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『台湾論』(小林よしのり著)  -----  金 美齢
】 こんにちは。ここでこういう方々と一緒にこういう機会を与えられたことを本当に嬉しく思っております。日本を代表する二人の知識人、中嶋先生、日下公人先生、そして、私が長年片思いをしていた李登輝前総統とこうやってご一緒できるということ、中嶋先生が先ほど「台湾で李総統と金さんが一緒にご飯を食べている。これは一体どういうことなんだ」とおっしゃった。これは今、私、いつもいつも身にしみておりました。本当に台湾は変わったんだ。我々が何十年ずっと頑張ってきた成果が今ここで実現できたんだと、そんな実感がしております。ここにお集まりの皆さんも同じ思いをしていると思います。こうやって四人のパネリストをここにそろえた東京財団の日下公人先生に心からお礼を申し上げます。そして、お集まりいただいた方々にも心から歓迎の意を述べさせていただきたいと思います。
 この台北国際会議場で日本の方が二人、台湾人が二人、日本語でパネルディスカッションをやっております。国際会議場である限りは、どんな言葉でも自由に話せるのが当たり前のことだと思います。でも、李前総統と私が日本語でお話をするということがわかったときに、ある種の危惧を述べた人がいます。「ここは台湾です。あなたたちが日本語でやると文句を言う人が出てくるのではないか」こういう心配をした人がいます。それで、私は申し上げました「だからやるのよ。だから、日本語でやるのよ。ここは国際会議場なのよ。どういう言葉でもいいはず。そのために同時通訳がついてくる。もしこれが全員英語だったら、文句を言う人はいるかしら? もうそんな時代じゃないでしょう。何語でもよろしいんじゃないでしょうか」。
 日本から来たお客さんと一緒にこのパネルディスカッションをするならば、たまたま私たちは日本語ができます。李前総統はもちろんのこと、私自身、四十数年日本に暮らしていて、日本で大学教育を受けて、四十数年、日本語を読み、日本語を語り、日本語で書いてきました。私にとって今一番表現がしやすいのは日本語です。皆さんも私が台湾のテレビ番組に出てきて、どうしても台湾語や北京語で話さなくてならない状態を見て同情してくださっていると思います。私は、そういう場合には何とか今の台湾語、今の北京語を話す努力をしています。でも、実際に四十数年も台湾を留守にしておりましたので、なかなか思うように言葉が出てこないんです。そうすると私を応援してくださる方が、私が台湾語でしゃべったり、台湾語ならまだいいんですけれども北京語でしゃべって、そして北京語のペラペラ、ペラペラできる連中に何かバッシングを受けているのではないかと思って心痛むという方がいらっしゃるんです。今日は、私、全然言葉に困りません。
 別に私が日本人だと言っているわけではないんです。言葉というものは生き物なんです。そこで長く住めば、そしてその言葉で知識を吸収し、考え、発信をしていれば、自然にその言葉が一番使いやすくなるんです。ですから、ふだん、私が台湾語に詰まったり、北京語に詰まっているのを見て私に同情してくださっている、多分、この中に大勢いらっしゃると思いますけれども、今日はどうぞ安心してお聞きください。
 さらに、ここにお集まりの私と同じ壇上に座っている方々皆さん、最高の知識人にふさわしい本をお選びになりました。私一人でレベルを下げております。でも、きっと皆さんはやっとホッとなさったのではないかと思います。これで少々ゆったりと話が聞ける。少々安心して、次の詳しい話題に備えて一服なさるということではないかと思うんです。
 実は私自身、漫画を読んだことがなかったんです。数年前、文藝春秋の『諸君!』という雑誌で小林よしのりさんと初めて対談をしました。そのときに私は率直に、「私は漫画を読まないので、だから、あなたと対談するときに何を話していいかわからないから困ります」と申し上げました。おもしろいことに小林さんは「それは当たり前でしょう」とおっしゃった。漫画を読まないのはけしからんなんて決しておっしゃらなかった。「それは当たり前でしょう。しかも、僕の漫画は字が多いということで、せいぜい東大だとか早慶の学生が読むけれども、その次の大学生も読まないんですよ」とおっしゃった。ということは、私はその次の大学生と同じレベルだと言いたかったのかもしれませんけれども。
 ですから、私は本来ならば自分の専門である英米文学の話をしなくてはいけません。ですが、一冊の本と言われると、とても困るのです。好きな本が山とあります。一緒にここに座っている方々に比べて、皆さんは最高の知識人で、すばらしい本をたくさんお読みになったのですけれども、私は皆さんと同じだということを一つ言えるとしたら、本が大好きだということです。でも、私の読んでいる本は大体、英米文学で小説だとか、演劇だとか、そういう作品が多いのです。その中で好きな本がたくさんあります。好きな作家もたくさんあります。ですので一番困るのは「あなたの一番好きな本、愛読書を一冊言ってください」とか「あなたの好きな作家を一人挙げてください」とか、とても困るんです。ただ、そのときに一番便利な方法があります。大体、シェークスピアと言うことにする。シェークスピアと言うと皆さん安心なさるし、さすが英米文学をやったインテリだと考えてくださるんです。今日、私はあえて『台湾論』を選びました。
 しかし、その前に申し上げなくてはいけないのは、日台関係でこの一冊というと、やはりこれは司馬遼太郎さんの『台湾紀行』です。その次は李総統の『台湾の主張』だと思います。つまり、台湾の主張というのは一国のリーダーが、総統である李登輝さんが、まず、日本語で書いて日本で出版したということに意味があります。しかも『台湾の主張』と銘打って、「台湾」という字を出して日本で出した。それは日台関係の上で燦然たる業績を放つ本だと思います。実は私、書評をさせていただきました。当時、まだ私は台湾独立建国連盟の人間であり、李登輝さんは国民党の総裁で中華民国政府の総統でありますのであまり褒めるわけにもいかない。かといって、けなすわけにもいかない。実際にけなすような本でもない。
 それで仕方がないから一生懸命前書きのところで、「台湾」、「台湾」ってどれだけ出てきたか数えました。一つも中華民国と言わなかった。二十幾つ、全部、「台湾」、「台湾」、「台湾」。それで一生懸命褒めました。でも、李総統、忘れて私にお礼を言わなかったんです。ある日、日本の評論家の方々と総統府へお伺いしたときに催促しました。「李先生、何かお忘れじゃないでしょうか。私、書評したのにまだお礼を言われていません」。李総統、本当ににっこりと、莞然とお笑いになって、「そうです、そうです。読みました。ありがとうございます」、すばらしくチャーミングな笑顔です。このチャーミングな笑顔が、今、私たちの台湾を代表する、そういう笑顔じゃないかと私は思っております。
 実は、この『台湾論』というのは、生みの親というのは二人いるんです。まず最初は私なんです。皆さん、それをお忘れになっていて、生みの親というのはチャーミングな笑顔に魅了された小林よしのりが書いた本だと思っております。でも、実は小林よしのりさんが台湾に興味を持ったのは私という人間と知り合ったからなんです。こんな途方もない人がいる。この人は一体どういうバックグラウンド―どういう国から、どういう風土から、どういう文化から出てきた人間だろうかという興味があって、台湾へ行ってみないかと誘われたときに行こうという。彼は忙しい人ですから、そうしょっちゅう外国へ出かけるわけにいかないんですけれども、台湾に行きませんかと誘われたときに頭にパッと浮かんだのは、ああ、金美齢さんのような途方もない人間を生んだところって一体どういうところだろう。本当にそうなんです。彼がそう言ったんです。
 ところが、李登輝さんにお会いした後、すっかり私のことは忘れてしまって、こんなすばらしい人がいる国というのは一体どういう国で、みんなは一体どういうこと、何を考えて、台湾の歴史というのは一体何ぞやというふうに考えて書いたのがこの『台湾論』という本です。もちろん、彼は日本人です。深く深く日本を愛している人間です。ですから、台湾に来て台湾を知ることによって、または台湾を調べることによって日本の若者たちに日本を考えてほしいと思ったわけです。ですから、この本の帯に書かれているのは「日本人とは何か」という問いかけです。すなわち「国家とは何か」。これは台湾にいる「台湾が好きじゃない台湾人」、「台湾が台湾であっては困る、台湾が中国でなければ困ると思っている少数の人達」にとって最大の問題点なんです。
 つまり、台湾人が一斉に台湾人とは何ぞや、国家とは何ぞやと考え出したら、彼らの主張が通らなくなります。ですから、何でこの本が彼らにそれほど忌み嫌われたかというと、この本は一人一人の人間、これはもちろん日本人に対してもそうですけれども、台湾の若者に漫画という手法を通じて、台湾人とは何ぞやという問題を突きつけたからです。つまり、「アイデンティティ」というのは、これは文化の問題である、言語の問題である、風土の問題である。さらにあなた自身が自分を何人と思うか、あなたは何人でありたいのか、あなたは何という国のために死ぬのか、あなたはどういう国で生きるのかという、そういう問題を突きつけるからなんです。
 血統ではございません。今さら血統がどうだとか、何がどうだというのは、もう十九世紀の非常に時代遅れの認識でありまして、二十世紀も過ぎました二十一世紀に入り込んだ今のこの世の中では、アイデンティティとは何ぞや、アイデンティティというのは、あなたが自分で何人でありたいかと思うことです。私の子供二人は台湾人の両親のもとに生まれてきました。日本に生まれて日本に育っています。彼らのアイデンティティは日本人です。血統の問題ではありません。彼らにとっては母国語は日本語であり、自分の生まれたところは日本であり、日本の文化の中で育ち、すべて日本の中で育っていて、彼らのアイデンティティは間違いなく日本です。私はそれを百%受け入れています。
 なぜ台湾だけがいつまでもいつまでも血統がどうであるとか、かつて私たち、四百年前の祖先はどこから来ただとか、そういう問題にとらわれなくてはならないのかということです。そういう教育の中で私たちは過ごしてきて、若い者は過ごしてきて、ずっとそれにとらわれていることに関して、この『台湾論』が大きく揺さぶりをかけた、これが統一派の人たちに最大の危機感をもたらした、あの『台湾論』の騒動であります。ここにご列席の方々全員が去年の三月の『台湾論』の騒動をご存じだと思います。そういう意味において、この『台湾論』は台湾における台湾人のアイデンティティにもう一度火をつけた本だということが言えると思います。そこにこの本の最大の存在価値があると思います。あの論争以来、つまり、ほとんど統一派の言論がメディアで喧伝されて、もう反論のしようがなくなった時点で怖いもの知らずの私が台湾に戻ってまいりまして、ある意味では一種の歴史的な転換をなし得たということ。これはもちろん皆さんがそれぞれ持っていたうっぷん、反論のしようのないこのうっぷんが、私が火をつけたことによって一遍に火を噴いた。私がマッチをつけたということで一遍に火を噴いて、そしてそれが今年の十二月一日の立法院選挙につながった。
 つまり、私たちがはっきりとアイデンティティの問題は血統じゃない、これは私たちが自分の選択で何人でありたいかという、そういうことになったということをまず私が述べ、そして、私たちの最大のスターである李前総統が出てきて、その争点がはっきりした。つまり、これは血統の問題でも、省籍の問題でもなく、これはアイデンティティの問題であるということなのです。つまり、省籍を問題にすることはタブーなのです。それは間違いなく統一派の陰謀です。彼らは少数派で、省籍の問題、血統の問題で言うと負けるんですよ。ですから、彼らはこれをタブーにしたんです。省籍の問題で言うと対立が深まってとんでもないことになりますから、絶対に言ってはいけないというのが彼らの罠なんです。それを打ち破ることができたのは、これは省籍の問題でも、血統の問題でもなくて、これはアイデンティティの問題であり、そして、アイデンティティをはっきりさせることによって将来の台湾の見通しができるということ、そういうふうに議論を変えることができたからです。そして、そのきっかけは『台湾論』にありました。
 これは皆さんお読みになっていますから、私が詳しく説明する必要は何もないと思いますけれども、そういう意味において、今、一冊選ぶとしたら、日台関係においてはまさに今、台湾のこの政治的な事情においては、また、台湾のこの現在、みんなが突きつけられている台湾人とは何ぞや、私とは何ぞや、私のアイデンティティとは何ぞやということを考える際にやはり最も必要な一冊ではないのかと思います。それで、私は知識人らしくないと言われる心配もありながらも少し虚栄心も実はあります。あなたの生涯に最もインパクトを与えた、印象を与えた本は何かと言われたときに、もうちょっと気のきいた本を本当は選びたいと思うのです。でも、あえて私は『台湾論』を選びました。というのは、私たちの台湾人にとって、この本が去年一番大切ではなかったかと思います。
 そして、最後に皆さんに報告したいのは、作者である小林よしのりさん、この本の印税が台湾元で実は二百万元ぐらい出たわけですけれども、これはまず、外国へ送金するのに二割税金をさっ引かれます。そして、さらにそれは出版社に送られて、出版社と作者の小林よしのりさんが何十%ずつ取るということになります。小林よしのりさんの素晴らしいところは、「この本がこれだけ売れたのは、これはひとえに台湾人のこの本に対する支持によるものであって、私自身が自分の収入とするわけにはいかない。ですから、私の分の印税はすべて、税金を納めた後、全額寄附します。日台交流のために使ってください。そして、金美齢さんを信用しますから、全額、あなたが使い方を決めてください」。それで、文化基金会というところへ台湾のお金で百二十八万千二百十六元を寄附していただきました。それによって私は、東京で台湾の画家の展覧会だとか、台湾の音楽家を東京にお呼びするという企画を考えております。あわせてご報告申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
中嶋】 金美齢さん、どうもありがとうございました。
 小林よしのりさんの『台湾論』は『SAPIO』に連載されているときから、我々は専門家としていろいろ文章を書く立場ですが、このパンチ力といい、一言で、いや一つの画面で今の台湾の持っている問題点、特に日本における台湾についての無認識を実によく伝えていると私は感じていました。私どもは、日本と台湾の関係が非常に深い絆で結ばれていることはわかっているつもりですが、しかし、そこで油断をしてはいけません。最近の日本の、前外務大臣の田中真紀子さんの例があるように、まだまだ台湾人の、いわば、さっき李登輝さんの話からいうと、「永遠の否定」から「永遠の肯定」に至るプロセスについて理解をしている人たちは決してまだ多くないと思います。特に政治家などはその点が非常に不十分なので、まだまだこれからやらなければいけない課題が非常に多いのです。
 そういう中で、今、「アイデンティティ」ということを金美齢さんはおっしゃいましたけれども、この「アイデンティティ」という言葉は、日本でもいい訳がなくて、片仮名で書くんです。だけど、皆さんは見事に「認同」(レントン)という言葉をつくられましたよね。これはまさにここ数年ぐらいの新しい発見、あるいは少なくとも李登輝時代の新しい発見じゃないかと思います。認同というのはとてもいい言葉ですね。自分たちが同じであるということを認め合うということですから。
 新しい国家とか国民というのは、いろいろな時代につくられるわけです。金美齢さんがおっしゃったように、血統の問題じゃありません。時代によって、国民形成というのはいくらでもあるのです。これから二十一世紀、いろいろな国がまだ世界にできるかもしれない。そういうことを予測させるような国際的な出来事がたくさんあちこちに今あります。「認同」、大陸にはそういう言葉がない。大陸の字引には、新華辞典でもないです。そんなものがあったら困るんです。「チベットはチベット」という認同を持ち始めたら大変なことになる。
 そういう意味でも、皆さんがこの言葉というものを発見したということは素晴らしいことですが、まさにその意味では、小林さんの『台湾論』はまだまだ、もっともっと日本で読まれる必要があると思っています。金美齢さん、ありがとうございました。(拍手)


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