フェローシップで得た宝物
貞方 里奈子(佐賀大学医学部医学科6年)
「どこかに人生の解答があるわけではない。自分で考えていくしかないのだよ。」これは尾身先生がお忙しい中、4時間にもわたってお話し下さった際に、最後に私達に伝えてくださったメッセージだ。
今回参加させていただいたフェローシップではたくさんの宝物を得た。豊富な人生経験とその経験をよく内省している友人たちとの出会いは、唯一無二の私の財産であること間違いなしであるし、競艇の収益で全世界にハンセン病治療薬を平等に配布するなど数々の援助を行っていらっしゃる笹川記念保健協力財団の援助を、援助をしている側・受けている側・支援に協力している側の様々な視点から見学し、国際保健の難しさ・求められる方向性等を考えられたことも将来に活かせる重要な収穫であった。
しかし、そのような素敵な宝物の中にあって、さらに私が「このお話を伺うためにフェローシップに参加したんだ!」と感じ、そう言っても過言でないもう一つの宝物があった。それが尾身先生のお話だ。冒頭のお言葉に至るまでには人間・人生についてのお話があった。そのお話の中で私が悩み、分からないで困惑していた事柄に対して、先生の様々なご経験と深い思考の結果、導き出されたある一つの考え方を示して下さったのだった。
世の中には、その場所に生まれてしまったために不条理な人生を強いられる人々がたくさんいる。私はそのような不公平をできるだけ減らしたいと思って国際協力の世界に関心を持つようになったのだが、考えれば考えるほど、戦争・貧困・暴力などといった問題は無限大に見えて、国際協力を行っていくうちに無力感や悲しさといったものを感じたりすることはないのだろうか、と疑問に思っていた。その疑問を尾身先生にぶつけてみたら、このような答えが返ってきた。「人間や自分が不完全であることが分かっても、悲しくなったり暗くなったりすることはない。そこで次に進む威力をもらうのかもしれないのだから。」また、このようなこともおっしゃった。「自分が楽しいと思うこと、好きなことをしないとどこかで嘘が見えてしまうのだよ。好きなこと、自分の得手を探しなさい。そして、経験に根付いた強い意志を持つことだ。その意思を持たないと物事は変えられないのだよ。社会を変えられるのは結局は人間なのだから。」
私は国際協力を好きなのか、どうなのか。先生のお話のあと、そのことをずっと考えていた。今、私が思うのは、国際協力を必要としている地域の人々と友達になったときに、その人たちが大好きになって、彼らの笑顔を見るために一緒に何かしたくなる、だから私は国際協力をしたいのだ、ということだ。
そのためにはどうしたらいいのか、今何を自分はすべきなのか、自分は本当にそれでいいのか、結局自分は何者なのか、などいったことをこれからも状況に流されずに考えて生きていきたいと思う。
国際協力を学ぶことを中心に据えてきた大学生活を、このようにたくさんの宝物を得て終え、新しい舞台に羽ばたけることに感謝しています。貴重な機会を与えてくださった笹川記念保健協力財団の先生方、講演をしてくださった先生方、引率し私達の議論を深めて下さった西村先生・泉さん、ともに充実した日程を過ごすことのできた参加者の仲間たちに、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
Let's imagine!
関 浩道(東京大学医学部医学科6年)
自分は変な少年だった。『人間って何のために生きてるんだろう。何かしたとしてもどうせいつか死んでしまうんだし、何をやってもちっぽけなんじゃないか。生きてるうちにやって意味あることって何?意味がない人生、いつ死んだって同じ!?』釈然としない感覚。生に対して解決できない問を抱きはしていたが、だからといって幼い私は別に死にたいとか思っていたわけではなく普通に死ぬのは未知のもので怖いと思っていた。眠ると意識が跳んでいつの間にか朝になっているという現象が非常に不思議だった頃からろくに成長もしてないときのことだから、大したことを考えていた訳でもないだろう。ただ、『人生で何にやりがいを見い出すべきなのか。死を前にしたら全て大した意味をなさないんじゃないか』という、無力感に似た感覚を抱いていたことだけは覚えている。
いつからだろうか、後ろ向きの無常観が前向きに変わったのは。自分のことなのだが特にいつ変わったという時を覚えているわけではない。「個々の命を見れば絶対に終わりが来るが、人類がおろかで自分自身を滅ぼすようなことがなければ、人間全体では生命って続いていける可能性を持っているものなのだな。自分自身が死ぬのはしょうがないが、自分の生きることが何らかの形で持続可能な社会に貢献できればいいかな。」などという飛躍ともいえる考え方の変化がいつの間にか自分の中で起こっていた。そして今、その考えは自分の中核を成すまでに至っている。これから先自分が生きていく中で大切にしていきたい考えの一つだ。以下の質問の一部に自分をさらけ出すとこんな感じだろうか。
Who am I?
Where did I come from?
How did I come here?
Where shall I go from here?
How shall I got there?
What shall I do there?
これらはBarua先生の話の冒頭で示されたものだ。今回、フィリピンで初めてBarua先生に出会う。以前から、とあるホームページなどで先生の存在を知ってはいたが、生Barua先生は初だった。Barua先生は御自分の話をする前に、なぜ医学部に進んだのかをフェロー参加者一人一人に尋ねた。

大人になりたい、というのが夢だという途上国の子供の記事をきっかけに、途上国の現状、貧富の差に対し国際医療協力の現場で働きたいと思っている人。発展途上国にひどい環境で生きている人がいるというのを知りながら先進国でのほほんと暮らしているのが許せず、不公平さを無くすような仕事につきたいと医学部に入った人。環境庁で働いている時に医系技官と一緒に仕事をしたのがきっかけで、医者の仕事に興味を持ちへき地医療にひかれ医学部を考え、人材・設備不足の面などでも通じることもある国際協力に今では進路の可能性を広げている人。女性でも60歳まで仕事をするのが当たり前という家庭環境に育ち、病気を無くすという大義名分がある医学を選びつつ、現在は行政職を考えている人。ドラマでバイクで病院に行く女医がカッコ良かったのがきっかけで医学部に入り、自分が必要とされるところで働きたい、困っている人に手を差し伸べたいと考えている人。人の苦しみを癒す仕事が貴いものと思いつつ工学部に進み社会人を経てから、過去にブラジルで子供の保健活動を支援するNGOで働いた経験をきっかけに医学部を志した人。人が苦しんでいる顔が嫌いで笑顔に変える手助けがしたい、苦しみを取り去りたいと医学部を志し、現在どの場で苦しんでいる人の手助けをするか模索中な人。小学生の時に大きな交通事故に遭い長期間にわたり医師の世話になる中で、医師という職業が苦しい顔を笑顔に変えてくれる素晴らしい職業だと感じて医者を志した人。人が好きで好きでいつも接していたい、世界の平和を願っているということがベースにあり、一番人に接していられることから看護師を目指すと共に、一人でも多くの人が夢や希望を持ち毎日楽しく過ごしていけるような世界を作っていけたらいいと熱意を持っている人。人と接することや人の世話をするのが好きという性格で、弁護士として働くことを考え法学部にいくも論争して、どちらか一方の勝利を勝ち取ろうとするよりも、みんなと協力して幸せを得ていけるような仕事としての医者に魅力を感じ、医学部に進路を変えた人。自分がやることが100%人の為になると思われる医者という職業を目指し、現在は教育、臨床、研究、行政などの中でどういう道に進むのが自分に合っているのか見極め中な人。高校の頃は医者に金持ちで高級車を乗り回すようなイメージがあったため、医学部だけにはいきたくないと思っていたが、動物学を学んだ後商社に入り最貧国との貿易に携わって金もうけに従事する中で、満たされぬ思いと世界を平和にしたいという気持ちが芽生えつつ、現実を考えた時に目標が統一できているように見える分野としての医療に関心を持ち、最貧国の医療に携わりたいと思って医学部に入り直した人。環境問題に興味があって農学部に行き、結果的に造園を学び会社で技術を磨いた後にJICAの青年海外協力隊で造園の技術者としてボリビアで働く中で、衛生問題や感染症の現状を目の前にしてその状況を改善することに貢献できる医療従事者になりたいと考え、特に感染症の分野で働きたいと医学部に入り直した人。直接人と接しながら人の役に立つ仕事をしたいと医学に進路を変更し、持続可能な社会に貢献するための手段の一つとして最終的には活かしたいと考えている人。14人の参加者それぞれが、様々な想いを胸にその場に辿り着いているのを感じた。
現状を良くしたい。人の役に立ちたい。希望がある世界にしたい。参加者それぞれに個性があり考えていることや目指すことに少しずつ差異がありつつも、そんな根底に流れるものは共有し合えるものと、フェローを終えて思える。一人一人歩んできた道は違うがこのフェローで道が1ケ所に交わった。フェローが終わり今またそれぞれの道を進んでいくが、将来お互いの道を突き進む中でいろいろな場で再びお互いの道が交わっていくだろう。そして、その時により多くの人を巻き込んでいけるかが鍵なのだろう。共感できる仲間の大切さ、改めてフェローでは学ばせてもらった気がする。『お金持ちよりも心持ちに』Barua先生の名言だ。みんなで心持ちになりたいものだ。時々思うことがある。世界中の人が仲間になったら世界は平和になるのではないか。世界を共有しているという感覚をみんなで持つことはできたりしないのか。医療に限らず国際協力がその一助になることを期待したいし活動したいものだ。
You may say I'm a dreamer. But I'm not the only one.
I hope you'll join us. And the world will live as one.
2005.9.11卒業試験期間中imagineを聴きながら
最後にフェローという貴重な体験をさせてもらった全ての人に感謝の意を表して結びとさせていただきます。
人生の交差点にて
飛永 雅信(大分大学医学部医学科6年)
二十代に大手町、永田町、霞ヶ関とやや特殊な領域で仕事をしてきた自分にとって、仕事はその責任から来る重圧の源である一方、生き甲斐でもあり、人間的な成長の契機でもあり、刺激的なスパイスでもあり、心地よい自己満足を与えてくれるオアシスのようなものでもあった。そんな自分が、家庭を持ちながらも社会的な立場を投げ打ち、再び大学生になろうなどと大それた決定をした理由は、社会全体のことを考えた仕事をして、結果として一人ひとりの役に立つといったこれまでの仕事とは違い、直接的で良くも悪くもレスポンスがはっきりしている世界に対して、かつてない程自分の感性に強烈に訴えてくるものを感じ、居ても立ってもいられなくなったからである。もちろん、これまで自分の転身の理由として対外的にこのような言い方をしたことはない。自分がかつてそうであったように、医学部の多くの同級生が具体的でより人を説得しやすい材料を用意して医学部の面接に臨んでいることは知っていたし、敢えて本音ベースで語る必要性がこれまでなかったからである。
フェローシップに参加した感想を述べる前に、なぜ長々とこのようなことを披瀝するかというと、今回のフェローシップにおける最大の収穫は、様々な人との出会いを通じて自分自身の足下を見つめなおす良い契機を得たことに尽きるという結論に達したからにほかならない。今回のフェローシップ参加者は、実に様々なバックグラウンドを持つ個性的で多彩な顔ぶれであり、年齢も大学も学年も将来の夢も実に多種多様であった。そのようなメンバー達と夜遅くまで話し合った様々な内容は、自分とバックグラウンドが異なる人であればあるほど刺激的で実りあるものであり、実際多くの学びがあった。そして、そこには常に「自分はどうなんだ」という自問自答があった。また、尾身先生やBarua先生との出会い、そこで得た貴重な訓話は、いずれも思い惑う自分に示唆を与え、無秩序に錯綜する自分の思考を実にきれいに交通整理してくれたように思う。自分は何をやりたいのか、それは何故なのか、人は皆アイデンティティの根幹に関わるこれらの事柄を正直ベースで、しかも明確な言葉で整理しているのだろうか。顧みると自分は、これを全くしていなかったなどとは決して言わないが、不十分であったことだけは認めざるを得ない。そして、その不十分さゆえに、将来進むべき方向を決定するべき6年生という時期に、その答えを渇望するようにしてこのプログラムに参加させていただいたのである。今回のプログラムでは、国際保健協力に携わる様々な方々の生き方に触れることができた。国際保健という仕事に様々な角度から光を当て、多種多様な人生のモデルを数多くライブで見て、普段はとても接することができないような方々の生きざま、人生哲学まで多くのことを学ぶことができた。さらに言うならば、フィリピンで暮らす人々、社会全体を相手にしているとなかなか見えてこない一人ひとりの暮らし、喜怒哀楽の表情や声、息遣いまでもが、自分の人生にとっての出会いであったと考えることもできる。
良く言われるように、人生は出会いと別れの連続である。関わり方の程度の違いこそあれ、この11日間は数々の出会いと別れに満ちていたように思う。そして、1対1の医師患者関係を前提に医学部に入り、今回の経験を契機に社会全体を相手にした仕事を志向する若い人達もいる中で、逆の方向に進まんとする自分のような人間がこのプログラムで寝食を共にし、貴重な経験を共有できたということは、まさに人生を象徴するような出来事であったと思えてならない。すなわち、このフェローシップは人生の交差点であると言っても良い。
過去に途上国と呼ばれる国で政府レベルの国際医療協力の現場を見る機会があったが、そこで実感したことは、短期的には確かに医療支援が求められているが、根本的にその国を良くしようと思えば、中長期的な視点に立って政治経済、社会構造や教育を抜本的に変えるといった対策が求められるということである。これは、自分にとって衝撃的なことであった。何故なら、自分が志向してきたことは、こうした流れに逆行するもので単なる自己満足の追求以外の何ものでもなく、途上国の現状の前にあっては、甚だ無力なものだということを冷徹に宣告されたようなものだったからである。しかし、今回のプログラムにおいては、偏りなく様々な立場の人の活動に触れ、あるいは話を聞いて、自分のやりたいことの追求が結果的に人の役に立っていれば幸せであるという肩肘張らない自然体の考え方、そして、それがどのような角度からのアプローチでも良いのだという結論、さらには自分の進路に対する大まかなビジョンまでをも獲得することができ、そのことが、進むべき方向性を見失いかけて迷走していたこれまでの自分に光明を与えるものであったという事実はこの際是非強調しておきたい。
今回の体験は、自分の人生にとって最もインパクトの大きい出来事の一つであることは疑う余地も無いことである。11日間の実習を終えて、素顔の自分自身と対話をし、自分の将来に対する一定の方向性を導き出すことができた事、フルーツバスケットのような状態からやがて絶妙な一体感を醸し出すに至ったこの仲間達との出会い、これらは人生の宝物だと思う。
最後に、このような素晴らしい機会を与えて下さった笹川記念保健協力財団の関係者の方々、事前準備や現地での調整等に砕身して下さった泉さん、11日間親身に御指導下さったばかりか実習に彩りを与えて下さった西村先生、講義に貴重な時間を割いて下さった先生方、そして、こんな自分を暖かく迎え入れてくれた魅力溢れるメンバー達に心より感謝の意を表したい。
パパ道の大先輩Barua先生とマニラのレストランにて
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