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第1回 子どもとメディア全国セミナーin軽井沢
 
 
 10月8、9の両日、「子どもとメディア第1回全国セミナー」が長野県軽井沢町で開催されました。閑静な林の中に建つ塩壺温泉ホテルの会場には、全国各地から約50名の参加があり、その分野も小児科医、教育研究者、保育士、PTA役員などさまざま。研究の最先端の事情や各地の取り組みを学び、非常に有意義な論議の場となりました。
 
 今回の目玉は何といっても、脳機能測定器「光トポグラフィー」の開発者で知られる日立製作研究所の小泉英明さんによる講演でした。小泉さんは、「科学技術新興機構」(文部科学省所管)が計画した「脳科学と教育」プログラムの研究統括でもあります。教育理論を脳科学という客観的なデータで解き明かそうとするこの試みは注目されていますが、地域を特定して子ども全員を対象にするなど、かつてない規模で長期的なこの研究の最新情報を聞くことができました。また「われわれの研究が目指すところは『ソーシャル・アビリティ』、つまり『他者とよりよく生きる力』です」という話も印象的でした。科学が「子どもの成長」の領域に歩み寄っていることが感じ取れました。
 
 ここ数年、インターネットの急速な普及は目を見張るばかりです。ブロードバンド(高速大容量通信)の環境が一般家庭に広がり、今や、世界中のあらゆる情報を瞬時に集めることができます。言い換えれば無秩序な世界が迫ってきているともいえます。しかし親や教師たちの意識はあまり高くないのが実情です。今回のセミナーでは、長野県佐久市立中込小学校教諭でインターネット利用に関する授業を行っている松島恒志さんにモデル授業を行ってもらい、参加者が体験しました。インターネットが持つ正と負の両面を紹介しながら、負の情報への「抵抗力」を身につけさせる試みでした。今後注目される分野だと思われます。
 
 「ノーテレビ・ノーゲームの取り組み」については、埼玉県蕨市立中央東小学校教諭の成田弘子さんと島根県雲南市立久野小学校長の伊藤紀子さんから報告がありました。都市部と山間部の2つの試みですが、それぞれに地域と連携した取り組みと、そのノウハウを紹介してくれました。コメンテーターのお茶の水女子大学研究員の猪股富美子さんは「日本のノーテレビの取り組みは、かなり成果が出てきました。これからは、成果を抽出して、一つの実施マニュアルを作成する段階ではないでしょうか」と提唱されました。
 
当日プログラム
■10/8[土]
 
■10/9[日]
 
●第1部/講演
脳科学から見た子どもとメディア
(株)日立製作所 フェロー 科学技術振興機構 研究統括
小泉 英明
 
 「脳科学と教育」(Brain-Science & Education)という概念が、今、世界で注目を集めている。この概念は脳科学そのものでもなく、また、従来の教育学・保育学そのものとも異なる。「脳科学と教育」は、自然科学と人文・社会科学の互いに遠い分野を、架橋・融合して創生した新分野である。
 「脳科学と教育」の基本問題の一つは、脳から見た人間同士のコミュニケーションである。「人間」という文字が示すように、人の間、すなわち人と人との良い関係があって初めて、個人としての「人」が、「人間」として生きて行けるからだ。このコミュニケーション能力は脳の働きの一部でもあり、幼少の時期に神経基盤が作られる。「子どもとメディア」の問題もそこに出発点がある。
 心の通ったコミュニケーションの基本は、他者を思いやることであろう。相手の立場も慮って自分の行動を決めて行くことで、初めて住みやすい社会が生まれ、自分も生かされることになる。言い換えれば、倫理そのものでもある。それでなければ、進化の過去に戻った弱肉強食の世界になってしまう。相手を思いやり、さらには文化多様性を尊重できる健やかな脳を育むことは「脳科学と教育」の重要な課題の一つである。
 最近、脳科学や物理学の発展は、生きたままの私たちの脳の働きを安全に観察できる手立てを創出した。これは非侵襲高次脳機能描画と呼ばれるが、このことから、「脳科学と教育」という概念が単なる絵に描いた餅ではなくなってきた。
 世界に先駆けた「脳科学と教育」は、公的研究プログラムとして着実な成果を生み出しつつある。しかし、その一方で、脳科学の客観的な知見からはほど遠い憶測や、誤解に基づいた意見が流布される現象も起きている。「教育・保育」への「単なる脳の用語」の持ち込みには十分な注意が必要である。多くの脳科学者も、動物実験の結果を安易に人間まで拡大解釈したり、あるいは、脳の形態的変化を、即座に機能的変化として憶測したりせぬよう自戒している。
 「子どもとメディア」の研究についても、実証的な根拠に基づいた客観的な議論が必要である。
 
●こいずみ・ひであき
1946年生まれ。1971年東京大学教養学部基礎科学科卒業
1976-1977年 米国カリフォルニア大学ローレンスバークレイ研究所 客員物理学者
国立環境科学研究所 監事、生存科学研究所 理事、中央教育審議会並びに原子力委員会専門委員、OECD・「学習科学と脳研究」国際諮問委員、日本赤ちゃん学会 副理事長他
現在の研究テーマは脳と精神活動の計測、環境関連物質の計測、脳科学と教育、総合科学の体系化
編著書に『脳図鑑21: 育つ・学ぶ・癒す』('01年・工作舎)、『環境計測の最先端』('98年・三田出版)他
 
(講演要旨)
●俯瞰統合の視点による解決策が求められる時代
 今日は、発達や教育という問題を人間の今までの歴史の中から、どのように捉えたらいいのかというお話をさせていただきたいと思います。
 まず私たちが生きるこの21世紀といいますのは、20世紀までに科学技術がどんどん専門化し、狭い、深い分野に入っていくと同時に、それだけでは解決できないいろいろな問題、特に今日のメディアといった実際の社会で起こっている問題が浮かび上がってきたのに対しまして、全体を見渡して、本質がどこにあるかということをきちんと知る、そういう俯瞰統合とも呼ぶべき解決策が求められる時代へ入ってきたと考えます。
 
●メディアの問題と環境科学
 メディアの話は環境科学と非常に密接な関係があります。数年前、ゲノム計画によって人間の設計図である遺伝子を調べようとしたわけですが、実際に調べてみたらせいぜい部品のカタログの一部くらいしか見つからなかった。そしてむしろ、環境による遺伝子の発現調整というのが非常に大事だということが見えてきたわけです。たくさんある遺伝子がみんな発現するというのではなく、発現するもの、またその発現するメカニズムが環境の刺激によって胎児期に一つ類型されるということがわかってきたのです。
 また環境といいますのも、まず自然環境がありまして、それから人間が作り出した人工物、そして対人間環境というものがあります。しかし、これまでの環境科学は主に自然環境しか扱っておりません。人工物あるいは対人関係についてのアセスメントというのも、これまでの自然環境のアセスメントと同様に必要なわけです。それを抜きにして環境技術だけを進めていくというのは、これまでの環境問題と同じ過ちを起こす可能性があるということです。」
 
●子どもを取り巻く環境の変化がもたらしたもの
 近年の子どもを取り巻く極めて大きな環境の変化というのは、メディアの問題に代表されるような情報化、バーチャルなデジタルメディアの普及です。昔は一家に一台だったテレビ、電話も、このごろはみんな個人で持っています。つまり情報化というのは、個人化、ひいては他者との疎遠化と密接にリンクしています。またバブルのときに典型になりました効率化。そういうことが今の社会には大変普遍していると考えます。
 そのような環境の中で脳にとって非常に重要なのは、この個人化、効率化、それからもちろん情報化、そのどれもが実体験を減少させるということです。
 われわれの脳というのは五感、それから脳自身からの情報が同時に入ってきます。それらを全部同時に処理して、整理されてから時間を追って意識にのぼってくるわけです。つまり自然の音とか色とかは全部、無意識のところでいったん処理され、記憶をされるわけです。ここのところがないと、情報を正確に受けているとは言えないのです。ところがバーチャルなものは全て、われわれが重要と感じたところだけを抜き出して作られています。だから自分の意識にないものというのは、そこに入れないわけです。
 
●メディアにかかわるこれからの課題
 それから神経伝達物質。なぜわれわれは快感を感じるかということですね。これは環境によりよく適応できたものだけが生きながらえるように、生存によりよいことであればご褒美がもらえるようになっているのだと言われます。ところが最近は生存とは関係しないことに対してもご褒美だけ、ただでもらえてしまう仕組みが確立されている。何も仕事をしなくても充実感、満足感、楽しい、そういう錯覚を脳に発生させることができる。ここがたぶん、メディアを含めて非常に考えなくてはいけないところだと思います。
 脳を錯覚させないようにするためには、やはりわれわれは科学技術のアセスメントをして、方向を決めていく必要があると思います。また私たちの脳をどういうかたちで、うまく常時、運動をさせてやっていくか。そういうこともメディアの一つの課題としては考えていかなくてはいけないと思います。 
(レポート:東北大学大学院生 山田 宗和)
 
講演する小泉氏
 


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