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「マンガで数学教育」谷川彰英
 
 谷川――私は大学のゼミで、マンガを使って授業を作ることを7年ほどやっていて、毎年いくつかの授業を開発しています。
 本格的にマンガを使って授業をするには、理数系よりも文科系の方がやりやすい感じがします。特に算数あるいは数学にマンガを使うのは難しい。しかし、『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』などの推理もののマンガをよく見ると、実に論理的な思考を働かせて謎を解いていくのです。最初は『金田一』の方を使おうと考えたのですが、現場の先生から『金田一』は人を殺しすぎるから困るというので、『コナン』に注目したのです。
 『名探偵コナン 特別編1』に「誘拐」という話があります。小学生がワイドバンドレシーバーを持っていて偶然に、娘を誘拐したという脅迫電話の声を聞く。娘の命が危ないので、コナンたちは自分たちで犯人を探そうとする。レシーバーの受信範囲は半径1キロであることと、電話の背後にかすかに聞こえた電車の音から、線路沿いに被害者か犯人がいることを推理する。さらに、電車がコナンたちのいる踏切を通過してから8.2秒後にレシーバーから電車の音が聞こえてきた。電車は時速100キロで走っているから、秒速27.8メートル、掛ける8.2秒で距離を計算する。そして、被害者のマンションにたどり着き、犯人の居場所も発見し、娘を救出するという話です。
 授業では、電車の速さと通過時間から距離を計算するところを採り入れました。たまたま私が20年近く指導してきた千葉県習志野市の小学校の近くに電車が走っていて、踏切があり、ちょうどいいところに公園があったので、実際にこの公園に犯人がいると見たてて、子供たちに犯人を探させました。これは5年生でやりましたが、マンガのコマを読むだけではなく、楽しい授業が出来ました。
 次に、模擬授業をやってみたいと思います。これから体験していただく授業は、私が開発した中では最も全国的に広まっている授業で、色々なところで行われています。
 使うのは、かわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』の一部をコピーした紙が1枚だけです。国際的な危機の中で日本の進路をどう決めていくかということで、選挙で総理大臣を選ぶため、海渡一郎、竹上登志雄、河之内英樹、大滝淳という4人の党首がテレビ討論をする場面です。
 討論の最後にアナウンサーが4人に質問をします。「今、あなたの乗ったゴムボートが遭難し漂流しています。生存者は10名。救助を求めて大海原をさまよっています。ところが、この中の1人に伝染感染病が確認されました。感染すれば死に至る病であることも判明しました。放置しておけば残りの9人全員が感染する恐れがあります。ボートが救助される見込みは、今のところありません」この状況で、党首たちはどうするかというのです。
 4人はそれぞれこう答えます。
 海渡(自分が感染者なら自分からボートを下りると言った後)「いかなる極限状況であれ、少数を殺すことはできん。ならば、全員死すべきである。政治家に“私”などあり得ん」
 竹上「なるべく早くその感染者をボートから下ろします。私はこの行動の全責任を負います。1人でも多くの生命を守ること・・・それが政治です」
 河之内「全員従うという了解を得た上で、多数決の決議を行う。政治とは、ルールを設定しそれを守るということだ。感染者が自分であれ、他人であれ同じだ」
 大滝「私は人間であることをやめない。10人全員が助かる方法を考えます」アナウンサー「それはどんな方法ですか」大滝「分かりません・・・だが、考え続けます」
 では、会場の参加者を機械的に4つのグループに分けましたので、グループごとに4人の党首になりきっていただきます。さらに各グループの中を3つに分け、それぞれ分担して他の3人の党首を批判するために意見を交換してください。
 
以下模擬授業「沈黙の艦隊」の様子
 
 谷川――それでは、第1ラウンドです。各党首に対して他のグループから批判していただきますが、但し、たくさんの事を言わず1つだけにしてください。批判に対して反論しても構いません。まず、海渡さんに対して、竹上さんから批判してください。
 
 竹上――自分のドグマを人に押し付けて死を強要しようとする姿勢は許せません。
 
 海渡――誰もが少数になる可能性がある訳です。その中でどう判断するかといえば、少数意見も尊重されるべきです。
 
 竹下――全員死すべきというドグマを持っている人について行ったら危険です。
 
 大滝――海渡さんは、全員死すべきだと言いますが、政治家である前に人間であることを忘れては困ります。
 
 海渡――少数を見殺しにすることも、人間であるから出来ないのです。
 
 大滝――それで全員死すべきというのは極論です。極力努力すべきではないでしょうか。
 
 海渡――すでに極限状態にある訳ですし、病気がすでに蔓延している可能性もあります。
 
 河之内――他の人に考える余地を与えない、海渡さんの考え方はあまりにも独断的すぎます。人の考えを少しも尊重していないのではありませんか。民主的ではありません。
 
 海渡――少数意見を尊重するのは、やはり民主的な考え方の1つです。
 
 谷川――では、次に竹上さんに対して、順番に批判をしてください。
 
 海渡――竹上さんに言うべきことは、少数者を見捨てていいのか。我々が社会的生活を送る上で、多数のために少数者、弱者を切り捨てていいのか、ということです。
 
 竹上――この場合は極限状態にあること、全員が死ぬか生き残るかの瀬戸際ですから、政治家としてはなるべく多くの人が助かるための選択として、仕方がない。結果的に少数者を殺すという選択で、自分自身が政治家としてその責任を負います。
 
 大滝――1人を下ろすということは、多数決で決めるようになると思いますが、それは人間として非常に残酷ではないかと思います。
 
 竹上――残酷だとしても、より多くの人間を救うために他の選択はありえない。また、1秒でも早い決断が必要である時には、政治家が全責任を負って決断をすべきだと思います。
 
 大滝――それを通すのは冷酷だと感じます。
 
 竹上――全体を救うためですから、冷酷ではないと思います。
 
 河之内――1人でも多くの生命を救うことが政治だとおっしゃっているが、その場合の1人には感染者は含まれないのですか。また、感染者に対する責任はどう取るのですか。
 
 竹上――マンガの絵を見るとみんな救命胴衣を着ているので、これを繋いでボートを作り患者を乗せるのであって、直ちに殺すというのではありません。患者が死んでしまった時には、責任をとって議員を辞めます。
 
 谷川――では、河之内さんに対する批判をしてください。
 
 海渡――リーダーに立候補するつもりなら、まず自分の考えを言ってください。その上で多数決ということではないですか。
 
 河之内――皆さんの考えを尊重することが、自分の考えです。
 
 海渡――みんな辛い中で自分の考えを述べているのです。自分の考えを述べずに多数決というのは卑怯だ。私(海渡)も竹上さんもさんざん批判されていますが、それでも言わなければいけないのがリーダーです。それが出来ないのであればリーダーの資質に欠ける。
 
 竹上――多数決は民主的だが、1分1秒を争う極限状態では、時間がかかりすぎて結論が出ないという最悪の事態に陥る可能性があるのではないですか。強力なリーダーシップが必要ではないでしょうか。
 
 大滝――多数決をするにはまず皆で話し合うべきですが、この場合は個人の利益を考えて、感染者が直ぐに下ろされてしまうことになりかねません。多数決をする以上は、私(大滝)のように最後まできちんと話し合いをすべきです。
 
 河之内――考え続けているのでは、直ぐには決まりません。
 
 谷川――最後に、大滝さんに対する批判をしてください。
 
 海渡――大滝さんはすばらしい人道主義者だと思いますが、この場合は10人が助かる方法を考えれば考えるほど全員の命が危なくなる。敢えて言えば、安っぽいヒューマニズムではないでしょうか。リーダーとしては決断力が必要です。
 
 大滝――政治は人間が行うものですから、ヒューマニズムを捨ててしまっては政治ではないと思います。
 
 海渡――平和時においてはそれが政治の目標ですが、極限状況ではリーダーの決断力が大事ではないでしょうか。
 
 竹上――やはり政治家として、党首として、即断即決が求められると思います。こうした緊迫した状況で考え続けることは不可能です。無責任とは思いませんか。
 
 大滝――考え続けるとは言っていますが、とにかく思い付いたことをどんどん言ってみて、一番良いものを採択すればよいでのはないでしょうか。
 
 竹上――今、思い付いたことを言ってください。
 
 大滝――先ほど言われたように、簡易的な救命ボートを作るというのは考えました。もしその人を世話する必要があるなら、その場で私が立候補します。
 
 河之内――考え続けるうちに全員に感染し、最終的に全員が死んでしまうかもしれませんから、リーダーとしてどこかで結論を出さなければいけないと思います。
 
 谷川――ここまでが第1ラウンドで、基本的に人の意見の矛盾を突いていく形です。今日は出来ませんが、この後の第2ラウンドでは、相手のことも自分のことも自由に言い合います。そして最後は、これが普通のディベートと違うところですが、個人の意見で投票してもらいます。普通のディベートの場合は、ある命題に対して議論をして、どちらが勝ったかとやりますが、私としてはそれはあまり意味がないので、むしろこの討論を通じて、自分たちの民主主義やリーダーシップ、政治、命などについて様々な角度から検討して、自分の意見が確かめられていくプロセスを大事にするという授業です。
 では、投票してもらいたいのですが、時間がないので手を挙げてもらいます。これは自分の意見で、誰がいいか選んでもらいます。白票も含めて選択肢は5つありますが、棄権はしないでください。
 
――それぞれ挙手――
 
 谷川――海渡さんが少なく竹上さんが多いですね。海渡さんのグループの人は、他を選んだ人が多いですが。
 
 海渡グループの女性――直ぐに決断するところが、納得出来ないので。
 
 谷川――白票の人もいますか。
 
 海渡グループの男性――これだけの条件が分かっている時に、感染者がじっとしているのは卑怯だと思います。
 
 谷川――なるほど、自分でボートを下りることを決めろと言う訳ですね。
 こういうことを、私自身は小学校6年生でやりましたが、やはりちょっと難しいですね。中学生でも高校生でも、学校の先生を対象にしてもいいです。どこでも出来ます。顕著な傾向は小学校、中学校前半ぐらいは、大滝さんに投票する人が圧倒的に多いです。ヒューマニズムです。例えば、開発と環境といえば、子供は環境の支持に回ることが多いです。自然を守れというのは分かりやすいからです。開発は難しいですね。同じように、どうやっていいか分からないけれど、命を守れというのは分かりやすいからです。しかし、年齢が上がって社会経験が増えると、竹上さんが多くなります。政治には決断力が必要だということですね。今日も、そういう傾向が見事に出たと思います。
 ちなみに子供たちは、中身は別にして、最初のうちは河之内や大滝のようなタイプの顔に親近感を持つらしいです。海渡や竹上は、いかにも政治家タイプですから。それはマンガの絵のイメージで、そう受け取るのですが、実際に話し合いをしていくと内容に入っていきます。
 笹本先生、この授業に対するご感想をお聞かせ下さい。
 
 笹本――大変素晴らしい授業だと思います。ただ、この場合、教材がマンガである必要があまり感じられません。今、少し言われましたが、顔立ちを描いていますから、そこで表現を持つのがマンガです。それについてはもちろん谷川先生もお考えになっていることは分かります。しかし、たまたまディベートを題材にしたマンガがあって、それを持ってきたということであって、仮にマンガでない教材であったとしても成り立つような気がします。つまり、マンガというメディアの特徴を生かしているかということです。
 
 谷川――おっしゃる通りで、マンガでなくても出来ます。しかし、マンガであるが故に、子供には情報が分かりやすいということがあります。例えば、この場面の状況設定は、言葉で言っても子供にはイメージが湧かないと思います。しかし、この絵を見れば、1分で分かります。これはマンガという絵のメディアの特性を生かしていると、私は考えています。
 最後に、日下会長のご意見を伺いたいと思います。
 
 日下――マンガを使ったことでイメージが決まってしまって、どこかに偏るといけないという意見に対しては、マンガを使わなければ各自のイメージで議論することになり、そこにはどんな先入観が含まれているか分からない。絵があることで、みんなが同じイメージで議論したことが分かる訳ですから、マンガで条件を揃えることに意味があると思います。
 
 参加者1――先週、NHKスペシャルでトラック島の話がありました。戦艦大和や武蔵がトラック島に集まるというので商船が給油に行ったが、大和も武蔵も来なかった。そして、トラック島に住んでいた女性と子供、兵士の一部を日本に帰そうとしていた船が千数百人を乗せていて、アメリカ軍に沈没させられた。そして、救命ボートにいっぱい乗って漂っている時に、女性が3人波間に漂っていたのです。救命ボートにいた18歳、19歳の兵士たちが女性たちと代わって海に入り、結局、少年たちは死んでしまったそうです。
 この授業でも、子供たちにそういう現実があったことまで話をされたらいいのではないかと思います。
 
 谷川――よい話を伺いました。ありがとうございます。
 これで午前中のプログラムを終了します。


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