ひとりで悩まないで――はじめに
ドメスティック・バイオレンス(DV)被害者支援は電話、面接相談での出会いから始まります。女性と子どもたちの安全・安心感を確保し、解決策を一緒に考えるなかで住まいや就職先を探し、転校手続きを済ませ、さらに離婚調停・裁判といくつもの難問題に立ち向かう。新たな生活を築いていくうえで、社会通念、ときに法律・制度も壁となって行く手を阻みます。
私たちはそうした日々の活動を通して当事者の声を受け止めながら、継続した支援のなかで女性と子どもたちはエンパワーメントし、本来の持てる力を取り戻していく姿を目の当たりにしてきました。
「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(DV防止法)」は2004年の改正を経て、都道府県ごとに基本計画が策定され、被害者支援体制は徐々にではあるが整いつつあります。2007年は第二次法改正の年。DV根絶を願う全国の女性たちの粘り強い運動が社会の根幹を揺り動かし、法改正を成し遂げてきました。
NPO法人ウィメンズネット「らいず」は2006年度、日本財団の助成のもと、支援者のスキルアップをめざすDV被害者サポーター養成専門講座に取り組みました。講座は前・後期にわけて開催し、講師はDV被害者支援の最前線で活躍する各分野の方々。DV被害者に対する有効な介入と支援、社会資源の活用とネットワークの構築をテーマに、緊急支援、法律・制度、海外の取り組み、心理ケア、子どもの虐待との関係性、加害者心理と講義内容は多岐にわたりました。
手引書は、DV被害者支援の基本事項を押さえながら、上記講座6人の講師による講義を中心に編集・収録しました。公的・民間機関を問わず支援の現場にいる人たちがマニュアルとして活用し、有効な支援システムを模索しながら当事者と共に歩み、DV被害を乗り越えていきたいというのが願いです。
現場体験と信念に裏打ちされた講義内容は、強いメッセージ性をもち、私たちは「人権」意識を一層高め、怒り、共感し合い、新たな視点を共有しました。熱意をもって講義くださった講師、手記をお寄せくださった当事者の方々に、深く感謝致します。
2007年3月
Chapter1 ドメスティック・バイオレンス DVって何?
DVって何? DV被害者支援に携わっている人たちにとっては、「いまさら」と思われるかもしれません。しかし、基本を常に頭に入れておくことは、いざ、支援活動の中で迷いが生じたときに、大変役に立ちます。また、これから支援にかかわりたいと考えている方、自分がもしやDV被害者?と思われる方には、一歩を踏み出すうえで大切な情報となることばかりです。おさらい、の意味でも振り返ってみましょう。
1. ドメスティック・バイオレンス (Domestic Violence: DV)への取り組み
1)なぜ外来語を使うの?〜DVへの国際的な対応と日本の歩み
ドメスティック・バイオレンス(DV)という言葉は、「配偶者や親しい関係にあるパートナーから女性に対して振るわれる暴力」として、ようやく日本でも市民権を得てきました。
DVを直訳すると「家庭内暴力」となりますが、あえて日本語を使わないのには理由があります。1つは、1980年代に日本で大きな社会問題となった「子どもから親への暴力」が「家庭内暴力」として広く認識されていたため、そうした言葉の使い方と混同されないようにした、ということです。もう1つの理由は、これまでも存在していたパートナー間の暴力に対して、新しい名称をつけることで、人々の関心を強く引き起こし、社会の問題として共通の認識を図ろうとした、という点が挙げられます。
配偶者やパートナー間の暴力は、最近に始まったことではありません。19世紀後半まで、イギリスには、「親指のルール(Rule of Thumb)」と呼ばれた慣習があり、夫は親指より太くないムチであれば妻を叩いてもよいとされていました。コモン・ローでは、「夫と妻は一体であり、一体とは夫である」、すなわち、妻は夫の“従属物”とされていたのです。
イギリスでもアメリカでも、「法は家庭に入らず」とされ、プライバシーとしての家族、あるいは男女関係に、法律は介入しない、という原則が長い間貫かれていました。アメリカで、DVという言葉が初めて使われたのは1970年代。女性の健康についての電話相談をきっかけにシェルター活動が始まり、DVという言葉が、シェルターの数とともに「親しいパートナーから女性に対して振るわれる暴力」という意味で、またたく間に全米に広がっていったのです。
「法は家庭に入らず」という原則は、日本においても例外ではありませんでした。男女間の暴力は、刑法上の「犯罪」とならない限り、振り向かれることがなく、被害者は密室の中に閉じ込められていたのです。しかし、女性の地位向上を目指す世界的な流れの中、1995年、北京で開催された世界女性会議で「女性に対する暴力の根絶」が行動綱領の項目に掲げられたことが契機となり、日本政府も、「女性に対する暴力」防止に向けた取り組みが迫られました。
1990年代後半、「ドメスティック・バイオレンス」という言葉が日本のマスコミにも登場し始めました。カタカナの言葉を得たことで、それまでも存在していたパートナー間の暴力が改めて着目され、世界の動きに敏感に反応した女性たちによって、「女性に対する暴力」というテーマが、社会全体として取り組むべき課題であるという意識にまで育まれていったのです。
国際社会の動きと日本
〜「女性に対する暴力」防止に向けて〜
1975年 国連が1975年を「国際女性年」と定め世界女性会議をメキシコで開催
1979年 「女子差別撤廃条約」国連総会で採択 81年に発効
1985年 「女子差別撤廃条約」日本が批准 〜「男女雇用機会均等法」成立、「国籍法」改正、「家庭科」の男女共修
1993年 「女性に対する暴力撤廃宣言」国連総会で採択
1994年 「子どもの権利条約」批准
1995年 第4回世界女性会議「女性への暴力根絶」が行動網領の1つに入る
1996年 総理府が全国規模で「男女間における暴力に関する調査」を実施
2000年 「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」成立
2000年 「ストーカー行為等の規制に関する法律(ストーカー規制法)」成立
2000年 「男女共同参画社会基本法」施行
2001年 「配偶者からの暴力防止及び被害者の保護に関する法律(DV防止法)」施行
2004年 改正DV防止法施行
2005年 都道府県「DV対策基本計画策定」
2007年 DV防止法第二次改正(予定)
1995年の北京での第4回世界女性会議を契機に、日本でも、DVの実態調査が行われるようになりました。
茨城県では、「アジアの風」ネットワークなど民間の女性団体と機関6組織が、文部科学省の助成を受け「ストップ女性への暴力」事業に取り組み、1998年茨城県内で配偶者間暴力に関する実態調査を実施しました。翌1999年には、総理府が全国初となるDVの実態調査を行っています。その結果から、全国と茨城県の実態は、ほぼ同じような傾向にあることが明らかとなり、DVが、諸外国だけの問題ではなく、この日本にも歴然と存在していることが証明されました。
総理府「男女間における暴力に関する調査」
(1999年9月〜11月に実施、2002年2月発表。
無作為抽出により既婚男女4500人を対象に実施)
夫から
「命の危険を感じるくらいの暴行を受けたことがある」・・・4.6%
「医師の治療が必要となる程度の暴行を受けたことがある」・・・4.0%
「医師の治療が必要のない程度の暴行を受けたことがある」・・・14.1%
「嫌がっているのに、(脅かされるなどして)性的な行為を強要されたことがある」・・・17.7%
これらの身体的な暴力を受けた女性に対して、
「どこ(だれ)にも相談しなかった」・・・37.8%
その理由としては
「恥ずかしくてだれにも言えなかった」「自分さえ我慢すれば」
「被害を受けたことを思い出したくない」「相談しても無駄」などが多く挙げられた。
すなわちこの調査で明らかになった実態は、
◎20人の女性のうち1人が、夫の暴力により命の危険を感じている。
◎25人の女性のうち1人が、夫の暴力により医師の治療を受けている。
◎7人の女性のうち1人が、夫から、医師の治療が必要でない程度の暴力を受けている。
◎8人の女性のうち3人が、嫌がっているのに夫から性的な行為を強要されたことがある。
ということになります。
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