日本財団 図書館


101
蓬莱仙峡
福田眉仙
1962(昭和37)年
紙本淡彩
92.0×127.1cm 1幅
 
102
六甲山
林 重義
1933(昭和8)年頃
油彩・キャンバス
73.0×91.3cm 額1面
 
 林 重義(しげよし)(1896〜1944)は、神戸市中山手に生まれ、大阪に育った。庭山耕園の塾で日本画を学び、京都市立絵画専門学校に入学するが、その後関西美術院へ移り、洋画に転向した。昭和3年より約2年渡欧、帰国後は武庫郡住吉村に住み、それまでのルオーを思わせる画風を変化させて、身近な風景を描くようになった。本作には六甲山の岩の質感がよくとらえられている。『林重義 没後50年展』図録年譜(1994年・神戸市立小磯記念美術館)によると、林は昭和8年1月に、画題となる場所を求めて友人と六甲山をドライブしたという。同年3月の第3回独立展出品作。
 
103
海岸(みるめ浜)
小磯良平
1934(昭和9)年
油彩・キャンバス
40.7×72.5cm 額1面
兵庫県立美術館蔵
 
 小磯良平(1903〜88)は、神戸市中山手通に生まれた。県立第二神戸中学校を経て、東京美術学校にて藤島武二に師事し、同校を首席で卒業。ヨーロッパ留学後、帝展、新制作派協会に出品した。中学時代の良平少年が、友人の田中忠雄や後に詩人となる竹中 郁らとスケッチしてまわった場所のひとつが、灘のみるめ浜だった。かつて外国人のヨットハーバーやクラブハウスがあり、異国情緒が感じられたからだという。
 
104
川西 英
1915〜17(大正4〜6)年頃
木版・紙
24.7×16.4cm 1枚
 
105
神戸海岸風景
川西 英
1929(昭和4)年
木版色摺・紙
26.7×33.8cm 1枚
 
106
布引雌滝
川西 英
1930(昭和5)年
木版色摺・紙
27.0×34.0cm 1枚
 
 川西 英(ひで)(1894〜1965)は神戸市東出町の生まれ。県立第二神戸中学校を経て、県立神戸商業学校に学ぶ。『白樺』『現代の洋画』などを愛読し、ゴッホ、セザンヌ、竹久夢二に傾倒。油彩画と木版画を独学した。とくに、山本鼎の作品に感動して創作版画の道を進んだ。昭和4年に版画グループ・三紅会を神戸で結成、同地の創作版画家たちの中心的存在となった。大正期から昭和初期頃の川西の神戸風景には、表現主義的な描写が目立つが、《布引雌滝》には紅葉と滝を見物する外国人水兵や夫婦連れが描かれ、より親しみやすい風景表現となっている。この後、《神戸十二ヶ月風景》(昭和6年、今回は出品されていない)や、《神戸百景》(昭和8〜11年)を制作。神戸の風景を描くビューポイントを網羅し、その後定型となる表現を生み出した。《新日本百景》は日本版画協会が頒布したシリーズ、川西は「神戸港」と「青島(宮崎)」を担当した。
 
107
《神戸百景》
造船職工出勤/須磨海岸/パイロットボート/相生橋跡/六甲ロープウェイ/三宮神社/米艦入港/西洋薬種店
川西 英
1935(昭和10)・1936(昭和11)年
木版色摺・紙
各約15.7×25.4cm 計8枚
 
108
《新日本百景》 神戸港
川西 英
1940(昭和15)年
木版色摺・紙
22.8×30.0cm 1枚
 
109
ドック(試摺り)
北村今三
1925(大正14)年頃
木版・紙
9.1×14.2cm 1枚
 
110
波止場
北村今三
1920年代前半頃
木版・紙
16.5×23.2cm 1枚
 
111
築港風景
北村今三
1930(昭和5)年10月7日
木版・紙
15.4×16.9cm 1枚
 
 北村今三(1900〜46)は神戸出身の版画家。関西学院在学中より木版画を始め、日本創作版画協会に出品。表現主義的な作品を制作し、神戸で川西英、春村ただをらと版画グループ・三紅会を旗揚げした。《ドック》は、大正14年に発行された『HANGA』第7輯(神戸版画の家)に収められた作品の試摺り。鋭角的な彫りでエネルギーに満ちた造船所が表現されている。昭和5年の《築港風景》は拡張中の港、昭和10年の作品はガントリークレーンを眺める人物、と北村は神戸港の中でも重工業的側面に惹かれていたようだ。
 
112
作品(ガントリークレーンの見える風景)
北村今三
1935(昭和10)年
木版・紙
21.2×26.2cm 1枚
 
113
《神戸風景》
1 メリケン波止場 13.7×19.1cm
2 楠公社正門 13.9×18.4cm
3 トーアホテル 15.2×21.0cm
4 K造船所遠望 13.6×21.1cm
5 メソヂスト教会 21.4×13.9cm
6 夜の居留地 13.3×18.2cm
7 相生橋 13.5×21.1cm
8 神戸タワー 22.8×13.6cm
春村ただを
1927(昭和2)年
木版色摺・紙
計8枚
 
 春村ただを(1900〜77)は千葉出身の版画家。関西学院在学中より北村今三と親しく、木版画を制作、日本創作版画協会に出品した。川西 英、北村とともに版画グループ・三紅会を結成した。8点の木版画からなる《神戸風景》は、昭和2年に神戸版画の家より30部限定で発行された。明治41年完成のトーアホテル、大正13年に開業した湊川公園の神戸タワー、県庁前の栄光教会など、春村が選んだ場所は神戸の近代的な名所と建築物。淡い色調で描かれた画面は、大正期の《阪神名勝図会》より神戸の都市としての近代性を感じさせる。川西の《神戸十二ヶ月風景》《神戸百景》に先立つ、創作版画による神戸風景シリーズとしても注目される。
 
114
神戸山手風景
別車博資
1931(昭和6)年
水彩・紙
38.6×50.5cm 1枚
 
115
旧栄町風景
別車博資
1932(昭和7)年
水彩・紙
44.2×58.9cm 1枚
 
116
湊川トンネル西口
別車博資
1932(昭和7)年
水彩・紙
36.5×47.5cm 1枚
 
 別車博資(べっしゃひろすけ)(1900〜76)は神戸市西出町の生まれ。独学で水彩画を始め、昭和初年より大阪の信濃橋洋画研究所で国枝金三に学んだ。日本水彩画会に出品、また一水会の設立を機に同展に出品し、石井柏亭に師事した。昭和戦前期、神戸港や市街地を、フォーヴィスム風・表現主義的な筆致で描いた。
 湊川トンネルは、大正10年に湊川公園下に架けられた鉄筋コンクリート・アーチ型の陸橋で、下を神戸市電が通り、湊川トンネルと通称された。本作には重厚な建造物と街並みの間に市電、自動車、歩行者、自転車が活写され、胎動する工業都市のイメージを伝えている。
 
117
神戸風景
別車博資
1955(昭和30)年頃
水彩・紙
65.2×81.8cm 1枚
 
118
神戸風景(県庁前)
別車博資
1963(昭和38)年
水彩・紙
38.1×54.4cm 1枚
 
119
須磨彩雲
別車博資
1960〜63(昭和35〜38)年頃
水彩・紙
38.0×54.0cm 1枚
 
120
神戸岩井商会
神原 浩
1940〜60年代
エッチング・紙
16.6×26.6cm 1枚
 
121
雨の新開地
神原 浩
1941(昭和16)年頃
エッチング・紙
18.4×11.4cm 1枚
 
 神原 浩(1892〜1970)は神戸出身の洋画家・銅版画家。関西学院普通部卒業後、本郷洋画研究所に学ぶ。大正期にメキシコヘ渡り、キューバの美術学校で勉強後、スペイン、フランスを美術行脚し、パリのアカデミー・コラロッシとグラン・ショミエールに学んだ。帰国後、神戸女学院と関西学院で教鞭をとる。留学中に会得したエッチングの技術を生かして、神戸港や西洋建築・倉庫群のある風景を描いた。雨の中、傘を差して新開地を歩く人々を描いた本作は、濡れた路面が光る様子や湿った空気をリアルに感じさせ、歓楽街の裏町の物憂さを伝える。
 
122
メリケン波止場
神原 浩
1950〜60年代
エッチング、アクアチント・紙
14.8×32.3cm 1枚
 
123
元居留地 トンプソン商会
小松益喜
1935(昭和10)年
コンテ・紙
39.6×55.0cm 1枚
 
124
海岸通 鉄道桟橋行き鉄道のある風景
小松益喜
1935(昭和10)年
コンテ・紙
47.3×62.4cm 1枚
 
125
元居留地 南町
小松益喜
1935(昭和10)年
コンテ・紙
39.5×55.0cm 1枚
 
126
元居留地 カナデイアンパシフィークとオリエンタルホテル
小松益喜
1938(昭和13)年頃
コンテ・紙
39.6×54.9cm 1枚
 
127
英三番館
小松益喜
1939〜40(昭和14〜15)年
油彩・キャンパス
91.5×117.0cm 額1面
兵庫県立美術館蔵
 
 小松益喜(ますき)(1904〜2002)は高知出身、東京美術学校に学ぶ。在学中にプロレタリア美術家同盟に参加する。昭和5年に同校卒業後、一度帰郷するものの、昭和9年に再度上京を決意し、旅の途中に立ち寄った神戸でエキゾティックな街並みに魅せられ、当地に留まって旧居留地や北野の異人館を描き続けた。
 トンプソン(タムソン)商会は、メリケン波止場を北上した、神戸郵船ビルのやや北にあった薬・煙草・書籍・文房具などを扱う外国人向け雑貨店。画家は珍しい壁看板のある建物に惹かれ、重厚さを表現するために技法を研究し、2年以上かけて描いたと『小松益喜画集 神戸の異人館』(1976)で述べている。同店は戦災によって焼失したが、建築物の肖像画のように小松が本作を描いたことでその姿が残された。川西 英の《神戸百景》や、中山岩太の写真にも登場する、昭和戦前期に画家たちを惹きつけた、神戸を描くビューポイントのひとつ。
 
128
終戦直後の居留地
小松益喜
1946(昭和21)年頃
油彩・キャンバス
72.9×116.8cm 額1面
神戸市蔵
 
129
六甲風景
小松益喜
1955(昭和30)年
油彩・キャンバス
60.7×72.8cm 額1面
 
130
白い壁 六甲風景
小松益喜
1957(昭和32)年
油彩・キャンバス
44.5×52.5cm 額1面
 
131
北野小径(壊れた塀)
小松益喜
1959(昭和34)年頃
油彩・キャンバス
72.9×90.6cm 額1面
神戸市蔵
 
132
神戸港眺望
Y.コジマ
1938(昭和13)年
油彩・キャンバス
80.6×168.2cm 額1面
 
 画面左下のサインより、Y.KOJIMAという画家が昭和13年に描いたとわかる神戸港風景。神戸生絲取引所旧蔵品。もともとは旭シルクの所蔵で、同社の社屋が入っていた現在の商船三井ビルの窓辺から描いたのではないかと指摘されている。画面中央に川崎造船所のガントリークレーン、その手前の中突堤に富士丸が停泊し、無数の船舶や艀(はしけ)が行き交う活気ある港の様子が克明に描かれている。第一突堤、万国波戸場、高浜倉庫、突堤周辺の滞船具合なども正確に描かれており、本作に込められた情報量の多さに圧倒される。戦前のもっとも繁栄していた神戸港の姿を緻密に、そして躍動的に記録した隠れた名品。
 
133
トンプソン商会
中山岩太
1939(昭和14)年
ゼラチン・シルバー・プリント
42.7×53.3cm 1枚
 
 中山岩太(1895〜1949)は福岡出身、幼少時に東京に移り住む。東京美術学校臨時写真科、カリフォルニア州立大学に学び、ニューヨークのキクチ・スタジオで働いた後、自身のスタジオを設立、パリでも働いた。帰国後、芦屋に住み、ハナヤ勘兵衛らと芦屋カメラクラブを結成した。
 本作は、道路をへだててトンプソン商会の前に立つ外国人男性の姿を撮影した写真。雨に濡れた路面が光り、背後の店舗が白っぽく浮かびあがる。男性がクローズアップされることで、付近は外国の街角であるかのような雰囲気を放っている。
 
134
大丸前
中山岩太
1939(昭和14)年頃
ゼラチンーシルバー・プリント
42.7×53.4cm 1枚
 
135
焼け跡(6)
中山岩太
1945(昭和20)年
ゼラチン・シルバー・プリント
19.0×14.0cm 1枚
 
136
神戸眺望
田中忠雄
1957(昭和32)年
油彩・キャンバス
45.6×60.6cm 額1面
 
 田中忠雄(1903〜95)は札幌に生まれ、牧師の父の仕事で神戸に移り住んだ後、小磯良平と生涯の友となった。京都高等工芸学校、本郷洋画研究所に学ぶ。川崎造船所のガントリークレーンと教会が描かれていることから、神戸港とわかる。
 
137
北野風景
西村 功
1952(昭和27)年
油彩・キャンバス
53.5×45.5cm 額1面
 
 西村 功(1923〜2003)は大阪生まれ。中之島洋画研究所を経て武蔵野美術大学を卒業、二紀会に出品した。本作には重厚な門の前にたたずむ人が描かれている。まだ異人館ブームにわく前の静かな北野風景を連想させる。
 
138
トーアロードにて
西村 功
1958(昭和33)年
油彩・キャンバス
53.3×64.9cm 額1面
 
139
廃嘘
西村元三朗
1950(昭和25)年
油彩・キャンバス
73.0×91.0cm 額1面
神戸市蔵
 
 西村元三朗(もとさぶろう)(1917〜2002)は神戸市元町の生まれ。薬大を目指して勉強中、召集されて中国で約2年の軍隊生活を送る。負傷して入院中、画家になることを決意し、除隊後、小磯良平に師事した。1944(昭和19)年、日本大学専門部芸術科を卒業。新制作展、関西新制作展、バベル美術協会などに出品した。
 本作には、昭和20年6月5日の空襲で焼失した、オリエンタルホテル(海岸通6番)の廃墟が描かれている。「戦災孤児や壼は戦争の空しさを表現した」と、画家は『西村元三朗 半世紀の軌跡』(1993)で述べている。『オリエンタルホテル三十年の歩み』(1956)によると、昭和22年に米軍から旧ホテルの焼け跡残骸撤去命令が通達され、翌年復旧に着手、昭和24年2月に復興したという。建物が再建されていくのとは逆に、消えていくホテルの廃墟を描きとどめることが、自身の戦争体験と破壊された神戸の街に対する哀悼の記録として重要だったのだろう。
 
140
兵庫運河
品川祐治郎
1949(昭和24)年
水彩・紙
57.0×77.5cm 1枚
 
 品川祐治郎(1922〜2003)は広島出身。大阪の中之島洋画研究所で田村孝之介に師事、二紀展に出品した。兵庫運河は明治32年に開通、付近は工場や材木商が多かった。
 
141
旧居留地15番館
元川嘉津美
1983(昭和58)年
油彩・キャンバス
60.5×72.5cm 額1面
 
 元川嘉津美(1905〜2005)は広島出身、父母と神戸に移り住み、神戸地上社洋画研究所に学ぶ。大正13年より信濃橋洋画研究所、その後大阪美術学校に学び、二科会、戦後は一水会に出品した。
 15番館は、明治14年頃に建てられた外国商館で、旧居留地内で明治初期の雰囲気を伝える貴重な建物として知られていた。元川がコロニアル様式を持つ外観を重厚な筆致で描いたのが昭和58年。その後、15番館はレストランに改修・使用されていたが、阪神・淡路大震災により全壊した。平成10年に復元され、現在はカフェになっている。重要文化財。
 
142
新開地(三角公園)
川端謹次
1953(昭和28)年頃
油彩・キャンバス
45.6×53.1cm 額1面
神戸市蔵
 
143
舞子公園
川端謹次
1954(昭和29)年
油彩・キャンバス
116.7×91.7cm 額1面
神戸市蔵
 
 川端謹次(きんじ)(1909〜1998)は丹波市柏原町出身。柏原中学校在学中の昭和2年頃、藤島武二の作品を見て画家の道を志す。昭和7年、東京美術学校西洋画科に入学、田辺 至と藤島武二に師事した。卒業後、広島、仙台で教鞭をとり、昭和22年に神戸市に移り住む。長田高校の美術教諭を勤め、光風会、日展、神戸洋画会展に出品した。
 《舞子公園》は、前景に老松を描き、樹木の間を通して淡路島を眺望する。外光の下での自然描写を学んだ洋画家が選んだ構図は、名所絵に描かれた舞子と類似する。《潮風》には神戸港のシンボル、川崎造船所のガントリークレーンが描かれている。《潮風》は第11回日展(1955)特選受賞作。
 
144
潮風
川端謹次
1955(昭和30)年
油彩・キャンバス
145.5×112.3cm 額1面
神戸市蔵
 
145
一の谷風景
川端謹次
1960(昭和35)年
油彩・キャンバス
45.5×53.2cm 額1面
神戸市蔵
 
146
神戸港風景
坂本益夫
1951(昭和26)年6月
油彩・キャンバス
38.0×45.6cm 額1面
 
 坂本益夫(1907〜94)は神戸市雪御所町の生まれ。川端画学校を卒業し、二科展に出品、二紀会の創立に参加した。商船三井ビルを中央に描いた本作は、昭和26年6月作。阪神高速3号神戸線は、まだ無い。海より海岸通を眺める視点は、二代長谷川貞信の《神戸港》と重なる。このような作品を見ると、高速道路が、海岸通と海や港を視覚的・心理的に分断していることを痛感する。たとえば現在、京町筋から南へ歩いてみても、海は実際の距離より遠く感じられる。
 
147
教会の見える神戸風景
坂本益夫
1950年代頃か
油彩・キャンバス
45.5×53.3cm 額1面
 
148
港風景
坂本益夫
1952(昭和27)年9月
インク、水彩、パステル、グワッシュ・紙
38.2×51.0cm 1枚
 
149
神戸港
林 鶴雄
1957(昭和32)年
油彩・キャンバス
53.1×45.6cm 額1面
 
 林 鶴夫(1907〜90)は龍野市出身。龍野中学校卒業後、小学校図画科教員の検定試験に合格、神戸に移り住み、稗田小学校に勤めた。その頃、林 重義に師事した。昭和11年に上京し、藤田嗣治の知遇を得て師事、二科展、一水会に出品した。本作には、メリケン波止場から水上警察署の方へ神戸港を眺めた風景が描かれている。
 
150
神戸山手風景
林 鶴雄
1957(昭和32)年
油彩・キャンバス
38.1×45.7cm 額1面
 
151
神戸風景(栄光教会前)
山本萬司
1960年代頃か
油彩・キャンバス
45.3×52.9cm 額1面
 
 山本萬司(1916〜91)は加古郡出身。県立工業学校卒業後、中之島洋画研究所、京都市立美術学校に学ぶ。本作には、神戸市電が通っていた頃の県庁前、栄光教会の風景が描かれている。ビューポイントとして愛された栄光教会は、阪神・淡路大震災で倒壊したが、今年、元の姿に再建された。
 
152
神戸夜景
桝井一夫
1983(昭和58)年頃
パステル・黒い紙
34.4×49.4cm 1枚
 
 桝井一夫(1908〜91)は、神戸市出身。楠高等小学校卒業後、同校教諭の赤松彦次郎に洋画の手ほどきを受け、ヨーロッパ留学より戻った小磯良平に師事した。新制作派協会、一水会に出品。
 本作は黒い紙にパステルで、神戸市街地の夜景と港にともる灯を表現している。彼方に市章山を望む構図から、1980年代に入った、ポートアイランドからの眺望ではないかと考えられる。
 
153
六甲山朝陽
立脇泰山
1950年代頃か
絹本著色
40.0×43.6cm 額1面
 
 立脇泰山(たてわきたいざん)(1886〜1970)は、福井県小浜出身。京都市立美術工芸学校を卒業、竹内栖鳳に師事した。本作には、朝靄の立ち込める六甲山に、朝陽が射しはじめる光景が描かれている。画中の飛翔する鳥の存在が、山と渓谷の広大さを感じさせる。
 
154
裏六甲
菖蒲大悦
1950年代頃か
絹本墨画
40.4×43.4cm 額1面
 
155
千刈貯水池
菖蒲大悦
1960年代頃
紙本著色
42.4×36.3cm 額1面
 
 菖蒲大悦(しょうぶたいえつ)(1902〜2000)は佐賀県の出身。画家となるべく上京し、創立間もない日本美術学校に学んだ。大正13年に同校を卒業後、神戸へ移り、県内の日本画家たちによって結成された兵庫県美術協会に参加した。
 千刈貯水池は、神戸市北区・三田市・宝塚市にまたがる貯水池。大正3年に、都市人口の増加にともなう水不足対策のために、神戸市水道局が着工し、5年かけて建設された。有馬や六甲の風景を好んだ菖蒲大悦は、みずみずしい緑に溶け込む有馬・千刈の建造物を描いている。
 
156
有馬遠望
菖蒲大悦
1960年代頃
絹本著色
45.4×53.0cm 額1面
 
157
布引の滝
昇 外義
1977(昭和52)年
絹本著色
118.3×56.2cm、118.3×56.2cm、118.3×56.2cm
三曲一隻屏風
 
 昇 外義(のぼりがいぎ)(1925〜95)は富山県高岡市出身。県立高岡工芸学校を経て、京都市立絵画専門学校日本画科に学ぶ。昭和29年より入江小学校教諭を勤めた。入念なスケッチに基づく細密な自然描写で知られる。本作は、画家が繰り返し描いた布引の滝の中で、最初に制作されたもの。滝を見通せるように、樹木の葉が落ちた冬に毎日スケッチに通ったといい、緻密に描かれた雄滝は、霊性さえ感じさせ荘厳な印象を与える。「美術館で見てもらうより、和室の部屋で鑑賞してもらいたい」との画家の意向により、収納し易い三枚組の屏風とし、花梨の皮で装飾を施した紫檀額に納められている。


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