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施行の胎動
 昭和二十七年二月二十五日の新年度予算の審議において初めてモーターボート競走の施行について取り上げられ、野党より次の質問があった。
 「次にモーターボート競走の実施についてお尋ね申上げたいのであります。知事は、このモーターボート競走につきましては、最初非常に意気込んでおられたようにも聞いているのでありますが、最近では、細則が出てから他府県の行きかたにならってと、慎重を期しておられるということでありますが、四月には細則が出ることは確実でありまして、すでに長崎県ではその工事に着手しておられまして細則が出るのを待って第一回の挙行をすると待機しているということであります。
 本県は全国いずれの地よりもこのモーターボート競走には立地条件が具わっておりまして、なおこの競走は全国各地どこでも出来るというものではないのでありまして、かような意味合いから、こんどの予算にも、いつも赤字の出ている地方競馬に対して予算を組んでおられますが、むしろこれらのものよりも急速にこのモーターボート競走場を施設される意図はないのであるか、これに対する知事の御意見を承りたいと思うのであります。」
 この質問に対し知事より次のような答弁があった。
 「モーターボート競走の問題について御質問でありましたが、モーターボート施設につきましては、目下あらゆる方面を調査研究いたしております。これは一たび施設をいたしましても五千万円あるいは六千万円というような巨額な費用を要するのでありますからして、慎重なる上に慎重を期していくことが適当であると考えております。
 御承知のように法案は通り、施行細則も出ておりますがまだいずれの県もいろいろな面からこの問題を検討いたしております。できるならば他府県の施設を見てからとも考えておりますけれども、あるいはそういうようなこともいかがとも考えますし、また全国的に琵琶湖というものが非常な魅力をもっているわけで、連合会方面でも、なるべく早く滋賀県が施設をしてほしいというような期待をもっていることはもっているのでありますが、それだけに慎重に調査研究しているわけで、なるべく早い機会にそういう施設をやってみたいという考えをもっておりますことを申上げてお答えといたしておきたいと思います。」
 
競走場建設費および施行についての議案を提出
 事業課においては連合会、競走会ならびに建築課と緊密な連繋の基に施設の構想をたて、三月二十五日、施設の建設費として議第四二号をもって「昭和二十七年滋賀県モーターボート競走事業経営資金歳入歳出予算四千九百拾万円」を提案した。
 次いで三月二十七日、議第五三号をもって「モーターボート競走事業実施について」の議決を求めた。
 県議会においては活発な質問があったが、二十七日総務部常任委員会は委員会終了後現地を視察、二十九日常任委員長より全員一致して可決する旨の報告があり、同日両議案とも可決された。
 
競走場建設
 昭和二十七年度に入り建築課は競走場の設計を日建設計工務株式会社に委託、四月二十四日設計完了、翌二十五日建設業者十一社により入札を行なった結果、観客スタンドおよび投票所は吉田建設株式会社、本部および選手控室ならびに艇庫その他附属施設は株式会社伊藤組、拡声装置等電気工事は近畿電気工業株式会社、電話設備工事は東京電気興業株式会社、発信準備信号機、着順表示盤等は富士通信機製造株式会社がそれぞれ落札した。
 結果総工費は、四九、〇六〇、八一二円となり、直ちに着工、七月十日竣工を目標に昼夜兼行の突貫工事が開始された。
 
開催に要する予算の提案
 事業課においては開催に要する予算を積算、五月二十四日定例県議会に、議第五七号をもって一九三、三〇七、〇〇〇円の昭和二十七年度滋賀県モーターボート競走経営資金歳入歳出追加更正予算、議第六十一号として滋賀県モーターボート競走条例が提案された。
 この時、陳情第七号として、大津市立皇子山中学校PTA会長より騒音に関して議会に陳情があった。五月二十六日、知事と議員との間に次のような質疑、応答が交わされた。
 「次に、同じような問題でありますが、近く行なわれようとしておりますモーターボート競走に関してであります。これは先般の議会において防音装置の必要ということが論議されている。そうして当局からも、その点十分考慮し適当な処置を講ずるというお答を頂戴してあったと思うのでありますが、近ごろ拝見いたしておりますと、現に大津市の教育関係方面からもこの点を特に陳情して参っております。
 さような状況を考え、またその競走が実施される日が迫っているということを考えますと、先般お約束を願っておりますところの防音装置に関する施設というものが、現実にどのような手が打たれているのか、これはできることならば、教育方面その他の心配を取除きたいと思う心から申上げるのであります。」
 知事答弁「モーターボート競走に関する重ねての御心配でありますが、このモーターボート競走によって生じますところの消音なんかの具体的な問題としては、まだ県は取運んでおりません。
 いろいろこの問題につきましてはモーターボート競走会においても考えていると思いますが、私ども承るところによりますと、かねても申上げましたようにある程度の消音をすることができるであろうということでありますので、今後ともこういう面につきましてはできるだけ研究して、そういう消音ができるならばこれをやらせるようにしていきたいと考えております。」
 「今回特別会計におきましてあのモーターボート競走事業の運営資金として二億二、〇〇〇万円という数字が表われているのであります。
 このモーターボート競走が社会風教上いろいろの問題の集点であることにつきましては、前回の県会におきましてるる各位から申し述べられましたので省略するといたしましても、本県におきましてはさきに競馬の事業で赤字を出し、そうして競輪あるいは今またモーターボート競走であるとか、非常に知事は、こういうふうな射倖的な事業と申しますか、もっと端的にいえばバクチ的な事業でありますが、そういうことが非常にお好きなように考えられるのであります。
 そうしてこういうふうなことで得た金でバランスを合せていくことが、果してそれが健全財政であるかどうかということを私考えましたときに、これは数字の上では一応健全財政であるかもわかりませんが、その性質そのものは甚だ不健全財政であるといわざるを得ないと思うのであります。 (「然り」)
 われわれは少くとも適当な税源から適当な税によって、そうした若しも事業を起こすならば、適当な健全な事業によって得たところの収入をもってやっていくことこそ本当の健全財政であろうと思うのであります。
 こういう問題について、知事はこの健全財政というものをどうお考えになるのかお伺いいたしたいと思うのであります。」
 知事答弁「これはすでに皆さんの御決議を願いまして目下工事が進行中でありますモーターボート競走場も、大体予定の期日に出来上りますので、これが施行に伴う予算を計上いたしたわけであります。
 なお、健全財政は知事が考えているようなものが果して健全財政かというお話でありますが、県民の個人の経済ということとかけ離れまして、私は消極的かもわかりませんけれども、まず県民の負担能力の許す限度において事業計画を立てるのが当然である。むやみに赤字を出して、そうして事業のみをやりましても、それは憂いを今後にのこすことになりまして、財政不安である、かように考えているわけであります。
 なお、競馬であるとか、あるいは競輪であるとか、あるいはまたモーターボート競走、こうした一部射倖心をそそるような事業につきましては、もとより私は双手を挙げて賛成しているものではないのであります。
 この事業そのものが財政に寄与せしめるところの精神をもって立法されておりますので、多少の弊害はあり得ると私も思いますが、今日の場合やむを得ないと考えまして、この施設をやって予算を出している次第でありますから、これまた一つ御了承を願いたい。
 決して知事はそういう射倖心をそそるような事業には双手を挙げて賛成しているものじゃない。
 苦しまぎれに地方財政の財源を得るためにやっているのだということを御了承願いますれば、知事のやっていることが必ずしも健全財政でないとはいい得られないと、かように考えておる次第であります。」
 五月二十九日の本会議において両議案とも可決され、競走条例は滋賀県規則第十八号として五月三十一日から施行いよいよ開催施行の体勢が整った。
 
三市に施行の指定
 さきに大津市、彦根市、長浜市より申請されたモーターボート競走施行の指定について次のように通知があった。
地財委財第五六四号
昭和二十七年七月十日
地方財政委員会事務局財務部長
滋賀県知事殿
モーターボート競走法第二条第一項の規定に基く市の指定について
 昭和二十七年六月十四日地第三七二号をもって進達のあった貴管下大津市、彦根市、長浜市の標記の件については昭和二十七年七月十日附地方財政委員会告示第三十三号をもって指定されたので、通知する。なお、当該指定市に対してその旨を示達せられたい。
地第三七二号
昭和二十七年七月二十二日
滋賀県総務部長
大津市長、彦根市長、長浜市長殿
 モーターボート競走施行者指定についてさきに申請のありました標記のことについて、七月十日附地方財政委員会告示第三十三号をもって指定された旨通知がありましたから御了知願います。
 
初開催
 初開催は七月十八日からの三日間と二十五日からの三日間計六日間と決定され、以後県、三市交互に開催することにとり決めされた。大津市民の一部には市内島の関に選手養成所もあり、レース形態について知るものもいたが、大半は未知の者が多いのは当然であった。
 しかし、競艇場な競輪場往復の途中にあり、競輪ファンの間では好奇心も手伝い話題の中心であった。
 宣伝は、おおむね競輪の例にならったが、重点を京都市内におき、飛行機による宣伝ビラ、招待券の撒布、連日に亘る広報車による街頭宣伝等により前景気は上々であった。
 七月十七日、諸般の準備も完了し、県、競走会、連合会は深更に至るまで綿密な打合せを行ない明日に備えた。
 明けて十八日、早朝よりの打上げ花火とともに、高松宮殿下のご台臨を仰ぎ華々しく開催された。午前十一時には三、七〇〇名収容のスタンドは満員となり、当日の入場人員は八千名を越えた。
 しかしながら、売上げは六日間計一九、九一三、一〇〇円と思いもかけぬ結果に終った。
 レース内容は、競輪、競馬と著しく異り、わけてもレースは、フライング、出遅れ、エンスト、転覆等が多く、競輪、競馬により培われたファンの感覚にマッチせず、モーターボートレースに対する期待が大きかっただけに、また失望もより多く、年々売上げが上昇する競輪に比べ、逆に減少する傾向を示し、関係者の懸命の努力もむなしく、低迷状態を続けるのみであった。
 
初開催当時のびわこ競走場


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