの少しではあるが次の予定まで時間がある。タバコを一服する時間ぐらいは大丈夫そうだ。売店で缶コーヒーを買い求め、前の広場に並んだベンチに腰掛けて一息入れることにした。ベンチには何組かの先客がいた。そのうちの隣にいた二人の老人男性の話を聞くともなく聞いていると、話題は、政治の話から飲酒運転の話、映画ロケの話から病院の話。まさに多岐にわたる話題が飛び交っている。ふと声をかけてみようという気になった。
「ここにはよくこられるんですか」
「ああ、毎日や」
「ご近所の方ですか」
「そうや、ここは、わしらの散歩コースや」
「ああ、そうですか。散歩が終わって、ここでおしゃべりですか」
「大体、朝は、8時半頃から20〜30分散歩して9時ころから11時半頃までこのベンチで喋ってるな」
「午後は、どうされるんですか」
「午後も2時頃から4時半頃までここで喋っとるな。ここに集まると、近辺の各町内の情報がすぐわかる。」
「ああ、なるほど・・・。それじゃお元気で」
「ああ、ありがとう」
 挨拶をしてベンチを離れると、元の二人の話題が転がり始めた。
 
 姫路城は、地域の人たちの憩いの場所でもある。春夏秋冬、季節の折々で市民たちは姫路城の姿を満喫し、無意識に生活の中に溶け込ませているのかもしれない。
(加々里)
 
番外編 姫路城存亡の危機
(1)明治維新
 江戸幕府が倒れ新政府発足とともに、それまで軍事、経済、政治の中心であった各地のお城は無用の長物となっていった。
 姫路城も例外でなく、明治7年陸軍歩兵10連隊の設置に伴い、姫路城の櫓や三の丸の御殿、門などが取り壊され、兵舎が建設されていく。さらには天守も取壊されることとなったものの、解体に莫大な費用が嵩むため、姫路城は競売にかけられることとなった。落札者は、姫路市米田町の神戸清一郎氏で23円50銭の価格であった。
 結局、神戸氏も再利用しようと考えた瓦や釘が使えないことがわかり、その権利を放棄するに至っている。
 こうした状況の中、姫路城のすばらしさを後世まで遺すべきだと立ち上がったのが、本文でも書いた中村重遠大佐であった。彼の山県有朋への意見書が取り入れられ、明治12年に陸軍省の経費で補修保全することが決定された。
 この中村大佐の業績を讃える顕彰碑が「菱の門」近くに建てられている。
 
(2)第二次世界大戦
 第二次世界大戦の際は、この姫路にも米軍の空襲は行われた。とりわけ、姫路城のすぐそばには戦闘機製作の川西航空機の工場があり、この工場は米軍の爆撃にさらされ見る影もなく焼失したものの、姫路城には何の被害も生じなかった。
 実は、これにはうそのようなほんとの話がある。ガイドの井上さんの話によれば、米軍の飛行機が川西航空機を爆撃する際、レーダーで目標を捕捉していたが、お堀に囲まれた姫路城はレーダーで見た際には大きな池だと判断され、池に爆弾を投下しても無駄だということで、奇跡的に戦火を免れたというのだ。
 ・・・この話は、姫路城が世界遺産に登録された翌年(1994年)に記念講演会があったが、その時の講演者が、姫路空襲当時の爆撃機のパイロットだった人で、彼がそう話していたから間違いない。・・・と井上さんは教えてくださった。
 ま、いずれにしても残ったことの奇跡に全世界の人たちに成り代って感謝しておこう。
 
天守閣からの風景
川西航空機の工場は林の向こう側くらいにあったのだろうか。
 
註1【ビジットジャパンキャンペーン】
 平成14年12月24日の閣議懇談会で発表された「グローバル観光戦略」のうちの一つ「外国人旅行者訪日促進戦略」の一環として「ビジットジャパンキャンペーン」の実施が決定された。
 これは、日本人の海外旅行者が約1600万人なのに対して、わが国を訪れる外国人旅行者は、その1/3以下の約500万人に過ぎないことから、その格差を早期に是正しようとするもの。
 そのため、国土交通大臣を本部長とする実施本部が設置され、「2010年までに1000万人の訪日外国人誘致」実現を目指して官民一体となってのキャンペーン活動を取組むこととなった。
 
註2【昭和の大修理】
 天守閣の解体復元を目指すこの大修理は、すべての部材を写真に撮ったり図面に起こして解体し、腐った部分を取り替えて元通りに復元するという壮大な事業となった。
 この際に「西の心柱」を取り替える必要が生じたが、用意した檜材が途中で折れてしまったため、天守まで貫けるだけの長さの材木が入手できず、やむなく途中でつなぎ合わせることとなった。このつなぎ合わせの匠の技もまた評判を呼んでいる。
 昭和31年から8年間延べ25万人がこれに従事し、当時のお金で5億5千万円を投じたこの大事業は、別名「昭和の築城」とも呼ばれている。


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