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東京都
首都の復興
 東京は、あの悲惨な戦争によって、都市の大半はみじめな廃虚に変り、その様相は一変したが、新しい平和日本の首都として、この焼土の灰の中から復興第一歩を進めたのである。その戦災による被害は実に罹災者約三〇〇万人でこれは昭和二〇年一月の都人口の五一%にもあたり全国罹災者総数の三五%を占め、住宅七六万八千戸、小学校一万一千二百教室、都電、都バス九百車両、病院などの医療施設一万五千床などであった。
 この戦災の復旧と基本的施設の最低限度の整備に向って努力した結果、昭和二八年三月現在の施設の状況と昭和一八年とを比較すれば、住宅八五%、小学校六七%、都電八三%の回復ができ、更に上廻って回復されたものは、水道施設、都バス、社会福祉施設、医療施設、保健衛生、市場その他であった。
 このようにして、当初の目標が完成の域に達しようとしてきている中にあって、東京都の人口は年々増加の一途をたどり巨大化する過大都市として今日多くの都市が持っている大都市行政の諸問題が提起されつつあったのである。
 即ち、人口増にともなって起る交通・上下水道・住宅・道路・保健衛生・学校の増設等、その行政需用は膨大なものとなってきたのである。
 さらにまた、単に必要な施設の建設というだけではなく一歩進んで美しく住みよい首都の建設という声が都民の間から叫ばれるようになり、都市公害対策、都市美化対策等にも着手することとなった。
 首都としての政治的・経済的・文化的な機能を建設整備するとともに、美しく住みよい首都の形成に向って力強く発展しつつあったのである。
都営モーターボート競走の施行に至るまで
 モーターボート競走法(昭和二六年六月一八日法律第二四二号)が成立するや同年七月九日「モーターボート競走会及び全国モーターボート競走会連合会の設立並びに監督に関する規則」が制定され、昭和二六年七月三〇日には船機第八一号をもって、都道府県知事宛に「モーターボート競走会の設立について」の通達が出され、競走会の設立について指導がなされ、都道府県知事の副申書を添付して許可申請をすることとなった。そして、審査にあたっては、モーターボート競走法の趣旨にかんがみ、その構成員は有識達見の人であり、真に信頼して競走の実施を委任することができるものであるかどうかに関する意見及び理由を記載するように指導された。
 東京においても、競走会の設立準備が行なわれ、東京都に対し、東京都モーターボート競走会設立許可申請に対する副申添付方依頼が発起人代表、元衆議員議員中島守利代表で申請があり、都は調査の結果、適当と認め副申を運輸大臣(山崎猛)宛提出した。(昭和二六年八月二〇日)。
 その後、昭和二六年一一月一四日付をもって設立許可があり、ここに、東京都モーターボート競走会が発足し、いよいよ競走の実施の準備の第一歩が踏み出されたのである。
 一方、競走法の成立によって、昭和二六年八月二八日、運輸省令七七号「ボート、モーター、選手、審判員及び検査員登録規則」が定められ、ボート・モーターの規格と選手・審判員及び検査員に関する資格、決定手続が決められたのにつづいて、第二段階として、昭和二六年八月運輸省告示第二〇一号「モーターボート競走場登録規格」、昭和二六年一一月一九日には「モーターボート競走場建設指導方針」が示され競走場の建設にあたっての審査基準と手続がきめられた。
 ここにいよいよ競走場の建設を進めうることとなり、更に具体的な実施の段階へと進んでいったのである。
 一方、東京都議会財務委員会は、昭和二八年三月三〇日「モーターボート競走実施方早急議決に関する請願」を採択、更に、同日の都議会においても同件に関し、これを実施するよう議決されるに至り、都の執行部においても昭和二八年四月一四日庁議を開き、都の財源を確保し、併せてモーターボートの性能の向上等品質の改善、事業の振興、海事思想の普及及び観光事業等に資する目的で、都営モーターボート競走を施行することを決め、五月一九日都議会に議案を提出、議決され、東京都は、競馬・競輪に次いでモーターボート競走も実施することとなったのである。
大森競艇場の誕生
 モーターボート競走法に基づく、都営モーターボート競走の施行並びにその競走場については、他に申請者もなかったところから平和島で行なうことに決定をみたので、都はこれに基づき平和島の用途変更について運輸省の承認をうけて競走を実施することとし、申請者大森水上レクリエーション株式会社に対し昭和二八年七月一五日(財事発第四一六号)をもって、競走場の建設について次の事項を履行条件として承認したのである。
一 平和島の連絡橋は、大森水上レクリエーション株式会社の負担において架設すること。
二 競走場に必要な施設は、昭和二六年八月二八日運輸省告示第二〇一号、モーターボート競走場登録規格に合致するものたること。
三 競走場建設に関連する一切の問題は、大森水上レクリエーション株式会社の責任において処理すること。
四 法律の改廃、その他の事情により、建設に支障をきたした場合は、都は責任を負わない。
 そこで、大森水上レクリエーション株式会社は、都から公有水面の埋立をなす権利の譲渡を受け、昭和二八年一一月一日付をもって全国モーターボート競走会連合会に競走場の建設について、事前審査請求を提出した。
 その後、昭和二九年二月一九日に至り昭和二九年八月末までに完成させるという条件付で、事前審査決定があり、いよいよ、競走場の建設に着手できることとなったのである。
その他の競走場の建設計画について
 昭和二八年四月八日舶工第五四号「モーターボート競走場建設指導方針及び承認審査基準について」によれば、東京都は競走場の数を二ヵ所と制限されたが、このころ、大田区平和島の外、葛飾・江戸川の二ヵ所からおのおの都営競走場建設の要望がなされ、都においては、それぞれ審議したところ、いずれも競走場建設指導方針に示された条件を充分満たしうる適地であったので、方針(四)の趣旨に従って、二ヵ所以上の建設が可能であるかどうか、運輸省船舶局長に紹介したところ、次のとおり回答があり、三ヵ所の競走場の建設の要望が出たのである。
“モーターボート競走場の数の制限について”(回答)
昭和二八年七月八日
首題について左記のとおり回答する。
 昭和二八年四月八日舶工第五四号「モーターボート競走場建設指導方針及び承認審査基準について」の方針(四)は、一都道府県における競走場の数が同方針(一)に示す数を超えんとする場合においても、立地条件その他特殊事情をしんしゃくして適当と思われる場合には競走場を新たに建設することを認めることがあるという趣旨である。
 しかしながら無制限に競走場の建設を認めるものではない。従って、競走場は審査基準に適合しておれば、審査の結果によっては方針(一)に示す数を超えて建設可能の場合があり得る。
 その後、一〇月三〇日の都議会において、江戸川、葛飾両区から提出された「モーターボート競走場誘致に関する請願」が採択議決されるに至り、これが建設準備が進められることとなり、東京都競艇施設株式会社においては、昭和二九年五月一日付をもって連合会に競走場事前審査申請を提出、また、葛飾区も事前審査の提出準備を進めていた。
 ところが、昭和二九年六月九日運輸省令の改正により、一施行者当りの年間開催回数に制約を受けることとなり、当初の計画は挫折することとなったが、都はこれに対し昭和二九年八月二八日、省令の改正方について再度陳情を試みたのであるが、昭和二九年一二月二日付で(舶工第二四二号)運輸大臣名にて東京都主催の競走について使用する競走場は、既設の大森競走場及び別途承認予定中の江戸川競走場の二競走場の外は、承認しないとの回答と同時に、モーターボート競走法施行規則の一部が改正され(昭和二九年一二月二日運輸省令第五七号)、東京都にあっては、年二四回、月二回とすることとなり、東京都の開催はこの二競走場で行なうことが出来ることとなったのである。
 このことについては、その後、昭和三二年六月九日に省令が改正され一施行者の年間開催は再び年一二回、月一回となった。


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