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四 競艇誘致の動きと誕生
(競走会創立総会開催まで)
 昭和二十六年五月、前述の通り第十国会で、モーターボート競走法案が成立した時、この新聞記事を見た矢野栄氏(当時市議会議員、現佐賀県モーターボート競走会専務理事)は唐津市議会副議長、殿川勇氏を市役所内議長室に訪ね、記事を示して競艇誘致を進言した。その内容は「現在の所競輪誘致はまだはっきりした見通しが立っていない、仮に競輪場を建設するとしても相当の敷地を必要とする。この敷地は農地買収という事になろうが特に食料生産を必要とする今日問題があろう。それより唐津の自然の海を生かす事の出来る競艇の方が適切でもあり、且つ実現の可能性は強い」という意見であった。殿川副議長はその見解に同意し誘致工作に努力する旨を回答した。また競艇の推進母体となるべき競走会は県に一ヵ所に限定されるとの事であるからこの設立は急を要するものとして両者協議の上、昭和自動車株式会社社長金子道雄氏(当時唐津商工会議所会頭、佐賀県議会議員)を再適任者としてこれが設立推進を懇請する事となり、殿川副議長は当時大名小路に本社があった昭和自動車株式会社に金子社長を訪ね、競艇場誘致問題と競走会設立について懇願したのである。
 その時金子社長は一言のもとに「面白い、やって見ようじゃないか」と快諾されたという。そこで当時金子社長の秘書であった中島太氏(故人、唐津市小、中学校校長歴任後、佐賀県モーターボート競走会専務理事、辞任後唐津市教育委員長)が金子社長の意をうけて専任となり、設立準備事務を担当し、発起人選定の運びとなったのである。
 一方殿川副議長、矢野議員は競艇誘致について積極的に議会関係の説得工作をなした。(その頃議会関係では既に競輪誘致運動が盛んであったことは前述した)
 これに対し唐津市執行部としても競艇事業誘致について検討する腹を決め昭和二十六年七月二十七日唐津市長清水荘次郎氏は、競走場指定について上京、運輸省と折衝、施設関係資料を集め八月四日帰任し、六日には唐津市議会緊急協議会を開催しモーターボート競走場設置案を可決、直ちに正式書類を作成の上申請手続を取る事に決定した。
 なおかねて金子昭和自動車社長の下で準備進行申の競走会設立について意見の調整を行ない積極的に協力することが決定された。かかる情勢下に昭和二十六年八月七日には第一回競走会設立準備委員会が開催され次の通り設立準備委員が決定された。
設立委員長
金子 道雄(昭和自動車株式会社社長 佐賀県議会議員)
設立委員(唐津市)
諸岡庄治郎(唐津商工会議所副会頭)
馬渡 雄二(松浦通運株式会社社長)
宮崎 芳郎(唐津市議会議長 唐津新聞社社長)
殿川 勇(唐津市議会副議長)
森口 猛一(唐津市議会議員 大東水産株式会社社長)
森次源太郎(唐津市議会議員 松の井旅館主)
花田 繁二(唐津市議会議員 花田家具店主)
宮崎 治吉(醤油製造業)
矢野 栄(唐津市議会議員 唐津商工会議所事務局長)
岸川 欽一(唐津商工会議所専務理事)
浦田 喜市(唐津市議会議員)
設立委員(佐賀市)
谷口 定王(佐賀市議会議員)
山下 永夫
木塚 常雄(佐賀市議会議員)
吉富 伸之(佐賀商工会議所専務理事)
同(伊万里町)
橋口 四郎(伊万里町長)
福田 四郎
力武 寅吉(伊万里観光協会長)
火塚 正人(伊万里信用金庫理事)
(敬称略)
 
 以上の二十名が選任された。
 なお同日の委員会では次の事項が決定された。
1 会員一口五千円とし四〇〇口二百万円を基金とする。
2 佐賀、唐津、伊万里の地区別に地元有志相図り、広く会員の募集を行なう。
3 設立準備事務所を唐津市木綿町唐津猟友会内に置く。
 ついで第二回委員会が昭和二十六年八月二十九日開催され左の事項が討議決定された。
1 佐賀県モーターボート競走会の設立趣旨について
2 同 定款の審議
3 会費口数の割当(唐津六、佐賀三、伊万里一の割合決定)
4 役員の地区別割当の決定
 会長は全員一致で金子道雄氏が推薦されたが副会長以下の役員については次の通り各地区別にそれぞれ選任することに決定された。
副会長 三名 唐津一、佐賀一、伊万里一
理事長 一名 会長に一任
専務理事 一名 唐津
常務理事 一名 佐賀
理事 三〇名 唐津一七、佐賀九、伊万里四
監事 三名 唐津一、佐賀一、伊万里一
5 競走会設立申請手続 会長一任と決定
 以上に基き事務局に於て作成中の書類が完備され、昭和二十六年九月二十日付で社団法人佐賀県モーターボート競走会設立許可申請書が佐賀県知事経由山崎猛運輸大臣宛提出された。なおその申請者代表として次の六氏が選ばれた。
唐津地区代表金子道雄氏、諸岡庄治郎氏、宮崎芳郎氏、岸川欽一氏、佐賀地区代表永倉次郎氏、伊万里地区代表永石八郎氏
 上の申請に対し昭和二十六年九月二十一日佐賀県知事鍋島直紹氏が運輸大臣宛設立申請副申を付し、九州海運局を通じ運輸大臣に送達された。
 その後設立委員会は早急に会員を確保する必要から、その中心となる唐津地区で更に協議会を開いて唐津地区会員募集の方法が検討され、次の各氏が責任者となり十月二十日までに完了するよう十月九日申し合せが行なわれた。
 募集責任者次の通り。(敬称略)
金子道雄、山田秀夫、馬渡雄二、宮崎芳郎、森口猛一、殿川勇、森次源太郎、浦田喜市、花田繁二、坂本融、久保勇、諸岡庄治郎、久保幸喜、大河内等、宮崎治吉、坂巻敏夫、岸川欽一、矢野栄、中島太 以上十九名
 昭和二十六年十一月七日には第三回の設立委員会が開催され次の報告がなされた。
1 昭和二十六年十月二十七日に競走会設立の件が運輸省審議会を通過した旨の報告があり今後の運営について協議された。
 昭和二十六年十一月十四日付で佐賀県モーターボート競走会設立が認可された。
 なお同年十一月二十四日に運輸大臣の認可書が到達直ちに創立総会の準備が行なわれ、昭和二十六年十二月一日には第四回設立委員会が開催され創立総会開催に関する件が協議された。
 創立総会は昭和二十六年十二月十五日唐津市昭神小路唐津神社彰敬館で開催された。
一 会員総数二六六名(出席者一一三名、委任状一〇五名、計二一八名、欠席四八名)
一 議題 1 定款の承認(原案通り可決)
2 役員の選任
 当日選任された役員氏名次の通り。(敬称略)
理事 会長 金子 道雄(唐津)
〃 副会長 永倉 次郎(佐賀)
 同 諸岡庄治郎(唐津)
 同 永石 八郎(伊万里)
理事長 久保 幸喜(唐津)
専務理事 中島 太(唐津)
常務理事 谷口 定王(佐賀)
理事 岩永 喜六(伊万里)
同 花田 繁二(唐津)
同 殿川 勇(唐津)
同 力武 寅吉(伊万里)
同 大河内 等(唐津)
同 大塚 正人(伊万里)
同 渡辺 三人(唐津)
同 吉村 謙一(佐賀)
同 吉富 伸之(佐賀)
同 久保田正二(佐賀)
同 中尾 市輔(佐賀)
同 浦田 喜市(唐津)
同 納富 武雄(佐賀)
同 矢野 栄(唐津)
同 馬渡 雄二(唐津)
同 坂本 融(唐津)
同 木塚 常雄(佐賀)
同 岸川 欽一(唐津)
同 宮崎 芳郎(唐津)
同 宮崎 治吉(唐津)
理事 森次源太郎(唐津)
同 森口 猛一(唐津)
同 角田 敏雄(佐賀)
監事 坂巻 敏夫(唐津)
同 北島 常一(佐賀)
同 満江 光次(伊万里)
 以上の通り役員の決定を見、いち早く競走会は活動体制を整え、モーターボート競走の実現に踏みきったのであるが肝心の唐津市執行部は未だに消極的態度を持し、実現への歩みは遅々として進まず、当時前途なお遼遠の感があった。これに対し、議会側としては早期実現には積極的で常に清水市長の尻たたき役を果していた事は否めない事実であった。


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