3章 船長のための対処ガイドラインについて
船長として、船内殺人・傷害事件が発生したときに、管理会社等との連絡相互確認を第一義に行うことは当然であるが、一連の事件処理が適正に実施され、それでもって、船舶運航が合理的に支障がない状況にする義務がある。
以下において、現場船長にとっての対処ガイドラインとして、必須項目に区分して説明をする。
船内犯罪発生時において船長が実際に事件を処理するにあたり、重要であると考えられる法律知識について以下に整理するとともに、関係する事項について説明する。
船内で犯罪が発生した場合を考えると、船長はまず被害者の救護と被害の拡大防止策をとるとともに、被疑者の身柄を拘束しなければならず、それは船舶の旗国の法律に定める船長の権限を法的根拠として行うこととなる。
備考)船長の権限で述べたように、船長の権限の詳細な内容は国によって異なるものの、代表的な便宜置籍国であるパナマ、リベリアも含めて多くの国の法律において、共通して船長に船内秩序維持の権限を与えていることがわかる。
よって、便宜置籍船においても多くの場合、その船籍国の法律で船長に船内秩序維持の権限を与えているものと考えられ、船長による被疑者の逮捕・監禁等は法的な問題を生じないと考えられる。
次に、船長は、船舶管理会社に事実の顛末を報告し指示を仰ぐとともに、必要があれば最寄りのコーストガードに通報し援助を要請することとなるが、いずれの国が執行管轄権を行使するかの問題において、事件が国連海洋法条約におけるどの海域で発生したものかが重要になる。
公海、排他的経済水域、領海で事件が発生したならば、原則として旗国が刑事裁判管轄権を有することとなるが、領海で発生した事件については、国連海洋法条約二十七条において
(a)犯罪の結果が沿岸国に及ぶ場合
(b)犯罪が沿岸国の平和又は領海の秩序を乱す性質のものである場合
(c)その船舶の船長又は旗国の外交官もしくは領事官が沿岸国の当局に対して援助を要請した場合
(d)麻薬又は向精神薬の不法な取引を防止するために必要である場合
は領海の沿岸国が捜査や犯人の逮捕ができると定めている。本研究で対象としているのは、船内における殺人・傷害事件であり、それらを対象として沿岸国が刑事裁判管轄権を行使し得るのは通常(c)の場合のみであると考えられる。
内水については、原則として沿岸国の全面的主権が及ぶことになるが、一般にイギリス主義とフランス主義の考え方があるといわれている。
イギリス主義では沿岸国は、入港中の外国船舶内で発生した行為であって、自国の刑法上の犯罪に該当するものについては、広くその刑事裁判管轄権を及ぼすことを原則とし、フランス主義では沿岸国は原則として、船舶の内部規律に関する犯罪、又は船員相互間の犯罪など船内で行われた犯罪で専ら船員のみに関するものについては、外国船舶の旗国の刑事裁判管轄権に服することとし他方、沿岸国の平穏、秩序に影響を及ぼすもの、船上で行われた犯罪で乗客が実行行為者又は犠牲者であるもの、旗国の領事又は船長が援助を求めた犯罪等に限り沿岸国は刑事裁判管轄権行使することを原則とする。
しかし、多くの国においては、いずれの主義をとるにせよ、内水にあっても旗国の権利を尊重し、自国に直接の影響がなければ積極的な管轄権行使をしない傾向にあるので、現在では二つの主義の違いに大きな差はないと考えられている。
これらの基礎知識を前提とし、船内犯罪発生時の船長による実務処理について、以下に考察することとする。
3.2 事件発生後の陸上機関等への援助要請手順について
世界の海洋を航行する外航船舶の場合、いかなる場所で船内犯罪が発生するか予測することはできないが、緊急を要する場合は最寄りの沿岸国に無線連絡等で通報し、救援を要請することができる。
しかし、インマルサットによる船舶電話が世界中いかなる場所からも利用可能である現在、日本人船長の乗り組む船舶で船内犯罪が発生した場合、まず船舶管理会社に電話連絡して指示を仰ぎ、その結果海上保安庁へ救援を要請する、あるいは沿岸国への救援を要請するという手段も考えられる。
3.3で示すように、日本人が関係する船内犯罪(重大犯罪)ではすべて日本の刑事裁判管轄権が発生するので、そのような場合は海上保安庁への連絡を行うのが妥当であると考えられる。
海上保安庁への連絡方法は、電話の他、インマルテレックス、国際VHF、中波DSC、短波DSC、SSAS(船舶警報通報装置)を用いた方法があり、それらを表3.2.1に纏める。
なお、SSASは非常に誤報が多いという現状であり、それによる連絡は基本的にテロ又は海賊事案を想定しているので、誤報でも容易に本船に確認がとれないという問題があるので、現状では通常の船内犯罪の通報は他の手段を用いた方が良いと考えられる。
表3.2.1 緊急の事態が発生した場合の海上保安庁への通報手段
通報手段 |
入力番号又は呼出先 |
使用機器・設備 |
備考 |
電話 |
118 |
船舶電話(Nスター)、携帯電語 |
左記手段以外は使用不可 |
03-3591-9000他 |
船舶電話(Nスター)、インマル電話等 |
国際電話の場合は、81-3-3591-9000 |
インマルテレックス
(一般通信) |
2225193 |
インマルテレックス(A、B、C) |
|
国際VHF
(一般通信) |
次のうち近隣のところを指定
○○ホアン(○○Sea Patrol Radio)
おたる、しおがま、よこはま、なごや、こうべ、ひろしま、もじ、まいづる、にいがた、かごしま、なは、 |
国際VHF無線設備(CH16) |
・日本沿岸部
・一斉放送となる |
中波DSC
(一般通信) |
次のうち近隣のところを指定
004310101(おたるほあん)
004310201(しおがまほあん)
004310301(よこはまほあん)
004310401(なごやほあん)
004310501(こうべほあん)
004310601(ひろしまほあん)
004310701(もじほあん)
004310801(まいづるほあん)
004310901(にいがたほあん)
004311001(かごしまほあん)
004311101(なはほあん) |
中波無線設備(2MHz) |
日本近海部(約150マイル内) |
短波DSC
(一般通信) |
004310001(とうきょうほあん) |
短波無線設備(4、6、8、12、16、18、22MHz) |
距離等に応じて周波数を選択(約150マイル以遠) |
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2. 船舶の責任者が「緊急の事態が発生し緊急通信が必要である」と判断した場合の通報手段
上記1に加え、次の手段での通報が可能
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通報手段 |
入力番号又は呼出先 |
使用機器・設備 |
備考 |
インマルテレックス
(緊急通信) |
自動接続(遭難ボタン押下) |
インマルテレックス(A、B、C) |
通報先を山口地球局に指定した場合のみ、KDDI経由で海上保安庁に接続 |
インマル電話
(緊急通信) |
自動接続(遭難ボタン押下) |
インマル電話(A、B、F、M) |
通報先を山口地域局に指定した場合のみ、KDDI経由で海上保安庁に接続 |
国際VHF
(緊急通信) |
通報先を指定する場合は、次のうち近隣の局を指定:
○○ホアン(○○Sea Patrol Radio)
おたる、しおがま、よこはま、なごや、こうべ、ひろしま、もじ、まいづる、にいがた、かごしま、なは |
国際VHF無線設備(CH16) |
・日本沿岸部
・一斉放送となる |
中波DSC
(緊急通信) |
通報先を指定する場合は、次のうち近隣のところを指定
004310101(おたるほあん)
004310201(しおがまほあん)
004310301(よこはまほあん)
004310401(なごやほあん)
004310501(こうベほあん)
004310601(ひろしまほあん)
004310701(もじほあん)
004310801(まいづるほあん)
004310901(にいがたほあん)
004311001(かごしまほあん)
004311101(なはほあん) |
中波無線設備(2MHz) |
・日本近海部(約150マイル内)
・通報先を指定しない場合、一斉放送となる |
短波DSC
(緊急通信) |
通報先を指定する場合は、次の局を指定
004310001(とうきょうほあん) |
短波無線設備(4、6、8、12、16MHz) |
・距離に応じて周波数を選択(約150マイル以遠)
・通報先を指定しない場合、一斉放送となる |
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3. SSAS(船舶警報通報装置)による通報
SSASによる通報の場合には、次の点に注意して使用することが必要である。
(1)あらかじめ海上保安庁を送信先として設定する必要がある。
(2)海上保安庁からCSO(船舶保安統括者)に確実に連絡がとれる体制が必要である。このため、便宜置籍船等日本船舶以外の日本関係船舶については、事前に当該船舶のCSOを海上保安庁へ届け出る必要がある。
(3)テロ又は海賊事案を想定した対応となることから、事実確認に時間を要する場合がある。
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船舶管理会社からの連絡手法等について確認した後、海上保安庁へ連絡を行う際は、事件発生時刻、場所、発生した事態、被害者の状態、被疑者の状態等を詳細に伝えるとともに、被害者の救援を要請したいのか、犯人の逮捕を要請したいのか、具体的な要請の目的を伝えるよう注意する。
また、事件現場は、できればそのままの状態で保存しておくのが捜査の観点からはのぞましいが、航海中の船内においてそれが困難な場合は、現場の状況がよくわかるように写真撮影を行い、詳細な記録を残す等、現場の状況が再現できるような記録を残すよう努める。
そして、犯行に使用された凶器は、犯罪行為の立証上重要であるので、この確保、保存に努める。
被害者の手当て及び被疑者の引渡し等、陸上機関と接触するまでの船内における対処について、まずは人命の保護が最重要な事柄であり、被害者の可能な限りの医療援助と看護をすると共に、その処置や被疑者の様態の観察及び記録を必ず残しておく。
また同時に、被害者の船内監禁あるいは行動監視に関して、被疑者の精神状態が船内設備あるいは他の乗組員へ危害を与えることが予想される場合は、職制の管理者とよく打ち合わせて船内監禁管理計画を立て、人道上の措置を踏まえ、指定した船内の部屋を監禁室として使用し、必要且つ充分な人員で当直制の行動監視等を実施し、船内の秩序保全に努める。
当然被疑者のこうした船内監禁管理に関しては、関与する事柄について記録保全をしておく。
3.3 船内犯罪ケースごとの刑事裁判管轄に関する検討のまとめ
洋上の船舶で発生した一般犯罪の刑事裁判管轄権について、3.1で説明したように国連海洋法条約では内水、領海、公海・排他的経済水域で異なった取り扱いとなっており、内水以外の水域では原則として旗国に刑事裁判管轄権が発生し、領海内ではその船舶の船長又は旗国の領事官等から要請があるような特別な場合、沿岸国が捜査及び犯人の逮捕ができると定めている。
内水については、国連海洋法条約では沿岸国の全面的主権に属するものと定められているので、原則として内水で発生した犯罪の刑事裁判管轄権は沿岸国に発生するが、3.1で説明したように、実際には各国とも自国に直接影響のない船内の一般犯罪については、旗国の管轄権を尊重する傾向にあるため、沿岸国が管轄権を行使するのは特殊な場合に限られると考えられる。
そして国連海洋法条約での刑事裁判管轄権の区分の他にも、犯罪の被害者、被疑者の国籍国の刑法において消極的属人主義又は積極的属人主義がとられている場合、それらの国の刑法も適用されることとなり、旗国等との管轄権の競合が発生することとなる。
わが国の船社が管理する、日本人と外国人との混乗の便宜置籍船を想定し、船内犯罪が発生した場合における被害者と被疑者の国籍及び事件発生水域の組み合わせと刑事裁判管轄権の関係について表3.3.1に整理する。
同表より、わが国は現在、積極的属人主義、消極的属人主義ともに採用しているので、日本人が関係するケースについては、すべて日本の刑事裁判管轄権が発生することがわかる。
また、船が便宜置籍船であるため、ほとんどのケースでわが国と旗国との管轄権の競合が生じることがわかる。
もし、事件に関与した外国人の国籍国が積極的属人主義、消極的属人主義を採用していたなら、更なる管轄権の競合が発生することになる。
表3.3.1 船内犯罪ケース毎の刑事裁判管轄権のまとめ
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*船は日本の船社が管理する便宜置籍船、乗組員は日本人と外国人の混乗を想定。
*犯罪は、殺人又は傷害を想定。
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