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昭和三十二年三月五日
 かねて笠懸村から要請のあった同村の競走実施について同意。
昭和三十二年四月十九日
 競走場施設執行本部、番組編成室、警官詰所、報道関係室焼失。
 五月二十一日、二十二日阿佐美水園競艇組合主催によるレースが行なわれる。たまたま笠懸村外二町による阿左美水園競艇組合が設立され、三十二年五月度より競走を実施したが、六月度より市の二日を組合側に割愛して市営二節十日、組合営一節四日の日程で交互に組合せ競走を実施することになった。
 また、競走場沼の養鯉魚獲のための排水により、三十二年及び三十三年の二月度は競走を中止し三十四年二月度は一節四日の競走を実施した。
昭和三十二年七月一日
 四月十九日に焼失した執行本部竣工。階下に特別観覧席を新設。
 桐生競艇一周年記念レース開催
自 十月三十一日
至 十一月 五日 六日間
十月三十一日選手入場式兼記念式次第
一 開会
二 国旗掲揚
三 施行者挨拶
四 選手宣誓
五 海運局長祝詞
六 全モ連会長祝詞
七 感謝状贈呈
笹川良一氏へ
酒井利雄氏へ
八 祝電朗読
九 万歳三唱
十 閉会
 一周年記念レース第六日目、優勝レースに賞状及び賞品並に入賞選手
第十二レース((1)P)優勝レース
第一位 選手 松本 稔
全国競走会連合会会長賞
関東海運局長賞
桐生市長賞
群馬県競走会長賞
外 三点
第二位 選手 田宮和美
府中市長賞
外 二点
第十一レース(KR)優勝レース
第一位 選手 三津川 要
群馬県知事賞
群馬県議会議長賞
全国施行者協議会会長賞
執行委員長賞
外 三点
第二位 選手 松居正男
箕面市長賞 外二点
 
一周年記念レース売上金額及入場人員
月日 曜日 売上金額 入場人員 備考

10月31日
11月 1日
2日
3日
4日
5日







3,822,200
4,542,900
4,821,700
7,770,000
4,905,700
5,840,100

1,707
1,572
2,028
5,157
1,793
2,407

(1日12レース・出場選手39名)


←売上最高記録
 
昭和三十三年六月
 桐生競艇施設(株)、関東開発(株)に名儀変更。
昭和三十四年
 桐生市第一回の交付金納付(七月度)。
昭和三十五年一月二十九日
 競走水面の阿左美沼は、潅漑用貯水池として、護岸石積み等を調べるため、年一回放流することとなっており、この日から排水に着手したので、二月度開催は八日間となり六日間が休催となった。
昭和三十五年八月一日
 競走場において、モーターボート連盟より教師を招き、第一回水上スキー講習会を開催。
昭和三十五年十一月十八日
 桐生市開設四周年記念競走を開催。
昭和三十六年一月
 排水、魚獲、貯水等を研究検討の結果三十三日間にて完遂、桐生市、組合念願の二月度完全施行。
昭和三十六年七月八日から七月十二日
 第七回関東地区選手権大会行なわれる。招待者三〇〇名選手四〇名(女子二名を含む)優勝レースでは一着の深川功選手(埼玉)に次いで、終日善戦の女流レーサー佐竹文子選手(埼玉)の二着が印象的であった。
昭和三十六年七月二十三日
 内陸県群馬県に海事思想の普及をはかるため、群馬県モーターボート水上スキー連盟を創立、会長に中曽根康弘氏が就任、結成式を榛名湖において行なう。
昭和三十七年
 七月 施設会社との借上契約の改訂を行なう。
 八月 第一回少年少女のモーターボート競技大会を開催する。
昭和三十七年九月八日
 ファンサービス謝恩芸能大会を桐生市産業文化会館にファン四、〇〇〇名を招いて開催。
昭和三十八年五月三十一日から六月四日
 第九回関東地区選手権大会を行なう。招待者四〇〇名、選手四一名(地元群馬八名)、優勝レース、一着、渡辺研選手(神奈川)。二着、地元の早瀬薫平選手。三着、宇秋辰男選手(神奈川)であった。
昭和三十八年六月五日
 神戸港沖合において「ときわ丸海難事故」で死亡した地元選手八木茂、上村重敏両氏の葬儀を競艇場において、桐生競艇合同葬をもって営む。
昭和三十八年八月二十日
 第二回少年少女ゴムモーターボート競技大会を開催。
昭和三十九年七月二十三日
 第三回少年少女ゴムモーターボート競技大会を周辺小学校二、〇〇〇名を招き四日間競走場にて開催。
昭和三十九年
 九月、桐生市産業文化会館において、ファンサービス行事を行なう。招待者数四、〇〇〇名。
昭和四十年五月三十一日
 ファン四、〇〇〇名を招き、ファンサービス謝恩芸能大会を桐生市産業文化会館にて開催。
昭和四十年六月十七日から二十二日
 第十一回関東地区選手権大会開催。参加選手四二名。賞品数は百数十点、初日から賞典レースを行なう。
 優勝、加藤俊二選手(埼玉)。二位、開要人選手(東京)。三位、篠崎優選手であった。
昭和四十年八月
 第四回少年少女ゴムモーターボート競技大会を周辺小学校二、〇〇〇名を招き四日間競走場にて開催。
 九月十六日
 桐生市、阿左美水園競艇組合予想業者に登録制をとり、仮許可証を交付。
 十月十五日 桐生競艇予想営業規定を制定する。
 十月二十七日
 ケーニヒモーターの性能テスト開始される。
 十一月二十五日
 ファン一、〇〇〇名を招き、ファンサービス謝恩ボクシング大会を前橋スポーツセンターにて開催。
 十二月二十四日
 予想業二三名に営業を許可し、登録を行なう。
昭和四十一年
 二月一日
 ドイツ製ケーニヒモーター発表紹介レースを実施する。
 四月八日 一日に四レース、ケーニヒモーターを使用したレースを行なう。
 五月二十二日
 ヤマトモーターさようならレースを桐生市営にて開催。
 六月二日 競艇界注目のうちに、ケーニヒモーターを全レースに採用する。
 九月一日
 桐生市開設十周年記念競走開催。
 十一月一日
 群馬県競走会三山寮選手宿舎として使用を開始。
昭和四十二年
 一月十七日 施設改善工事として大スタンドの建築に着工。
 三月二十一日 オーナーにおいてKBI型の国産モーターを制作、四月以降の全レース使用を目標にレースに登場好成績を収めた。
昭和四十二年三月二十三日
 ケーニヒモーターさよならレースを桐生市営にて開催。
 四月 KBI型を「ふじ」と命名、レースを開催する。
 五月一日 スタンド等改修工事完成する。
昭和四十二年六月二十九日
 桐生市営にて施設改善特別競走初日開会式において、両施行者及び競走会より施設改善につき関東開発(株)酒井利雄社長表彰を受ける。
 六月二十九日から七月四日 施設改善レースを開催。
 八月三十一日から九月五日 開設十一周年記念レースを開催する。
 九月三日 一億円を越える売上新記録を樹立した。
結び
 桐生市における産業の発展は、従来の織物業の他、各種繊維産業(縫製、刺繍等)に加えて、近年は機械金属工業の著しい伸長により年々生産額が増高、業界一体となっての海外、国内の新市場の開拓とあわせて繁栄の道は広く開かれている。
 総面積百三十二平方粁を越える我が桐生市の都市開発についても、市民のセンターとしての産業文化会館の建設にはじまって以来、着々と進められる公共施設の建設、各種団地の造成、また中央商店街の中高層ビルの造成工事等市民生活の向上を願っての総合的な街づくりが着々と進められているのである。
 
桐生競艇売上金額・入場者数の年度別表


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