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研究報告
子どもの脳の発達
 
はじめに(日本の子どもに脳の発達の遅れ)
 日本の子どもの遊びが,身体全体を使って遊ぶ動的な鬼ごっこやかくれんぼ,野球等から,身体を使わない静的なテレビ・テレビゲームに移行することによって脳の仕事量が減少している可能性があると我々は考えています。鬼ごっこやかくれんぼ,野球をしなくなる,即ち運動しなくなるということは,複雑な3次元の空間認識をしなくなることに留まらず,相手の動きや気持ちを予測しながら行動するといった,複雑な相互関係が要求されてきます。人と人とがふれあうコミュニケーションを満足させるロボットができないのはこのためです。テレビ・テレビゲームという静的な遊びが子ども達に浸透していくと,運動やコミュニケーションといった人間にとって必要でかつ,複雑な認識をさらに減少させていくことになります。
 このようなことから,運動・コミュニケーションという行為とテレビ・テレビゲームという行為は脳の仕事量から見た場合に違いが現れるのではないかと考えています。しかし,ヒトの脳の仕組みは極めて複雑であることから,このような現象を証明することは今の科学では不可能です。現在脳活動をグルコースの消費や血流の増加で画像化するポジトロン断層法(positron emission tomography: PET),オキシヘモグロビン,ヂオキシヘモグロビンを信号強度として血流変化を画像化する機能的核磁気共鳴画像(functional magnetic resonance imaging: fMRI),や近赤外分光法(near-infra red spectroscopy: NIRS),地磁気の十億分の一という微弱磁場計測により,電気信号を読み取る脳磁計(Magnetoencephalography)などによって研究が進められていますが,脳活動による詳しいことが解明されるのはまだ先になりそうです。
 
1. 精神活動をつかさどる脳
 脳は大脳と小脳に大別され,後者の小脳は姿勢や運動に必要な平衝・調節をつかさどっています。前者の大脳は,左右一対の塊と,脊髄と連絡する棒状の脳幹という間脳,中脳,橋,延髄からなる部分で構成されています。大脳の大脳皮質は,前頭葉,頭頂葉,側頭葉,後頭葉,島,辺縁葉の6葉に別けられ,それぞれの領域は,末消との間で情報処理を行ない,脳内の神経回路を経由し,互いに連携しながら情動・運動・感覚・記憶・学習・認知・思考などの高次神経機能,すなわち心や意識に関わる精神活動を生み出しています1)
 
図1:  大脳皮質は葉に分割され,各々の葉は異なる機能を持つ。Aは外側から,Bは内側面から見た脳である。(Nolte J. Angevine.: The Human Brain in Photographs and Diagrams. St.Louis: Mosby-Year Book, 1995)
 
2. 前頭前野
 解剖学的な観点からみると,動物と人間の違いは,前頭前野の違いにあります。例えば,前頭前野が大脳に占める割合はネコ3%,イヌ7%,サル11%,チンパンジー17%,ヒト29%となります2)。これだけ発達した領域を保持するのは人間以外にはありません。この前頭前野(prefrontal cortex)は,前頭葉の前方(唯側)にあり,感覚・記憶をもとに行動を組み立てながら高次の精神活動に寄与していることが過去の事件・事故によって明らかにされています。1848年,米国バーモント州の鉄道工事で現場監督をしていたGageは,火薬をつめる作業中に突然爆発が起こり,鉄棒が左下顎角から,前頭前野である左前頭骨の内側部で冠状溝の近くを突き抜け,奇跡的に助かったものの事故後,乱暴で感情を抑えられない「動物のような」人間になってしまいます3)。また,1935年から1960年にかけて精神病患者の治療目的で,前頭前野と他の脳領域をつなぐ入出力繊維を切断するという前頭葉切断手術(frontal lobotomy)が多く行われ,患者は激しい不安症や行動異常がなくなりますが,長期に渡って知的能力が阻害されるという,人格の破壊的な変化も同時に起きることが明らかになります4)。また,Luriaらは,前頭葉に病変を持つ患者が図形の描写課題,言葉の想起課題,GO/NO-GO課題といった一連の記憶課題が上手くできない過程を追跡調査し,前頭葉が上手く機能しないと計画・判断・評価・制御ができず,精神活動に大きな障害が生じることを報告しています。1)5)
 
2-1 前頭葉の46野
 脳の領域は,情報処理をする際の役割がある程度決まっていますが前頭葉の前頭前野は入力系も出力系も階層的に高次の立場に立ち,様々な情報処理の終点であり,また起点でもあるという脳のシステムを統合していることが報告されています16),17)。この脳のシステムを統合しながら,少なくとも精神活動の基礎的な役割をはたしているのがワーキングメモリと呼ばれる機能です。このワーキングメモリは「様々な情報を保持しつつ,それらを組み合わせ,行動や決断に導く認知機能」というもので,Baddelyが1974年に提唱したことにはじまります7)
 
 このワーキングメモリの中心的な役割を担っていると考えられているのが,前頭前野に位置する46野です。Walker8)が示したサルの前頭前野の46野に位置する背外側部の両側を外科的に切除すると,記憶課題であるGO/NO-GO課題や遅延課題ができなくなることが報告されています1)。そして,このサルに記憶課題の一つであるGO/NO-GO課題を学習させると,「赤はレバーに手をやらない」という抑制課題の遂行時に,前頭前野の46野で特異な意思抑制電位(no-go potential)が働くことを佐々木らが1986年に発見します9)。さらに,今度はサルに「青はレバーに手をやる」といった課題を修得させた上で,意思抑制電位が出現する前頭葉の46野を実験的に電気刺激を加えると,青のときレバーに手をやれなくなることを突き止め,この電位が意思を抑制する特異な電位であることを明らかにしました。そして佐々木らは,サルと同様にヒトにもGO/NO-GO課題の遂行時に,Brodman10)の示すヒトの脳地図である前頭前野の46野に特異な意思抑制電位を脳磁計(Magnetoencephalography)によって確認します11)。また,サルの前頭前野の46野にドーパミンの阻害剤を注入すると,GO/NO-GO課題に類似する遅延課題ができなくなるといった一連の研究結果から,前頭葉の46野が情報の選択・保持・整理・統合を行ないながら,目的情報の生成と制御の出力をなすというワーキングメモリを担っていることが明らかになってきています15),16),17)
 
図2: Brodmanは,細胞構築学に基づいて大脳皮質を48の領域にわけた(48から51は欠)。(Brodman, K: Nuro Ergebnisse uberdie vergleichende histologische Lokalisation der G'rosshirnrinde mit besonderer Berucksichtigung des stirnhirns, Anat. Ang. (Suppl.) 41: 157-216, 1912)
 
3. GO/NO-GO課題の歴史
 正木・西篠らは,日本で子どものからだの変化に関する調査を開始し,その一環として,1969年と1979年にGO/NO-GO課題による子どもの大脳活動の調査を行ないました18),19)。GO/NO-GO課題は,日本語では「行くか,行かないか」,「やるか,やらないか」と訳せます。このようなGO/NO-GO課題の実験から導き出される大脳活動の型の研究は,Pavlovによる犬の条件反射の実験に遡ります20)。そして,Pavlovの弟子であるIvanovや,Pavlov学脱を継承するLuriaらがヒトにあてはめ,高次神経活動の発達の指針として活用していきGO/NO-GO課題が一つの実験方法として確立していったようです5),20),21),22),23)。これらを基に正木らは,「赤いランプがついたらゴム球を握る」という課題を5回行なう形成実験と「赤,黄の二種類のランプがつき,赤はゴム球を握り,黄は握らない」という課題を赤10回,黄10回をランダムに呈示する分化実験を行ない,最後に「今度は反対に,黄はゴム球を握り,赤は握らない」という課題を分化実験と同回数呈示する逆転分化実験の3実験を行なっていきます18),19)


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