I 伝えられた(つたえられた)神戸(こうべ)
源平合戦図屏風(げんぺいかっせんずびょうぶ)
一の谷合戦図(いちのたにかっせんず)
狩野吉信(かのうもとのぶ)
赤旗(あかはた)と白旗(しろはた)で平家(へいけ)と源氏(げんじ)がわかるゾ
見て! 一の谷(いちのたに)の合戦(かっせん)の名場面(めいばめん)を一枚(いちまい)の屏風(びょうぶ)に描いた(かいた)、目(め)で見る(みる)『平家物語(へいけものがたり)』。大河(たいが)ドラマで滝沢秀明(たきざわひであき)が演じる(えんじる)源義経(みなもとよしつね)は、白丸(しろまる)の人(ひと)。有名(ゆうめい)な坂落とし(さかおとし)の場面(ばめん)の義経(よしつね)です。この場面(ばめん)だけを大きく(おおきく)描いた(えがいた)ものが、下(した)の絵(え)です。
義経之軍兵(よしつねのぐんびょう)
一の谷逆落之図(いちのたにさかおとしのず)
歌川国芳(うたがわくによし)
平 敦盛像(たいらのあつもりぞう)
狩野久蔵(かのうきゅうぞう)(内膳(ないぜん))
見て! 平敦盛(たいらのあつもり)は、屏風(びょうぶ)の中(なか)では、「敵(てき)に後(うしろ)を見せる(みせる)のか」と熊谷直美(くまがいなおざね)に招き(まねき)寄せられる(よせられる)場面(ばめん)が描かれて(えがかれて)います(赤丸(あかまる))。この後(あと)、敦盛(あつもり)は組み伏せられ(くみふせられ)、首(くび)を落とされ(おとされ)ます。16歳(さい)の時(とき)でした。左(ひだり)の絵(え)の作者(さくしゃ)は狩野内膳(かのうないぜん)。南蛮(なんばん)屏風(びょうぶ)の作者(さくしゃ)と同じ(おなじ)です。波打ち際(なみうちぎわ)を疾走(しっそう)する若武者(わかむしゃ)、敦盛(あつもり)をいきいきと描いて(えがいて)います。
本朝名所(ほんちょうめいしょ)
播州舞子之浜(ばんしゅうまいこのはま)
歌川広重(うたがわひろしげ)
見て! 神戸(こうべ)は昔(むかし)から観光名所(かんこうめいしょ)が多く(おおく)、たくさん描かれて(えがかれて)きました。舞子の浜(まいこのはま)と布引の滝(ぬのびきのたき)、須磨(すま)はその代表(だいひょう)です。
諸国名所百景(しょこくめいしょひゃっけい)
摂州布引の滝(せっしゅうぬのびきのたき)
二代歌川広重(にだいうたがわひろしげ)
布引の滝図(ぬのびきのたきず)
山本梅逸(やまもとばいいつ)
同じ(おなじ)滝(たき)でも描かれ(えがかれ)かたが全然(ぜんぜん)違い(ちがい)ますよね。
美作(みまさか)―大阪道中紀行(おおさかどうちゅうきこう)
見て! 江戸時代(えどじだい)の終わり(おわり)頃(ごろ)、岡山県(おかやまけん)から大阪(おおさか)まで旅(たび)をした人(ひと)が描いた(えがいた)ものです。田舎(いなか)に残る(のこる)お母さん(おかあさん)に旅(たび)の様子(ようす)を知らせる(しらせる)ため、途中(とちゅう)の風景(ふうけい)を描いた(えがいた)のです。初めて(はじめて)出会った(であった)外国(がいこく)の人(ひと)にもびっくり。後(うしろ)に見える(みえる)建物(たてもの)は神戸(こうべ)の街(まち)です。
描かれて(えがかれて)いる人(ひと)の服装(ふくそう)や髪型(かみがた)、表情(ひょうじょう)をよく見よう!
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