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海の子ども文学賞部門佳作受賞作品
げん爺の白い帆船
季巳 明代(きみ・あきよ)
本名=今釜涼子。一九五三年、鹿児島県生まれ。保育士。第二十一回毎日童話新人賞優秀賞。第十九回ニッサン童話と絵本のグランプリ佳作。第二十回アンデルセンのメルヘン大賞優秀賞。第三十四回ジョモ童話賞優秀賞。第十五回新美南吉童話賞特別賞など。鹿児島県出水市在住。
 
 「きれいだぁ」
 漁のとちゅう、かなはふと手を止めて海面を見つめ、思わずつぶやきました。さっきまであおく光っていた海は、いま夕陽に照らされて金色にかがやいています。
 秋の日のけた打たせ漁は、町のカレンダーや絵葉書に使われるほどの美しさなのです。
 かなは五歳のときに、げん爺の家にやってきました。げん爺は、かなの祖父です。
 事故で両親をいっぺんに亡くし、母親の実家に引き取られました。突然一人ぽっちになったかなを、げん爺とおじさん家族は大事にかわいがってくれました。もう六年もたちます。
 げん爺のもう一人の孫で、一つ年上のあつしとは、喧嘩をしながらも仲良くやっています。
 「女は船には乗せんど」
というげん爺を説得してくれたのは、あつしです。今では、あつしと同じように船にのりげん爺のけた打たせ漁を手伝っています。
 手伝うといっても子どものことですから大したことはできませんが、げん爺の話し相手くらいにはなります。
 あつしの家は、名護のちいさな港のそばにあります。八代海の南を中心に長く続く海岸で、遠浅のお椀のような形をした所です。
 一寸法師の船のような小さなお椀が、ちょこっとあるだけなので、地図には載っていないと、げん爺が言っていました。
 けた打たせ漁というのは、白い帆を張った船で、風のちからと潮のちからだけを頼りに網を引きまわし、砂にもぐっている魚やエビを獲る方法です。
 海の底を網で曳きながら漁をするので「底曳網漁法」とよばれています。
 エンジンの音をたてずに静かに漁をするのは、漁民どおしの大昔からの約束なのだそうです。
 げん爺の若い頃は景気がよくて、どこの家でも、一軒に一隻は船を持っていて漁にでていました。漁に出れば必ず大きな水揚げがあったのです。
 けれども今は、だんだん漁をする船が少なくなって、漁師をしている人はわずかしかいません。それも、漁師だけではなく別の仕事もしながら続けている人がほとんどです。
 海が埋め立てられたり、海の水がだんだん汚くなって、魚やエビが少なくなってきたからです。
 船を出して、エビの収穫がわるければ燃料代にもなりません。
 採算が取れないので稚エビを育てることが必要になってきたのです。
 文字網と呼ばれる、目の細かい網で砂地を囲い、そこで稚エビを育てます。
 ところが、文字網は台風がくるといちころです。ひとたまりもありません。
 苦労をして文字網をかけ、稚エビを飼ったのに、採算がとれない上に台風でやられては踏んだりけったりです。
 げん爺のような、ベテランの漁師がいる家は、まだすくわれますが、そとで勤めながら漁をしている家は、文字網が流されても片づける人手もありません。
 今では、稚エビを文字網で飼っているのは、げん爺だけになってしまいました。
 何とかしなければ、と漁協の寄り合いのたびに話題になりますが、人手のいることなので、いつも立ち消えになります。
 漁師の中には、げん爺のことをかげでわるくいう人もいるらしいのです。
 「言いたい者には言わせとけばよか。わしは欲得で、文字網をしているわけじゃなか。
 寒い冬の荒仕事は、だれも好んでやりゃせんとよ。わしらは、海にすむ物の命をもらって生きとっと。そのありがたさを決して忘れちゃならん。
 先人から教えられた、何百年も続く伝統の漁を守ることは、海への恩返しじゃと思うとっとよ」と、げん爺はいつも言います。
 あつしの家は、父親が町の修理工場に勤めに出ているので、船に乗るのはげん爺だけです。
 もう七十歳をとっくに過ぎているので、海にでるのをやめてほしいと、あつしの父親は思っているのですが、昔かたぎのげん爺は、がんとして言うことをききません。
 「よそでは、養殖が盛んになったが、わしの目が黒いうちは、このけた打たせ漁の歴史を絶やしちゃならん、て思うとっとよ」
 げん爺は、ふしくれだった手で焼酎をのみながら、そう言うのでした。
 クルマエビを焼いて市場に出すのは、あつしの母ちゃんの仕事です。
 焼き方はとてもむずかしくて、ちょっとの火の加減で商品にならなくなるので、さすがにこれは手伝うことができません。亡くなった婆ちゃんに特訓をうけたのだそうです。
 「はじめて焼いた時は真っ黒でね。しっぽもヒゲも足も燃えてしもたとよ。婆ちゃんに、あんたはほんと、ぶきっちょかね、て言われて泣くこともあったいよ」
と、母ちゃんは笑いながら話します。
 「ええっ、母ちゃんが泣くて? そんなしおらしかとこが、あるんね」
 あつしがからかうと、
 「そりゃ母ちゃんだって、昔から、こんなじゃなかよお。けど、母ちゃんの真っ黒に焼いたエビでだしを取って、婆ちゃんが雑煮を炊いてくいやったのよ。嫁がはじめて焼いたエビじゃっで、品はないけどうんまかねぇ、て言うてね。えらいうれしかったよ。はじめはうまくいかんけど、だんだん上手になっとよ。かなちゃんにも、そのうち教ゆうからね」
 母ちゃんはしんみりと言い、思い出したように仏壇の前に座って手を合わせました。
 「けど、もういつまで出来るかわからんね。
 エビも前のように獲れんごとなったし。エビ漁だけでは、食べていけんしね。焼きエビの加工する者も、このへんじゃ、母ちゃんだけやもんね。そのうち、爺ちゃんも船に乗らんごとなるやろし・・・」
 「なんね、母ちゃんらしくもなか。おれと、かなが居るじゃないね。」
 あつしが励ますように言うと、母ちゃんは「そうじゃんね」と、ため息をつきました。
 けた打たせ船でのクルマエビ漁は、十月から、冬の間じゅう続きます。
 漁に一番向いているのは、風速三メートルから五メートルくらいの風がある日です。
 げん爺は、北の方角に向かって立ち、一度目は、目をつぶって風の加減を見極めます。
 長年の勘です。そして、二度目は、人さし指をキュッとなめて、空にかざすのでした。
 すると、風のふき方がよくわかるのだそうです。かなも真似をしてみますが、さっぱりわかりませんでした。
 それでも冬の海は冷たく、沖に出ると、北風がひゅるひゅると吹きすさびます。そんなときげん爺は、
 「お前たちゃ、きょうは、家におれ」
と、かなとあつしを休ませようとしますが、
 「冬に、北風が強かとはあったいまえじゃ」
 ふたりは平気な顔で船に乗るのでした。
 「げん爺、どうして夏場のように、さし網で漁をせんと?」
 かなは、いつか尋ねたことがありました。
 さし網は、網で魚をからめ獲る漁法です。
 力もいらず道具も簡単にそろうので、けた打たせとは大ちがいです。船にのって帆を張るのは、並たいていのことではありません。
 「砂の上をピンピンしてるのをつかまえればエビも傷つかんけどな。夏場はそいでよか。けど、エビは冬眠すっとよ。寝ているエビをそっと起こしながら獲らにゃいかんでな。そんためには、けた打たせしか手はなかっよ」
 獲れたてのクルマエビは、淡いグレー色をしていて黄色みがかったあしがあり、からだに黒い円のような模様が、頭からしっぽまでついています。
 ピチピチとはねると、そこらじゅうに潮が飛び散り、目をあけていることも出来ないほど威勢がいいのです。
 でも、この瞬間が、かなは大好きでした。
 砂地にもぐって眠っていたところを、ふいに起こされて、びっくりしたようなエビの目は、まるであつしが驚いた時の顔に似ているような気がしました。
 「ね、あっちゃんも、おじちゃんみたいに大きくなったらどっかに勤めにでると?」
 「そんなことは、まだわからんよ」
 「ふーん。あたしは、げん爺と一緒にずっと船に乗る。船に乗ってけた打たせを続ける。
 そして、おばちゃんに焼き方をちゃんと習って、いい焼きエビを作る。じゃんじゃん売って、おばちゃんを楽にしてあげたいと。今までお世話になったから」
 「げん爺は、そんなに長くは船にのれんよ。そいに、エビはだんだん少なくなって、おれたちが大きくなる頃には、もう、けた打たせ漁なんて、化石になってるよ」
 「あっちゃんは現実的やんね。あたしは、そうは思わん。無くなりそうだから、このまま無くしちゃいかんとよ。守らな、いかんとよ
 そうは思わんとね?」
 かなは、自分がムキになっているのがわかりました。
 ずっと昔、まだ、この家にきて間もない頃のことをかなは思いだしていました。


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