3-6 春の風には恐怖が潜む(参考文献11)
天気図を理解するためには低気圧、高気圧、前線の構造や仕組を基本的に知る必要があるが、これらは既に説明しているので話を進めることとする。
日本付近を通る低気圧については、それぞれ異なり、季節によりその性質や発達の程度が違ってきている。春の嵐を呼ぶ低気圧は、大陸の北京付近にある弱い低気圧が日本海に入り大きく発達する場合で、その呼び方も、春の訪れを知らせる立春を過ぎると春一番と呼んでいる。もちろん二番、三番もあり南の暖かい空気を呼び込み、太陽の季節とともに、本格的な春の訪れとなるもので、一夜にして気温が5度以上も高くなることがある。
また、この頃になると、日本の花を代表する桜が、季節の移り変わりとともに冬の寒さから開放されたとばかりに咲乱れる。
その頃発達しながら通過する日本海低気圧の強い南風が、満開の桜花を一夜にして散らせてしまうこともある。
こんな時は、関東近海に高い波を作り海難事故が続出する。
春一番の語源は、対馬海峡付近に漁場をもつ壱岐・対馬の漁師たちの間から出た言葉といわれているが、安政6年(1859年)の春の嵐により多くの仲間が遭難し、春になり、一番初めに吹く強い南風に名を付け、今でも昔の遭難した人たちの供養をしていると聞いている。
春一番の気象現象は、海陸とも各地に被害をもたらすもので、昭和53年(1978年)の2月28日から3月1日にかけて吹き荒れた日本海低気圧は春雷を伴い、前線通過による突風や竜巻により、東京地下鉄の東西線が、荒川の鉄橋の上で車体2輌が脱線転覆し、多数の負傷者を出している。
「春の海ひねもすのたりのたりかな」など、実に長閑かで穏やかな海を表現した俳句だが、一度春の嵐が襲来すると大変である。統計的にも年間の暴風日数は3月と4月頃が一番多く、春の天気は決して穏やかでない。
*南西から北東に雲が早く逃げたら春の嵐
*乱れ雲が、どんどん集まれば悪天の前ぶれ
*たてかえしがなぎると、吹き返しに注意
*しおて(細氷)が降ると天気・風共急変
*南よりの風吹きつのると沖合は大時化
*一発雷は、突風の知らせ
*春の南風は天気の崩れる前ぶれ
*春の南風、雨降らず、風強くなる
*春に3日の晴なし
*春の雷強風を呼ぶ
*大風の明日は好天
以上のことわざは、だいたい春の嵐に伴うものである。
天気図の型を参考に掲載すると、春一番、春・嵐と呼ばれる気圧配置は、昔も今も変わることなく、関東地方ではこんな時、まず、温暖前線が通り南の暖かい強風が入って春の訪れを知らせるかに見えるが、風向きの急変や突風現象による風害、そして、寒冷前線通過による強風の吹き返しなど、危険を多くはらむ気圧配置である。
図3-10 春一番の天気図
毎日交わす挨拶で「今日は良いお天気ですね」とか、「このところ暖かくなりましたね」と言った気象に関する言葉が使われており、手紙の中でも同じように、「春暖の候」とか「初夏の風もすがすがしい頃」等々時候の挨拶から始まる言葉が多い。
日本人の生活の中には、それだけ気候が密接に関わりを持っているからである。
関東地方南部で体験することは、移動性高気圧の中心が何処へ進んでくるかで大きく変わる現象が、次の気圧配置になったときである。
一般的に現われる移動性高気圧で、日本列島を広く帯状に覆っている。
ここに掲げた天気図は、10月中旬に現れる気圧配置で、このような気圧配置は11月、12月にも現れ、穏やかな好天になれば小春日和と呼ばれるものである。この小春日和の小春とは陰暦の10月のことで、今の太陽暦になおすと11月の末頃となり、冬の木枯らしの吹くまえの温和な一日の天気を喜んだ言葉である。
図3-11 A天気図(某年10月11日)
A天気図を見ると、移動性高気圧の中心に入っている西日本は快晴である。このまま天気は西から変わるものと考えると、関東地方の明日の天気は、雲の少ない晴れの予報をしたくなる。B天気図はどうだろう。
図3-12 B天気図(某年10月12日)
高気圧の中心が一つ三陸沖に出て、後ろからまた高気圧が追い掛け広く帯状となっている。
しかし、関東南部では北寄りの風で雨が降り気温も低い。
このような状態になるとき生まれたことわざに次のものがある。
*朝焼けは雨
*春、秋の東風は雨
*春こち雨やまず
*こちが吹くと雨になる
*朝の朝焼け、むこ泣かせ
*朝虹は雨
*朝、東の空に黒雲があると天気崩れ
*東北東の風が吹いて、雨の降り続くときは時化となる
*東が曇り冷たい風は雨をはこぶ
*朝の北東風は雨具の用意
*東風に小雨をともない海鳴りするときは時化てくる
*朝焼けは三日と持たぬ
移動性高気圧は好天ベースが多いのだが、関東南部では、高気圧の中心の位置により大きく天気の変化が見られる。5月の五月晴れ、この言葉は陰暦皐月晴れからきているので、4月頃の快晴を表現している。
この頃、良く晴れた夜明けは、大地の放射冷却による霧の発生があり、作物への影響が多く見られ、八十八夜の別れ霜などの言葉も残っている。
これは、移動性高気圧の中心が関東地方にあるときで、好天のわりに別の被害も生じさせている。
初冬の小春日和と同じ型を示しているが、この高気圧の中心が偏れば、関東地方では天気図の型が北高型になり、悪天の現象が生じ、天気予報を大きく外すこともある。これは高気圧を囲む等圧線の縁に入るからで、A天気図にもこの現象となる高気圧の縁には関東地方は曇り北陸地方では雨が降っている。しかし、西日本は快晴状態で風も吹かず、まさに小春日和の好天である。そして翌日の天気図Bでは高気圧の中心の一つが三陸沖の海上に去り、次の移動性高気圧の中心が、前日は東シナ海北部の黄海にあったものが、日本海南部に移動している。関東地方の天気は、三陸沖海上から吹き込む湿った空気の流入の影響で雨になった。しかし、西日本は好天の持続である。
関東地方に及ぼす型を北東気流型といっているが、北東気流型でも色々な気圧配置がある。高気圧の中心がオホーツク海にあって、冷たい空気を流し込んでいる北東気流型は、東北六県や関東地方に冷害現象を与え、瑞穂の国は減収となり、死活問題にまで発展する恐ろしい気圧配置である。昭和63年(1988)の冷害は、著しく米や蔬菜類に被害を与えた記憶も新たな出来事であった。
*ヤマセの出船は雨具と厚着
*ヤマセが吹くと天気が悪い
*ヤマセが続くと時化になる
*ウシトラ風(北東方向)は寒い雨
この「ヤマセ」の言葉は全国的に使われているが、それぞれ所により風向が異なり、風の吹いてくる方向に山が存在している場合、山を背にして吹くので「ヤマセ」と呼んでいる。北海道地方では北東風を「シモヤマセ」、東風を「ホンヤマセ」、南東風を「ヤマセ」と使い分けている。
伊豆の海岸線は、複雑なリアス式海岸をなし、多くの入江をもっている。これらの入江は、西国と東国を往来する船の風待ち港、避難港、食料や水の補給港として重要な位置を占めている。
相模や東北風(ならい)で石廊崎(いろざき)や
西風(にし)よ
間(あい)の下田が追(だし)の風
これは里謡「下田節」の一節であるが、このように伊豆沖の風向きは複雑・微妙な変化をみせるので、帆船は上り下りのたびに伊豆の港で風待ちをしなければならなかった。順風にうまく乗れば
伊豆の下田は朝山まけば
晩にゃ志州の鳥羽の浦
と伊豆から志摩まで一気に直航することができたが、一方日和が悪ければ10日も20日も風待ちしなければならない場合もあった。
(伊豆水軍物語/永岡 治 著より)
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