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エッセイ
舞楽と能
〜追っかけの話〜
京阪バス株式会社社長
上田 成之助
 
 「人生、何が契機になるか分からない」とはよくいうが、私が管弦・舞楽や能に興味を持ち出したのも、ひょんなことからだった。
 
 平成11年のある日、「ファッションカンタータ」なるものが京都宝ヶ池で開催されるというポスターを見た。この「ファッションカンタータ」は、京都の伝統的な和装文化と華麗な洋装が競演するファッションショーらしい。私はファッションショーなるものを見たことがないし、「ま、後学のために一度行ってみてもいいかな」というくらいに思っていて、頭の隅に残っていたのだろう。
 
 5月に大学のOB会があったが、その時にふと先輩のKさんが、このイベントに関係する会社の常務をされていることに気がついた。KさんとはOB会の幹事を同時期に務めていたこともあり大変懇意にしていただいていたから、このイベントのお話をするとさっそく招待券を送付して下さった。という訳で思いがけずも、ファッションショーなるものを初体験できることとなった。
 
 ファッションについての審美眼は全く持ち合わせていないのと、衣装よりモデルさんの方に目を奪われていたから、どれが良くてどれが良くないのかサッパリ「?」だったが、ショーの合間のアトラクションとして登場した雅楽奏者の東儀秀樹の篳篥(ひちりき)の演奏と金剛永謹の演能が、私がそれまで全く興味を持っていなかった雅楽や舞楽、それに能を追っかけはじめるキッカケとなった。
 
 
 雅楽は、神社で時折耳にしてはいたが、この時の東儀秀樹の篳篥の演奏には目を見張った(耳というべきか?)。あの小さな縦笛から発せられる圧倒的な音量と、雅楽特有の音を引っ張り揚げていくような節回し。これが契機となって少しばかり雅楽に興味が湧いてきたので演奏会などに出かけてみると、雅楽演奏には必ずといっていいくらい舞楽がついているのですね。で、この舞楽がまたおもしろい!ってことで、今度は各地の舞楽を追いかけることになった次第。
 
 この舞楽の極めつけの催しは、毎年12月17日に奈良で行われる「春日若宮おん祭り」ではないかと思う。舞楽だけではなく、古典芸能のオンパレードである。お旅所の芝舞台の上で、夕刻から神楽・東遊・田楽・細男(せいのお)・猿楽・舞楽・和舞などが深夜まで延々と奉納される。初めて見に行った年には舞楽もほとんど知らず、舞も素面で動きも遅く、かなりたいくつになってきたので八時頃にはもう帰ろうかと思ったが、隣に座っていた常連らしきおばさん達の「舞楽は後になるほどおもしろい舞が出てくるんだよねぇ・・・」という呟きが耳に入り、いま少し粘ってみることにした。確かにそれからしばらくすると、ダイナミックな動きの舞や変わった面を着けての舞など、見ていておもしろい舞がどんどん出てくる。もし、このおばさんの呟きがなければおもしろい舞楽を知ることにならなかったかもしれないと思うと、感謝、感謝です。ちなみに、この「春日若宮おん祭り」の保存会の会長は、歴代、奈良交通の社長さんが努めておられるようです。伝統芸能の保存活動、ご苦労様です。(写真1
 
(写真1) かがり火揺らめく中で行われる
「春日若宮おん祭り」の舞楽
 
 春日大社では、11月3日の文化の日にも、舞楽演奏会が行われている。午前中に大社本殿前の「りんごの庭」で一曲舞われ、午後には神苑の中にある池に張り出した舞台の上で舞われる(写真2)。ここでは長老の神官さんが、雅楽で使われる楽器や楽曲の説明をしてくれたので、雅楽への親しみが深まった。神苑への入場料だけで、珍しい池の上の舞台での舞楽を見られるというのもうれしい。
 
 仲秋の名月の日には、京都の下鴨神社で「管弦祭」がある。楼門をくぐった右側にある細殿で、かがり火が焚かれる中、管弦と舞楽が奉納されるが、なかなか雰囲気がよろしい。ある年の管弦祭では、かがり火担当の神官さんは新米だったらしく薪を入れるのがヘタクソで、すぐ煙って消えそうになる二つのかがり火の間を右往左往する様が、失礼ながら大変おかしかった。
 
(写真2)春日大社の神苑の池に張り出した舞台。
 
 さてもう一方の能について。能といえば、まずは奈良興福寺の「薪御能」でしょう(写真3)。千年以上の歴史を持つ「薪能」の元祖である。5月11日、12日の両日夕刻から興福寺南大門跡の「般若の芝」で行われるが、以前は四曲程度演じられていたのに、最近は予算が苦しいためか二曲だけになってしまった。読者の皆さん、伝統芸能を守るために「保存会」に入会してやって下さい。ちなみに私は、わずかですが二口入っております。
 
(写真3)興福寺の「薪御能」。
 
 京都では6月に平安神宮で「京都薪能」が、大阪では大阪城西の丸公園で「大阪城薪能」が行われている。平成12年の「大阪城薪能」は7月26日の開催であったが、この年の6月に香淳皇后様が崩御され、7月25日に斂葬の儀が執り行われることとなった。このため例年7月25日に行われている天神祭りの花火大会が一日順延となり、大阪城薪能と開催日が重なってしまった。結果、演能舞台の背景に、打ち上げ花火が大音響と共に打ち上がるという、幽玄の世界も全くあったものではない悲惨な情景となってしまった。この後数年間、7月29日か30日の開催となったのは、この花火とのバッティングが主催者側にも相当こたえた為ではないかと思っている。
 
 宮島の厳島神社では、桃花祭の「神能」として毎年4月16日〜18日の三日間、毎朝九時の「翁」から始まって夕方五時まで、狂言を挟みながら一日に六曲がぶっ通しで奉納される。ここの能舞台は遠浅の海上にあって、たいへん珍しい。潮が満ちてくれば正に海上舞台となり(写真4)、潮が引けばカニが出てきたり、シカが迷い込んできて橋がかり沿いに植えてある松をかじったりのハプニングも起きる。
 ここでは「通」らしき老人に、能が終わった時の「拍手するタイミング」を教えてもらった。それまではコンサートと同じように終演後すぐに拍手しており、多くの人達もそうしているから何の疑いももっていなかった。ところがその老人によれば「終わってすぐに拍手をするのはよろしくない。ド素人。ダメです。終わった後、能の余韻を楽しんで、それからおもむろに幽玄の世界から現実世界に戻って来るんです。従って拍手をするのは、演者が橋がかりを二の松付近にまで退場した頃が一番よろしい」とのこと。なるほど、その頃に二回目の拍手がパラパラと起きる。ということは、終演直後の拍手は素人連中、二の松付近での拍手は玄人連中ということになる。
 老人のおかげでこの時を境に、私も拍手だけは目出度く「玄人」となったことである。
 
(写真4) 厳島神社では、海中の大鳥居を背景に国宝の高舞台で舞われる
 
(写真5)厳島神社の海上の能舞台。


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