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第9回海洋文学大賞受賞作品集

 事業名 海洋文学大賞の実施
 団体名 日本海事広報協会 注目度注目度5


格子なき牢獄
 船での楽しみは、食事、風呂、釣りと語らいが挙げられる。
 風呂は週に二回。狭い脱衣所、ステンレス製の浅い湯船は三人が精一杯である。乗船者五十数人が同じ日に利用するのではなく、所属によって入浴日が決まっているらしいが、非番だからといっていつでも好きな時に入れる訳ではない。夕方から、肩書や年齢でほぼ順番が決まっている。
 試しに「しまい湯」に行ったら湯船に半分ほどしかない湯は濁り、匂いが強烈だった。水を節約する上、利用者が多いので湯の汚れも激しいのだろう。私はチョボ、チョボとしか出ないぬるい上がり湯で顔と足だけ洗って終わりにした。次の入浴日は三日後である。
 食事は一日四回。朝食七時、十一時昼食、夕食四時、七時夜食。鐘の合図で決められた船室に集まる。大部屋がないので幾つかのグループに分かれての食事だ。献立は船長も若い人も同じで、階級や収入による格差はない。おかずの選択もできない。好き嫌いがあるだろうに、老いも若きも出された物はきれいにたいらげた。ご飯とみそ汁のお代わりは鍋釜にある限り自由だが、お代わりは自分で器によそう。晩酌などはしていられない。
 食費は三百八十九円。私が会社に企画・予算書を出した時、上司から「一食分の予算か」と聞かれた。一食分としてはぜいたくだが一日分としては安いと思ったのだろう。水、光熱、人件費がただで利益は不要にしても「一食百円足らず」は大盛ラーメン代相当だ。
ある日の献立は
朝=たくわん二切と塩コンブちょっぴり(小皿に一緒盛り)、ご飯、みそ汁。
昼=小さなハンバーグ、マカロニ数本、トマト一切、きんぴらごぼう少し(以上は皿に一緒盛り)、ご飯。
夕=塩サケ(薄い)、あえもの、ちくわの煮付(以上、一緒盛り)、吸い物、ご飯。
夜=牛乳、菓子ぱん一個。
 献立は毎日変わった。「漬物、汁物、ご飯だけ」の朝食を除いて、三週間の期間中、同じ物は出なかった。同じに見えるカレーや炒飯、めん類でも、日によって具が牛、豚、魚介類、野菜などに変わっていた。夜食はバナナとせんべい二枚とか、冷凍みかん一個と解凍アンパンなど軽い物である。人気のあるめん類(ちょっぴり)や果物の缶詰は別として、夜食は摂らないアルコール派が多かった。
 ご飯はまずい米だった。「問題の古古米なんだろう」と古参船員は私の疑問に鶏の鳴き声のような節をつけながら答えた。予算の都合もあろうがおかずも貧弱だ。「ある日の献立例」に「一緒盛り」とあるように、テーブルの上の食器は多いときで「皿、ご飯茶碗、吸い物椀」の三つ。少ないときは二つだ。甲板でそれを大発見のように話したら「箸を忘れてる」と返された。
 それにしても粗食だが、持参の副食を食卓に載せる人は見当たらなかった。理由は聞かなかったが食中毒やチームワークの乱れなどを慮って、申し合わせか内規でもあるのか。
 お茶もそれらしい色が付いただけのまずいお湯だった。食器は落ちても割れないプラスチックか錫(スズ)色合金の貧相な物である。
 「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る(有間の皇子)」の古歌を「家にあれば 笥に盛る飯をわだつみの 船にしあれば 錫の器に盛る」と置き換え、小林記者に「うまいっ」と褒められた。
 船上生活は何もしなくても腹だけは空く。決まった四食だけでは口が寂しい。海が穏やかな日の食後、私物のコーヒー、スナックを自室や甲板で仲間と楽しむ光景が見られた。
 四人の厨房係は、嵐が来ようが船の位置修正のときであろうが毎日四回、食材を船底の倉庫から厨房まで担ぎ揚げて調理、配膳をする。自分たちの食事を済まし、食器洗いを終えるとすぐに次の食事の支度だ。厨房員にまま、欠員が出るという理由が飲み込めた。いつの間にか私は「いただきます」と食前に小さく手を合わせるようになっていた。
 
 勤務は海上保安庁の船員、気象庁の観測員とも原則は三交替制である。生活の節目になる勤務に関係ない私は、食事と朝の体操だけがめりはりだった。体操は狭い甲板で音楽に合わせてやる。働いている人、当直明けの人もいるので強制ではないがみんな喜んで出席する。陸上では頼まれてもやらない私も参加した。船の生活に慣れてくると大しけで中止の日など気抜けした。
 感心したのは十分間そこそこの体操なのに折り目のついた真っ白なトレパン、ズック靴に替える人がいることだった。おしゃれな人がたくさんいた。こざっぱりした服装をした非番の人のくつろぐ姿に何度「おやっ」と思わされたことか。
 八時間の勤務時間以外は自由時間だ。通勤の必要がないから個人の時間はたっぷりある。だが休み時間に「船を離れて外へ散歩」とは参らない。天気のいい日に甲板に出ても変わった景色が見られる訳ではない。船では二十四時間、絶え間なくだれかが行動している。サロンでも甲板でも必ず人の目はある。船内の住まいは二人から四人が同居。プライバシーはないに等しい。一人になりたいときは自分だけの城であるカーテンで仕切られた蚕棚式ベッドにこもるしかない。
 こんなところから南方定点船を「格子(こうし)なき牢獄」と言った人がいる。
 「二十日間じっと我慢のなんてー船」
 「空と海眺めて暮らす三週間」
 詠人知らずのざれ句が口を衝いた。
 厳しい労働の乗組員とは逆に私はやる事がない。運動不足解消と退屈しのぎに甲板磨きを手伝おうとブラシを手にすると「邪魔だから」と追い払われた。簡単そうな観測作業に手を出そうとしたら「客はおとなしく見ていなさい」とあしらわれる。ただし仕事については面倒がらず説明し、写真撮影にも協力してくれる。機関室の見学は、手も顔も真っ黒に汚れた機関長が歓迎してくれたのに、大騒音と油まみれの暑い船底に閉口して、足を踏み入れただけでこちらからすぐに逃げ出した。
 食事は船長、機関長、気象長ら幹部と同室、風呂も早いグループの「高官待遇」で、まさにお客様である。手伝いを断られ、客に戻ってから、天気のよい日は小林記者と首にタオル、運動靴に身を固めて、デッキをただぐるぐると何十周も歩いた。私は揺れる船内を回りながら、動物園から逃げ出したチンパンジーと己の姿を重ねていた。
 
東に沈む太陽
 船内予定表に「映画会」があった。フィルムは他の官庁などから借りたものを何本か積み込んでいるのに一回も上映されなかった。狭くて暗い、揺れる室内での映画はだれも歓迎しない。映画の傾向を知っている乗組員は「こむずかしい教養映画は俺には向かない」と敬遠する。「映写技師」の乗組員は予定日になると「ご覧になりますか」と気遣ってくれるが小林記者も映画好きの私も船酔いを嫌って、ついに一度も希望しなかった。
 麻雀も人気がなかった。サロンのジャン卓は覆いが被ったまま。陸での私は寸暇を惜しんでやる口だ。乗組員も陸ではすると言うが「船では・・・」と手を出さない。目に負担がかかる作業や読書は酔いを助長する。長いメモを取るのもいやになる。思考・計算能力や記憶力も落ちている。
 「イルカを見たのは何日だったか」「昨夜のおかずは何だったか」がすぐに思い出せない。人はこれを「船ボケ」と呼んだ。
 朝、左舷から上がった太陽が夕方また左舷に沈む日があった。東から昇った太陽が東に沈んだと思った。風の都合で船の向きを南西から北方に変えたための錯覚であるが、風景に起点がない大海原では方向感覚はおかしくなる。朝と夕方の作業写真を撮っていて「左、左の太陽」に気がついた瞬間、私は船ボケどころか気が狂ったのではないかと焦った。人にも言えず、数分間考えこんでしまった。
 船のテレビに電波は届かない。携帯ラジオも船室内ではよく入らなかった。ニュースや音楽を聞こうと甲板に上がり、スイッチを入れるが夜は野球放送ばかり。甲板での宴会に音楽以外のラジオは遠ざけられた。「家では聴かない」と言いながらクラシック音楽を船では好む人がいた。環境の急激な変化と大自然は趣味まで変えてしまうのだろうか。
 個室では囲碁、カード遊びをする人がたまにいた。花札の「こいこい」をしているのを目撃した。船底の部屋は暑いせいか、ドアを開け放しだったので偶然見えただけである。二人はバツの悪そうな顔をして止めようとした。「そのまま、そのまま。おかまいなく」と扉を閉めて、私は廊下で首を引っ込めた。後日、甲板で競艇、競輪、競馬、カードゲームなどギャンブルのうんちくを傾けあった。以来、彼らと私の距離はぐっと縮まった。
 船室に飾った自分のカレンダーに印を付け、だれもが帰港の日を楽しみにしている。そして「人事異動でおか(陸)に上がれるのはいつのことか」と陸上勤務になるのを望み、諦めながらも「他の職業に就きたい」と口にする人はいなかった。仕事が体質に合わない人は一、二度の体験で去っていくらしい。
 海上保安庁組は人事異動で乗り組む船が換わることもあって、若手から壮年の人まで年齢のバランスがとられているようだが、特殊な技術世界の気象庁組にはこの道二十年前後の経験者が多い。いわば「なんてーの歴史そのもの」という人の集団であった。
 だからというのではないが、苦労話、悲劇はいくつも耳にした。
 無線電信で陸上の医師と連絡を取りながら資格のない乗組員が同僚の緊急手術を麻酔薬なしで行った。患者の手足を抑えていた乗組員は「ぎゃあー」という悲鳴と大出血に気を失いそうになった。大声はいちばん端の船室まで響いたそうだ。それも「昔の話ではない」と語られる。「ハハキトク」の連絡に黙って耐え、仕事を続けた人、父親の死に立ち会えなかった人が前年は三人もいたそうだ。
 金水和夫さんは、奥さんが手術の時も坊やの誕生の際も船だった。年齢が船内でも高い方のせいか、もの腰も語りも静かである。
 「船の仕事にも疲れた。だけど、もうこの年齢じゃ、気象庁でも働く他の部署はないだろう。いつ辞めても悔いはないが、自分で商売をやるほど器用じゃないし」「定点にお百度を踏んだ私が死んだら、骨はなんてーに撒いてもらおう。その方が浮かばれる」。私の質問にぽつり、ぽつりと答える口調には陸上への転勤も諦めた様子が滲んでいた。
 「お百度」は単なる形容ではない。二十年以上勤務の観測員はほとんどが定点往復百回は、超える。口数の少ない金水さんも退官して間もなく不帰の人となったという。
 高層観測の小井戸弘主任は、甲板の自分の作業場に熱源があるためか、甲板の宴会で腹が減ったような顔をしている人に即席ラーメンをよくサービスしていた。「家でいつもやらされている。こんなことでもしなければ家に置いてもらえないよ」と冗談でぼかしながら。小井戸さんばかりではない。みんな家では家庭サービスをまめにするらしかった。
 仕事とはいえ、留守がちの父親、夫は良き家庭人ではないかもしれない。だが、だれもが家族思いで優しかった。人間ばかりか自然や小動物にも優しいのだ。舳先(へさき)やアンテナに風で流された一匹のトンボ、迷い鳥一羽が羽根を休めることがある。船の人たちはそれを温かく見守る。寄ってくるイルカの家族、集団にはしゃぎ、いつまでも見送る。イルカの群れも心得たもので、船の近くでジャンプを頻繁に繰り返してくれた。
 マグロが釣れたりトンボなどの珍客来訪ニュースはあッという間に船内を駆け巡る。非番のだれかがデッキから駆け下り、だれかれの部屋を問わずノックをして「イルカが来たぞ」などと告げていく。
 一度、大型タンカーが定点圏を通った。船影が見える前から私の部屋のドアが叩かれた。レーダーで知った船員はすぐに手のすいている人に知らせたのだろう。
 珍しいほどの大凪ぎの昼下がり。超高層ビルを横にしたよりはるかに大きい建造物は、海上の置物のように安定している。遠目に眺める喫水線は真一文字。波など寄せつけない巨大な船を非番の人たちとデッキに並んで見とれた。双眼鏡で探したがテキの船に人影はない。大洋に浮かぶちっぽけな定点船など彼らの眼中にないのだろうと思った。
 「六万トンぐらいだろうか」「いやもう少しあるだろう」
 船首から船尾までを乗組員が乗り物で移動してもおかしくないように見えた。「バイクはともかく、自転車ぐらいは使っているかもネ。もっとも甲板の端に用事はない設計になっているかもしれないけれど」と聞いて私は納得する。こちらは舳先から艫(とも)まで六十数メートル、最大幅九メートル。前部と後部甲板を結ぶデッキは二人並んで歩くのがやっと。垂直に近い狭い階段は手すりを掴まなければ昇降できない船である。
 私は思わず巨大船に向かって「おーい、日本まで乗せてってくれー。船長、ボートで迎えに来てくれェー」と小さく声に出していた。
 「早く帰ってもしょうがねえ身だろうに。ボートを降ろせ、はよかった」と、私は乗船中一度だけ吐いた弱音を古参乗組員に後々まで冷やかされた。
 一キロ先の沖合をタンカーが通り過ぎるころ、ヤツがつくったうねりが「のじま」の船腹をたたき、船を不規則に揺らせた。私は焼きもちのあまり「このやろう」と、はしたない言葉をタンカーに向けて口にしていた。


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更新日: 2019年3月9日

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