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−日中医学協会助成事業−
日中におけるヘリコバクターピロリ感染の胃発癌リスク解析
研究者氏名 東 健
所属機関 神戸大学医学部・教授
中国側共同研究代表者  均
所属機関 中国西安交通大学第二病院・教授
 
要旨
 Helicobacter pylori(H. Pylori)が胃粘膜上皮細胞に接着すると、CagAがH. pyloriから胃粘膜上皮細胞内へと注入され、上皮内でCagAがチロシンリン酸化を受け、細胞の増殖や分化に重要な役割を担う細胞質内脱リン酸化酵素SHP-2と結合する。また、cagA遺伝子はSHP-2結合部位に一致し多型性を示し、東アジア株に特異的な配列を認め、東アジア型のCagAは欧米型に比べSHP-2との結合が強いことを認めた。今回、CagAの多型の臨床的意義を解析するため、胃癌死亡率の異なるアジア地域(男人口10万対、兵庫:43.7、沖縄:18.2、中国:36.7)の菌株のCagAを検討した。兵庫株及び中国株の全ては東アジア型のCagAであったが、沖縄では胃炎株の6株(14.3%)はCagA陰性で、8株(19.0%)が欧米型、28株(66.7%)が東アジア型のCagAであった。慢性胃炎株では、東アジア型のCagAを有する株の感染例において、CgA陰性及び欧米型のCagAを有する株の感染例に比べ胃粘膜萎縮度が有意に高度であった。したがって、東アジア型CagAは胃粘膜萎縮及び胃発癌に関与することが考えられた。
 
Key Words Helicobacter pylori、胃癌、慢性胃炎、CagA
 
緒言:
 H. pyloriは全世界で人口の50%以上に感染している最も感染率の高い慢性感染症であり、慢性胃炎、胃・十二指腸潰瘍、胃癌、胃MALT(mucosa-associated lymphoid tissue)リンパ腫など多くの消化器疾患に関与している。「謎1: どうしてH. pyloriという単独の細菌感染により、病態の臭なる多彩な消化器疾患が生じるのか?」
 一方、アジア諸国はH. pylori感染率はおしなべて高いにもかかわらず、H. pylori感染が関与して生じる疾患の種類や頻度は各国により大きく異なっている。H. pylori感染は胃癌との関連が認められ、H. pyloriは1994年に世界保健機構より1群の発癌因子に認定されている。しかし、疫学的研究におけるH. pylori感染による胃癌発症のオッズ比は、約2〜23と国や地域により大きく異なる。日本、韓国、中国では胃癌の発症が極めて高いが、フィリピン、タイ、インドネシアでは極めて低い。「謎2: どうしてH. pylori感染率が一律高いアジアにおいて胃癌の発症率がアジア諸国において異なるのか?」
 このH. pylori感染の病態の民族差、「謎」、"Ethnical enigma"を明らかにすることが、H. pylori感染の病態解明につながると考えられる。H. pylori感染におけるこれら疾患の多様性に、H. pyloriの菌の多様性が関与していることが考えられる。実際、H. pyloriには遺伝子変異が極めて多いことが明らかにされ、H. pylori菌株における疾患特異性が解析されてきている。H. pyloriのゲノムは、株により大きさ自体約160万から173万塩基対(大腸菌の約44%に相当)と異なる。このことは他の細菌ではみられない特徴的な現象である。H. pylori各株は生理・生化学的に共通する安定した性状を示すにも拘わらず、数個の物理的染色体地図の比較により、遺伝子の多型性が認められ、遺伝子の相互位置も大きく異なっている。これは、高い形質転換率を持ち、外因性のDNAが導入されやすいためと考えられている。1997年にはイギリスの胃炎患者から分離されたH. pylori標準株26695のゲノムの全塩基配列が決定され、全長1667867塩基対で1590の遺伝子が認められた。次いで、1999年にはアメリカの十二指腸潰瘍患者から分離された菌株J99のゲノムの全塩基配列が決定され、全長1643831塩基対で1495の遺伝子が認められた。この2つの菌株間では、ゲノム構造は似かよったものであったが、6〜7%の遺伝子がそれぞれの株に特異的であった。この違いが、胃炎と十二指腸潰瘍という、それぞれの病態の違いに関与していると考えられている。H. pyloriはヒトの胃粘膜に特異的に接着し感染している。したがって、ヒトのこれまでの移動と共に、H. pyloriも地球上を移動してきたと考えられる。H. pyloriのゲノムを解析すると、H. pyloriのゲノムの多型性の分布が、人類の起源や移動と一致することが示されてきた。これまで世界各地の菌株370株において、8つの遺伝子を選び(7つの構造遺伝子と病原遺伝子である細胞空胞化毒素遺伝子vacA)塩基配列を解析したところ、世界中のH. pylori菌株は主に5つのグループ(2つのアフリカ株、1つのアジア株、2つのヨーロッパ株)に分けられることが報告されている。我々も、以前、世界7ヶ所の機関との共同研究により、同様な解析を行ったところ、アジア株の特異性を認めた。また、興味深いことに、H. pyloriの生存に必須の構造遺伝子よりも、vacAなどの病原遺伝子に菌株間の違いが大きいことが認められた。このことは、単にH. pyloriがランダムに遺伝子変異を起こすだけでなく、H. pyloriの生息環境や遺伝子の機能的な作用により選択的に変異が生じてきていることが示唆される。したがって、逆に変異の大きい遺伝子は病原性に関与していることが考えられる。また、H. pyloriのゲノムには本来H. pyloriのものではない外来性の遺伝子群が存在している。これは病原性大腸菌など多くのグラム陰性菌に共通した現象であり、これらの細菌では、この外来性遺伝子群を持つことで病原性を発揮することが認められており、この遺伝子群を病原遣伝子群(pathogenicity island, PAI)と呼んでいる。H. pyloriでは、病原因子の一つである細胞空胞化毒素関連蛋白(CagA)の遺伝子cagAがこのPAI内に位置しており、cagPAIと呼ばれている。H. pyloricagPAI内には、菌体内から菌体外へ、蛋白をそのままの形で放出するIV型分泌装置を構成する遺伝子が存在している。我々は、H. pyloriが胃粘膜上皮細胞に接着すると、IV型分泌装置がH. pyloriの細胞膜から上皮細胞膜へ針をさすように突き刺さり、その内腔を通してCagAがH. pyloriから上皮細胞内へと注入され、上皮内に注入されたCagAはチロシンリン酸化を受け、ヒト上皮細胞のシグナル伝達系を撹乱することを世界で初めて明らかにした(1)。また、胃粘膜上皮細胞内でチロシンリン酸化されたCagAが、細胞の分化や増殖に重要な役割を担う細胞質内脱リン酸化酵素Src homology phosphatase-2(SHP-2)と特異的に結合し、細胞の異常増殖に作用することを発見した(2)。さらに、CagAのチロシンリン酸化部位となるアミノ酸配列(E-P-I-Y-A)モチーフを同定するとともに、リン酸化チロシン残基を含むCagAのSHP-2結合配列を明らかにした。このSHP-2結合配列部位に一致して、CagAに分子多型が認められ、大きく東アジア型と欧米型の2つに分けられ、東アジア型のCagAは欧米型のCagAに比べSHP-2とより強く結合し、より強い生物活性を発揮することが認められた(3)。したがって、東アジア型のCagAを有するH. pyloriによる感染は、病原性が強く細胞障害を強く生じ、胃粘膜萎縮及び胃発癌に関与することが考えられた。
 本研究は、H. pylori感染による胃発癌における日本・中国を中心とした東アジアの特異性を明らかにすることを目的とし、日本と中国で胃癌死亡率の異なる地域において、H. pylori感染の菌体一宿主一環境相互作用、特に今回、H. pyloriの病原因子CagAの分子多型と疾患との関係を民族疫学的に解析した。
 
対象と方法:
 兵庫株65株(慢性胃炎株36株、胃癌株29株)、沖縄株67株(慢性胃炎株42株、胃癌株25株)、及び中国20株(慢性胃炎15株、胃癌株5株)のcagA遺伝子の塩基配列を決定するとともに組織学的解析を行った。西安からZhao Ping医師を神戸大学に2007年1月から3ヶ月間招へいし中国株と日本株のcagA遺伝子解析の比較を行った。また、研究代表者の東が2006年9月に西安を訪問し、現地の研究者との間でH. pylori感染と胃癌についての中国と日本の違いについて議論し、Jun Gong教授とJia Ai医師が2007年3月に来日し、中国のH. pylori感染の現状と今後の展望について議論した。
 
結果:
 兵庫株及び中国株の全ては東アジア型のCagAであったが、沖縄では胃炎株の6株(14.3%)はCagA陰性で、8株(19.0%)が欧米型、28株(66.7%)が東アジア型のCagAであった(表1)。慢性胃炎株では、東アジア型のCagAを有する株の感染例において、CagA陰性及び欧米型のCagAを有する株の感染例に比べ胃粘膜萎縮度が有意に高度であった。興味あることに、兵庫の胃癌株全て及び沖縄のほとんどの胃癌株が東アジア型のCagAを有していた。また、沖縄の十二指腸潰瘍株11株、胃癌株13株のcagA遺伝子の全塩基配列を決定し、系統樹解析を行ったところ、胃癌株が東アジアの群を形成し、十二指腸株は欧米の群に位置することが示された(図1)。
 
表1: CagAの多型と疾患
胃炎由来株 胃癌由来株
CagA陰性 東アジア型 欧米型 CagA陰性 東アジア 欧米型
兵庫 0 36 29 0 29 0
沖縄 6 28 8 0 23 2
中国 0 15 0 0 5 0
 
 
考察:
 本検討により、東アジア型のCagAを有するH. pylori感染と胃癌との関連が示唆された。例外として、沖縄の胃癌株で欧米型のCagAを持つ2株の、E-P-I-Y-A繰り返し部位を検討したところ、1株はA-B-C-CとCが2回、もう1株はA-B-C-C-CとCが3回繰り返された特異な欧米型であった。欧米型のCagAでもSHP-2結合部位が繰り返されているとSHP-2との結合も強くなり、東アジア型のA-B-Dに近い働きをするものと考えられる。したがって、CagAとSHP-2との結合が胃粘膜萎縮及び胃発癌の病態に関与することが示唆された。沖縄県が日本で最も胃癌の発症が低い理由の1つとして、以上の菌株の違いが関与していると考えられる。また、少なくとも沖縄では、胃癌と十二指腸潰瘍という異なった病態において、感染しているH. pyloriの菌株が異なることが示唆された。
 
参考文献:
1. Asahi M, Azuma T, Ito S, Ito Y, Suto H, Nagai Y, Tsubokawa M, Tohyama Y, Maeda S, Omata M, Suzuki T, Sasakawa C. Helicobacter pylori CagA protein can be tyrosine phosphorylated in gastric epithelial cells. J Exp Med 191: 593-602, 2000.
2. Higashi H, Tsutsumi R, Muto S, Sugiyama T, Azuma T, Asaka M, Hatakeyama M. SHP-2 tyrosine phosphatase as an intracellular target of Helicobacter pylori CagA protein. Science 295: 683-686, 2002.
3. Higashi H, Tsutsuini R, Fujita A, Yamazaki S, Asaka M, Azuma T, Hatakeyama M. Biological activity of the Helicobacter pylori virulence factor CagA is determined by variation in the tyrosine phosphorylation sites. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 99: 14428-14433, 2002


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