四
二学期になって初登校すると、クラスの空気にいままで感じたことのない違和感があった。昼休み、藤井良平が意味ありげな微笑を泛べてやってくると、
「田中くん、きみはチャムスとええことしたそうやな」
といって、すぐに去っていった。
根も葉もないことやと思うけど、と前置きして、幸太が教えてくれた。英男がチャムスの娘とええことをしたという噂がひろまっているという。噂の火元は藤井らしい。英男はひるまなかった。なぜなら、英男は世界の秘密を握っているからだ。英男は悪びれることなく英姫(ヨンヒ)と会おうとした。会う機会は減ったが、それは新学期が始まったからである。
水温が下がるにしたがい、チャムスの潜水時間が短くなり、焚火の前で休憩する時間のほうが長くなった。潮待ちの時間を持てあまし、英姫は磯金(ピチャン)を巧みに使って砂の像をつくった。それは、丸い帽子をかぶったじいさんが、両手で腹を抱いて座っている姿のように見えた。
トルハルバン、といって済州島の村によくある、魔除けの石像だと英姫は説明した。英姫に負けまいと大きなトルハルバンを作ると、チャムスたちが来て、よくできていると口々にほめてくれた。
やがて潮が満ち、波が打ち寄せ、砂の像を崩した。それを眺めながら、もう夏は終わったのだ、と英男は思った。そして、あることを決心した。
英姫を写真に撮ろうと、無断でカメラを持ち出したのである。恥ずかしがる英姫を砂浜の岩陰に立たせ、慄える指でシャッターを押した。三枚が限度だった。几帳面な父親は枚数を記憶しているかもしれなかった。父親はいつか八幡浜の本署に行って、鑑識でフィルムを現像するだろう。雷が落ちることはまちがいない。
それが何だ、と英男は思った。十五歳の英姫は、いま撮っておかないと、永遠に消え去ってしまう。一方、もう一人の英男は心の片隅で別のことを考えていた。来年、もしも英姫が来なかったら・・・。だが、これは予感というものではなかった。英男は英姫の写真がほしかったのである。
そんなある日、英男は堀内先生に呼び止められた。
「田中くん、浦島伝説を知っとるだろう?」
「浦島太郎、ですか?」
「そう。済州島は昔は耽羅(たんら)という、一つの独立国だった。調べてみたのだが、平安初期から耽羅の海女が日本に来ていたらしい。古くから交流があったということだが、いまでも大阪あたりの在日には済州島出身者が非常に多い。で、浦島太郎が行った竜宮城、あれは耽羅国のことだという説がある。・・・忘れないうちに教えておこうと思ってね」
秋風が立つと、英姫に窶れのようなものが見えてきた。顔がひとまわり小さくなって、眼がいっそう大きくなり、円かな(まどかな)頤(あご)も尖ってきた。潜水して内臓まで冷やし、冷え切った躰を太陽光線で爛れるほど焼く。この繰り返しだから、三か月以上も続けていれば若い肉体も疲弊する。進吉も、もう体が保たん(もたん)がよ、といって潜む(すむ)のをやめていた。
十六夜(いざよい)の月が煌々と輝く、十月のその宵。夕餉のとき、事務所に訪う(おとなう)声がした。女の、か細い声だった。けげんな顔をして母が起った。短いやりとりは、雑音まじりのラジオの声に遮られて聞えなかった。
「英男、あんたにお客さん」
戻ってきた母親が、困ったような顔で告げた。
英姫だった。たくさんの鮑と栄螺、海胆(うに)を手土産にし、仲間から借りたのだろう、桃色の下裳上裳(チマチョゴリ)と、群青の飾り紐(オッコルム)があえかに美しかった。
「あした、わたしたち故郷(コヒヤン)に帰ります。それいうため、来ました」
英男は衝撃のあまり、返す言葉もなかった。
「あがってもらいなさい」
父親が、背後から少し怒ったような声でいった。
突然の来訪者に、両親は意外なほど好意的だった。あらかた夕餉は終わっていたが、母親は英姫持参の海の幸で新たにおかずをつくり、お茶を淹れなおした。英姫が小さくなって箸を運んでいる間、父親は水を汲み、薪を焚いて風呂を用意する。
村に風呂のある家はほとんどない。多くの家は薪と水を持参し、もらい湯をする。白濁した残り湯は畑の肥料になる。入浴は、この地ではこのうえない御馳走だった。父は身ぶり手ぶりで五右衛門風呂の入り方を教え、英姫は泣きそうな顔をして、この好意を受けた。
入浴中、母親が箪笥をかきまわす。見ていると、「ぼおっと見とらんで、湯加減をみてやらんか」と父に一喝された。
母親は、英姫が風呂からあがるのを待ちかねるようにして、なけなしの衣類を手渡した。英男は進駐軍のパイナップルの缶詰を渡した。中学生になったら空けようと、大切にしまっていた缶詰である。
帰るという英姫に、父親はキャビネ判の写真を見せた。
「これは英男が撮った写真です。一枚はピンぼけ、もう一枚は手ぶれ。この一枚はよう撮れとる。ええ写真です。これは英男からの贈物です」
いつのまにか父親は現像し、紙焼きしていたのだった。
英姫を送ってゆく月夜の道すがら、叢(くさむら)にすだく虫の声をそぞろに聞きつつ、両親の示した意外な優しさが、大人の、大人ならではの分別のようにも英男には思えた。が、素直に礼を言いたい気分だった。潮騒が近づいてきた。
「こんなにたくさんもらいました。てもわたし・・・」
海女小屋の前で、英姫は泣いた。銀色の月光を浴びて、英姫の涙が真珠のように光った。
翌日、チャムスたちは夜明けとともに船出した。母は約束どおり夜明け前に起こしてくれた。来年また会おう、英男はそればかり繰り返した。きっと会いましょう、英姫も繰り返し答えた。
船が岸壁を離れると、チャムスたちは手を振り、哀号!と口々に叫んだ。朴さんが英姫を前に押し出すようにした。
船が遠ざかると、英男は石垣によじ登った。石垣の上を走り、船影が沖合に消えるまで見送った。
中学校の校舎から海は見えない。窓からは漁港の一部が見えるばかりである。
「今年はチャムスは来んがやねえ。朝鮮で戦争が始まったいうが、チャムスらはだいじょうぶやろか?」
進吉が話しかけるが、英男は答えることができなかった。
また会おうという、英姫の約束が果たされなかったのは、漁業改革とかで、岬で地元以外の者が漁をできなくなったからである。金親方がチャムスを率いて日本に来ることはもう二度とない。この新漁業権制度なるものを英男は憎んだ。
あの日、両親は二度とチャムスが来ないことを知っていたのではなかったか。しかし、英男はそれをたしかめる気にはなれなかった。何としてでも済州島に行く、そう心に決めていた。そのために、漁師か船員になるのだ。
だが、いずれにせよ李英姫と会うことはできなかったのである・・・。済州島からの英男宛の葉書を、郵便局長がわざわざ学校に配達にきたのは、七月にはいってまもなくであった。受け取り、英男はなぜか不安に怯えた。差出人が「李英姫」ではなく「梁京生」であることで、さらに胸が慄えた。裏返すと、漢字と平仮名の小さな文字が並んでいた。
英姫が奔馬性結核で死んだ、と書いてあった。
高熱にうなされながら、英男の撮った写真を胸に抱き、笑って息をひきとった。英男氏に見せたいくらい美しい死顔だった、と結んであった。醒めたもう一人の英男は、これが葉書であるため、話はすぐにも村にひろまるにちがいないと思った。もう一人の英男は一目散に学校を飛び出した。どこをどう走ったものか、気がつくと陸軍桟橋にいた。砂の上に倒れ込み、号泣した。
夏休みの前日、幸太に誘われて英男は海へでかけた。漁港の石垣の上に腰をかけ、ぼんやりと海を眺める。
鳶が頭上で旋回すると、沖合へむかってゆっくりと帆翔し、やがて視界から消えた。鳶のゆくえを目で追っていた幸太が、
「留守と言え ここには誰も居らぬ(おらぬ)と言え 五億年たったら帰って来る」
訥々(とつとつ)とした調子で暗誦した。
「その詩、憶えとったのか?」
「知らんまに憶えとったのやろか」幸太はぽかんとした顔で答えた、「われながらたいしたもんや。小島先生に教えんといけんな」
五億年後・・・。ああこれは英姫がいわせたのだ、と英男は腑に落ちた。すると、涙がとめどなく溢れてきて、風景が水中眼鏡で視るようにうるんだ。
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