五 初開催
昭和三十二年、阿左美水園競艇組合営モーターボートレースは皐月賞レースをもって幕開けされた。
次に掲げたのは水園組合と桐生市との共同広告である。この頃は桐生市営と合同で四日を一節に組んで開催した。広告内容からみてファン送迎用のバスが桐生市内からだけしか運行されていなかった模様である。
開会式には、運輸大臣宮澤胤勇氏、船舶局長山下正雄氏外、三ヵ町村にとって忘れることのできない自治庁長官田中伊三次氏をはじめ竹腰知事等総勢二百十六名の招待者の臨席を得て、笠懸村助役関口実氏の司会により成功裡のうちに催されたのである。
以来十年余、阿左美水園競艇組合歴代の関係者による努力は、関係自治体である桐生市をはじめ施設会社、競走会等の機関と協力し合いながら年々その実績を挙げてきている。
昭和四十三年の今日、おそらく十年以前には想像すらつかなかったであろう競艇事業の収益金は、町や村をうるおし、さらに、近代技術の発展と相俟って老朽校舎の解消、住宅難の解消そしてさらに、農村地帯の生活を守るための畑地灌漑事業・文化・福祉事業等、開催当初計画した一連の事業の完成を目標に一日として休むことなく地方自治行財政の中に生き続け、今後も生き続けてゆくことであろう。
(以下参考資料)
阿左美水園競艇組合
歴代管理者・副管理者・議長 名簿
◎管理者
就任年月 |
氏名 |
昭和三十二年三月
昭和三十五年七月
昭和三十九年七月 |
籾山琴次郎
高橋盛一
木村寅太郎 |
|
○副管理者
就任年月 |
氏名 |
昭和三十二年三月
昭和三十四年四月
〃
昭和四十二年四月
〃 |
北村吉三郎
新井 整
今井新次
新井 整
福田清平 |
|
○議長
就任年月 |
氏名 |
昭和三十二年三月
昭和三十四年四月
昭和三十六年五月
昭和三十八年六月
昭和四十二年五月 |
赤石吉太郎
遠藤金平
福田宗作
石原正八
橋場利藏 |
|
年度別売上高・入場人員調
年度\事項 |
売上高 |
一日平均 |
入場人員 |
備考 |
32 |
円
195,024,600 |
円
4,643,442 |
人
64,482 |
開催日数42日 |
33 |
228,903,200 |
4,769,664 |
69,401 |
〃 48日 |
34 |
294,898,600 |
6,269,970 |
67,178 |
〃 |
35 |
372,576,500 |
7,763,261 |
91,868 |
〃 |
36 |
507,264,400 |
10,569,258 |
103,900 |
〃 |
37 |
609,926,200 |
12,706,920 |
104,640 |
〃 |
38 |
700,031,900 |
14,583,997 |
113,250 |
〃 |
39 |
1,048,849,200 |
21,566,273 |
140,379 |
〃 |
40 |
1,513,786,600 |
31,537,220 |
175,571 |
〃 |
41 |
1,747,659,700 |
36,409,577 |
189,987 |
〃 |
42 |
2,449,615,000 |
51,033,645 |
205,875 |
〃 |
|
|