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相手はほんとうに「国」なのか?
 見方を変えて多少理屈っぽく言いますと、日本のODAにはいくつかの特徴がある。
 まず第一は、国別にやっている。相手というのは必ず国家であり、政府である、というわけですね。相手が民主的な国ならいいが、そうでもない軍事独裁政権がたくさんある。それでも相手は「国」です。相手は「外務大臣」です。
 しかし、こんなのはウソっぱちです。ウソだと自分でも知っているはずです。「相手は国であって、国に対して渡したら、大統領から感謝状が来たから、さぞや有効に使われているに違いない」と言う。とんでもないことです。世界に国連加盟国は一九一ありますが、国らしいのは三〇ぐらいしかありません。後は全部ゲリラか、暴力団か山賊に渡しているようなものです、いやほんとうに(笑)。
 実際問題、相手国の立派な人は「我々は援助は要らない。そういう金をもらっても結局ムダになってしまう。それよりも、わが国で生産したものを買ってくれ。そのお金で我々は人を雇い、訓練してもっと儲ける」と言う。志のある人は、「タダでお金をもらうのはいけない」と言います。ところが、そういう立派な人がその国で偉くならなければいけないのに、お金をどんどんやるもんだから、逆に意地汚い人が大統領になっている。
 あるいは私がソ連に行ったときのことですが、「タイドローンをくれ」、つまりきっちり縛りをかけた援助をくれと向こうが言う。そのころ日本の新聞は「縛りをかけた援助は、その注文が日本の会社に来る。日本のものを買えという援助(タイドローン)はよくない。日本の業者の利益のための援助であるから感謝されない」と書いていた。ところがソ連に行ってみると、「しっかり縛ってくれ。縛ってくれないと、全部共産党の幹部がポケットに入れてしまうから」と国民が言っていた。
 だから、政府と国民は分けて考えないといけない。それを外務省は「国家対国家のつき合いです」とすましているのがおかしいのです。私は民間人ですから向こうの民間人と交際する。向こうの事業家の話が聞ける。また大学教授の肩書きがありましたから、学界の人の話が聞ける。評論家の肩書きもありましたから、言論人ともつきあえる。しかし、大使は先方の役人や政治家としか会っていない。・・・というのは極論ですが、まあ私よりは交際が狭い。その狭い範囲からの意見を日本の政治家や新聞記者に話して、これで済んだと思っている。――それを暴いた第一発がテリー伊藤さんでした。
 ただし、この反省は昔からあって、それで次はプロジェクト別になった。プロジェクト主義とは、例えばダムをつくってあげます、発電所をつくってあげます、電気がついたらみんなが喜びます。政府が転覆しても電気がつくということは、向こうの国民の幸せです――というプロジェクト主義になった。
 ところが、これもいろいろ問題が多い。プロジェクト主義になると、どうしても大きなものになりやすい。これは向こうの国民にはできない。ダムをつくる、発電所をつくる、送電線を引くといったことは、結局日本が行ってやることになる。すると向こうは感謝するが、しかし後のメンテナンスができない。
 それどころか、マニラで言うと電線を引いたら、その電線の銅線を泥棒されて、一年か二年して行くと電線がなくなっている。それでマニラの町は停電だらけ。そこで「電線がなくなったから、また援助でつけてくれ」と言う。さすがに日本もそれには怒って、「電線ぐらいは自分でつけろ。警察はきちんと見張れ」と言いました。
 このように、どこかでは断らなければいけないんです。ほうっておくと、おんぶにだっこになってしまいます。さらに言いがかりをつけて、日本人のつけた電線はすぐ取れるとか、何を言うかわからない(笑)。そういうものなんです。まだ国家になっていない、まだ文明国になっていない国とは、どうつきあえばよいのかを根本から考えねばならない。それも書き出してODA五原則に加えねばならない。
 
日本の気高さに目覚めた国も出てきた?
【質問者】 最近、麻生太郎さんが紹介している話ですが、BBCがメリーランド州メリーランド大学と共同で三三カ国の四万人くらいの調査をしたというのがあります。その中で「世界に貢献をしていると思う国」という質問に、三三カ国中三一カ国が日本を第一位にしたそうです。日本が正の貢献をしているという評価ですが、それはどう考えればいいでしょうか。
【日下】 先ほど言いましたように、だんだん相手国が目覚めて変わってきたという話に使えるかと思います。つまり、日本の援助のおかげで豊かになり、学校をつくり、多少物事がわかるようになってきた。「日本はありがたい国だが、これ以上は断って自分でやらなければいけないんだ」と目覚めた国がぽつぽつ出てきたと思っています。だから、私が言っている悪口は、昔のことを言っているということでもいいと思います。さっき言ったように、感謝しない国でも感謝するまで徹底的に援助を続けると、いつかはわかる。それでもいいと思っているんです。
 先に話した中国人の留学生も、日本人は何も考えていないということが十年目にわかったということですから、多分二十年目には「途方もなく気高く偉い国民がいる。これは阿呆ではなく気高いんだ。気高過ぎると阿呆に見える。中国人の私のほうが間違っていました」と気がつくかもしれない。彼はアメリカに行ってみて、「ああ日本というのは特別だった」と、きっと今ごろわかっているはずです。
 話を戻しますが、まず国家主義、それからプロジェクト主義。それからもうひとつは要請主義というのがあります。
 相手国から要請があったことだけする、日本から押しつけ援助はしない。これがさっき言ったイギリス、ドイツ、フランス、アメリカの押しつけ援助との違いです。白人国はものすごい押しつけ援助です、自分の植民地支配の継続が目的で、その手段です。それに対し日本は支配する気はない。あなたが幸せになってくれればいい、という気持ちです。だから「要謂しなさい、要請がないものはあげません」としているのは、一つには白人国を安心させるためです。それは気高くていいのですが、ちょっと無責任でもあります。特に日本国民の金を使っているのですから、日本国民に対する説明としては、もうちょっと積極的なことを言ってもらいたい。
 その先もう少し実情を言うと、相手国には要請する能力もない国がたくさんある。何を要請していいのかわからない。「それも教えてくれ」というのがまあ普通です。この時、外務省の人は「我が国は要請主義ですから」と言って逃げる。するとそこに食い込む民間業者がある。まずは商社。それから商社の下請けをするシンクタンクがある。国際的活動をしているシンクタンクがありまして、私はそこへ行ってちょっと働いたことがある(笑)。ほんとうに、民間のバイタリティというのはすごいと思いました。
 
かつての日本の公害問題が、これから中国で起きる
 私がしたことは、ブラジルのビトリアという町の市役所へ行って、「この町はこれから大発展するであろう」と教える。というのは、川崎製鉄がそこへ製鉄所をつくり、鉱石の積出港としての港をつくる。「だからこの町は大発展するであろう。そこで空港もつくりなさい」と市役所へ行って言うが、そんな金はない。「では我々が外務省へ行って手続きをして、日本からの援助をもらってきてあげます。だから、ここにサインだけすればいい」と、空港設計図を全部つくってしまう。
 設計図をつくるのはエンジニアで、この空港がいかに町のために役立つかという文章は私が書いた。「これを外務省に出すと、ほんとうに金が来るのか?」と言うから、「大丈夫、きます」と言ったら、市長は喜んでサインしました。
 それで外務省に要請したわけですね。「我が町は人口何万で、まもなく川崎製鉄とイタリアの何とかいう会社が共同で大きな製鉄事業をすることになっている。ひいては二〇〇〇メートルぐらいの空港が必要である。この空港ができたら利用する乗降客は三年目にいくら、五年目にいくら、十年目にいくら」・・・こんなものは私がいくらでも書いてあげます。
 さらには「ビトリアの町づくりのためのアドバイス」というのも書いた。ここには大変な伝統文化がある。それはポルトガルが来て植民地にしたとき、彼らは心が寂しいからまず教会をつくった。それから学校もつくり、図書館もつくり、というのは彼らは図書館さえあれば賢くなったと思う癖があるらしい(笑)。まあ、そういう下地があると半分お世辞で半分ほんとうで、「産業開発だけではいけない。伝統文化を保存して、知的開発をしなさい。ここへ工場がたくさん来て建つと言って喜んでいるが、風下はひどいことになる。公害が来るから公害調査もわが社に頼みなさい。そこへ頼めば公害予測調査もやってあげます」と言っても、「そんなお金はない」という返事ですから「大丈夫、日本の外務省からとってきてあげます」(笑)。
 私は、公害問題の実は草分けなんです。水俣病とか四日市とかで、原因は会社に決まっていると、その時から言っていた。日本人全体は、まだ原因不明なんて言っていましたが、私は銀行の取引先約一〇〇〇社にアンケートして、公害防除にどのくらいコストをかけているかを調べて、通産省に感謝されたこともある。まあ、その話は長くなりますから別の機会にしますが、公害問題には自信がありましたから、ブラジルでもその話をした。公害なら私に聞いてくれ、日本は先進国だから、と。しかし、それはほんとうなのです。公害になったのも先進国で、解決したのも先進国でした。
 余談ですが、今中国へ行ってみると、公害を解決するのに二十年以上かかるとわかる。その二十年間には何百万人か死ぬでしょう。それを共産党は絶対に隠してしまう、と、何から何まで手に取るように見えます。
 その時、日本の工場が悪いと言われます。悪いことをしたのは日本から来た工場であると多分言います。絶対そんなことはありません。悪いのは中国の国営工場です。しかし罪を着せられるから、化学工場は絶対行かないほうがいい。
 外務大臣とか通産大臣は進出を規制すべきです。特に化学工場は行ってはいけない、ということが国策なんです。すると中国は「なんで化学工場は来てくれないんだ」と言いますよ。その時は「こういう理由だ」と言えばいい。
 すると「中国国家を侮辱した。中国共産党を信用しないのか」と必ず言います。そのときは、イエスと言えばいい(笑)。これはもう、当たり前のことですよ。別に度胸なんか要らない。イエスと言えばいいんです。なぜだと言われたら、「日本でも同じことをしたからだ。四日市でもどこでも日本人は同じことをしたからそう言っているのであって、中国人が汚いと言っているのではない」と説明すればいいんです。
 時間になりました。この続きを聞きたければまたやりましょう。ご清聴ありがとうございました。


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