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第14回目 1994(平成6)年
入港 2月21日(月)午前7時
前港 マニラ
クルーズ名 世界一周クルーズ
出港 2月21日午後11時59分
次港 鹿児島
記事 入港時激しい風雨
この年の横浜港 3月政府が横浜港地域を輸入促進地域(FAZ)に指定
4月日本鋼管、浅野船渠での修繕業務から撤退を表明
4月横浜生糸取引所創立100周年記念式
12月鶴見つばさ橋開通
この年の年間貿易総額が全国第2位。27年ぶりに全国1位から転落。第1位は成田空港
この年の社会 関西国際空港開港
 
第15回目 1996(平成8)年
入港 1月30日(火)午前7時
前港 ホノルル
クルーズ名 世界一周クルーズ
出港 1月30日(火)午後6時
次港 大阪
記事 日の出とともに入港
大さん橋に約1万2千人の見物客
この年の横浜港 5月本牧ふ頭BC突堤間第1期埋立工事完成、コンテナヤードとして供用開始
7月大黒海づり公園オープン
8月大黒ふ頭に横浜港流通センター(Y-CC)開業
10月新山下貯木場埋立着工式
この年の社会 「海の記念日」が国民の祝日「海の日」になる
2002年サッカーワールドカップの日韓共同開催決定
 
第16回目 1997(平成9)年
入港 3月1日(土)午前8時
前港 マニラ
クルーズ名 世界一周クルーズ
出港 3月2日(日)午後2時
次港 神戸
記事 2日大さん橋に2万5千人、山下公園とあわせると5万5千人が出港を見送る
2日は船内一般公開。定員40組80人のところ応募5524通(138倍)
この年の横浜港 6月行政と民間団体による「使いやすい港づくり推進協議会」設立
7月本牧で油タンカー、ダイヤモンドグレースが座礁、原油流出
12月みなとみらい21地区のドックヤードガーデン「旧横浜船渠第2号船渠」が国の重要文化財指定
この年の社会 ロシアのタンカー、ナホトカが日本海隠岐島沖で沈没。重油大量流出
香港返還
クルーズ客船おせあにっくぐれいす海外売船
 
第17回目 1998(平成10)年
入港 3月1日(日)午後1時
前港 大阪
クルーズ名 世界一周クルーズ
出港 3月2日(月)午後6時
次港 香港
記事 1日は雪まじりの雨のなか入港。2日は好天
1日船内一般公開。100人定員のところ138倍の応募
1日に飛鳥、2日に英客船オリアナが入港。いずれも世界一周クルーズ
2日は世界一周クルーズ客船が3隻停泊したこともあり、平日にもかかわらず37万人の人出
客船3隻同時入港の経済効果は約12億円(横浜港振興協会推計)
英客船入港により、山下公園で英国フェア開催
この年の横浜港 9月横浜ベイサイドマリーナ(金沢区)第1期地区グランドオープン
この年の社会 日本郵船、昭和海運を合併
横浜ベイスターズ、38年ぶりに日本一
 
第18回目 1999(平成11)年
入港 3月4日(木)午後3時頃
前港 青島(中国)
クルーズ名 世界一周クルーズ
出港 3月5日(金)午後8時
次港 名古屋
記事 5日に船内見学会実施。募集100人のところ2万4399人の応募
乗組員と横浜市職員による親善サッカー試合開催。5-2で横浜市職員チームの勝利
4日の見物客約4万人
5日は6万5千人の見物客
この年の横浜港 6月横浜開港140周年
9月輸入促進の中核施設横浜ワールドポーターズが新港ふ頭にオープン
9月みなとみらい21地区新港ふ頭街開き
この年の社会 大阪商船三井船舶、ナビックス・ラインを合併
2002年のサッカーワールドカップ決勝戦開催地が横浜に決定
 
第19回目 2004(平成16)年
入港 3月1日(月)午前8時
前港 アプラ(グアム)
クルーズ名 世界一周クルーズ
出港 3月1日(月)午後7時
次港 鹿児島
記事 先に入港していたドイツ客船ドイチェランドと並んで大さん橋に停泊
2隻の客船が停泊していた1日は5万6千人が大さん橋を訪れる
QE2とドイチェランドのそれぞれの乗組員チームと横浜市民チームがサッカーの親善試合をみなとみらいサッカーパークで行う
この年の横浜港 2月地下鉄みなとみらい線開通
4月横浜ベイブリッジ下層部の一般道路、国道357号線開通
7月横浜港が「スーパー中枢港湾・京浜港」として、東京港・川崎港とともに国土交通省から指定を受ける
この年の社会 国内で79年ぶりに鶏インフルエンザ発生
BSE(牛海綿状脳症)で米国産牛肉輸入禁止
アテネオリンピックでこれまでで最高数のメダル(37個)獲得
 
※このデータは、「Yokohama Port News」(横浜市港湾局)、「よこはま港」(横浜港振興協会)、「マリタイム・ミュージアム・ニュース」(横浜マリタイムミュージアム)、「横浜港の140年」(横浜マリタイムミュージアム)、「横浜港史」(横浜市港湾局)、各社新聞記事、クルーズパンフレットなどを参考に島宗が作成しました。
 
クイーンエリザベス2略年表
年代 記事
1958 (昭和33) 大型ジェット旅客機ボーイング707が初就航。北大西洋航路の客船利用者数が初めて航空機利用者数を下回る
1959 (昭和34) キュナード社がクイーンメリーの代替船計画Q3計画(大西洋定期航路用客船建造計画)を発表
1963 (昭和38) キュナード社の会長交代によりQ3計画が白紙となり、新客船計画(クルーズにも使える大西洋定期航路客船建造計画)Q4発表
1964 (昭和39) 4月入札によりジョン・ブラウン造船所(スコットランド)が2543万ポンド(約256億円)で新客船建造を落札
12月キュナード社がジョン・ブラウン造船所と新客船建造契約を結ぶ
1965 (昭和40) 7月ジョン・ブラウン造船所の4番船台で第736番船として起工
1967 (昭和42) 9月20日進水。エリザベス女王が命名する
1969 (昭和44) 4月20日竣工
5月2日ニューヨークへ向け処女航海。5月7日着
1971 (昭和46) オランダ領アルバでシーワイズ・ユニバーシティー(前クイーン・エリザベス)と生き合い、汽笛で挨拶をかわす
1972 (昭和47) 改装。ボートデッキのナイトクラブを模様替えしてクイーンズグリルが設けられる。またスポーツデッキにペントハウス・スイート増設
1973 (昭和48) イスラエル建国25周年記念クルーズの最中に地中海でアラブ・ゲリラによる爆破予告
1975 (昭和50) 最初の世界一周クルーズ。サウサンプトン発着92日間東廻り世界一周クルーズ
3月7日横浜初入港
1978 (昭和53) 船底塗装を青に変える
1982 (昭和57) 4月フォークランド紛争勃発。5月徴用命令によりフォークランドへ
6月サウサンプトンへ帰港。徴用解除。船体をライト・ペープル・グレーに、煙突を赤に塗り替える
1983 (昭和58) 船体塗装をもとのチャコールグレイにもどす
1986〜87 (昭和61〜62) ドイツ、ロイドヴェルフト造船所で大改修工事。蒸気タービンからディーゼル電気推進へ換装。煙突が大きくなる。スクリュープロペラ交換。4月引渡し
1989 (平成元) 3月〜6月横浜博覧会で横浜港へ長期停泊。ホテルシップとなる
1990 (平成2) 7月キュナードライン150周年記念行事の一環として、かつてのキュナード本拠地であるリバプールへ初入港。7月27日にはエリザベス女王夫妻を迎えての記念観閲式にも参加
1994 (平成6) ドイツのブローム・ウント・フォス社ハンブルグ造船所で大規模な改装工事実施
1995 (平成7) 2月阪神大震災により神戸寄港できず大阪へ。97年3月震災後初めて神戸に入港
1996 (平成8) 11〜12月に約1800万ドルをかけてSOLAS規定適合工事を含む改装工事をサウサンプトンで実施
1999 (平成11) キュナード社がカーニバル・コーポレーション傘下に入る
2002 (平成14) 1月頃2001年9月11日の同時多発テロ以降初めてニューヨークへ。半旗で入港
2004 (平成16) 4月ニューヨーク港からクイーンメリー2とともに最後の大西洋横断航海へ出港。大西洋横断航海をクイーンメリー2に引き継ぐ
 
クイーンエリザベス2要目
建造 1969年アッパー・クライド・シップビルダーズ
(イギリス・スコットランド、前ジョン・ブラウン造船所)
船種 客船
船籍港 サウサンプトン(イギリス)
国籍 イギリス
1969年 1975年
(横浜初入港時)
2006年
総トン数 65,863総トン 66,852総トン 70,327トン
長さ 293.52メートル 293.53メートル 293.53メートル
32メートル 32.09メートル 32.09メートル
喫水 9.945メートル 9.945メートル
速力 28.5ノット
(時速約53キロメートル)
28.5ノット
(〃)
28.5ノット
(〃)
旅客定員 2,025人(定期航海)、
1,400人(クルーズ)
1,970人 1,791人
客室数 927室
乗組員 921人
船主 キュナード キュナード カーニバル
(キュナード運航)
※上記のデータは、1969年のデータは「世界の艦船 No.147」(1969年11月号)、2006年の旅客定員と乗組員はキュナード社のホームページ、その他のデータは「REGISTER OF SHIPS 1976-77」、「REGISTER OF SHIPS 2006-2007」より作成しました。


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