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'06剣詩舞の研究◎4
一般の部
石川健次郎
剣舞「逸題」
詩舞「余生」
剣舞
「逸題(いつだい)」の研究
篠原国幹(しのはらくにもと) 作
〈詩文解釈〉
 作者の篠原国幹(一八三六〜一八七七)は西郷隆盛の片腕といわれた薩摩出身の軍人。隆盛が「征韓論」に破れ職を辞して鹿児島に帰るとき、国幹もまた行動を共にした。
 
篠原国幹(写真)
 
 「征韓論」については後述するが、故郷に帰った国幹は、失意と日本の将来を憂え、日々悶々としていたが、この詩はその頃に詠んだものである。詩文の内容は『かつて豊臣秀吉が朝鮮征伐した時のように、我が国が朝鮮を攻め、軍馬に鴨緑江(おうりょっこう)(朝鮮と旧満州の境界を流れる大河)の水を飲ますことが出来るのは何時のことかと待っていたが、意外にも征韓論は破れて出兵の機会は消えてしまった。
 この様な事態に直面した我が失意と痛恨さは他人には計り知れるものではないが、今はただ手をこまねいで、春の風に散る花を眺めては詩を詠んで気分を紛らして(まぎらして)いる』というもの。一見、達観したが如くに述べた内容だが、詩の行間には激しい作者の心情が読みとれる。因みに篠原国幹は、その後隆盛と共に兵を挙げ(西南の役)、吉次峠の戦いで重傷を負い斃れた(たおれた)。
 
〈構成振付のポイント〉
 この作品のポイントは、何といっても作者の人間性を描くことであろう。
 ところでこの漢詩の起因となった「征韓論」とは当時大変な国家的事件として報じられ(錦絵参照)明治6年に朝鮮が日本に対して排日的、鎖国政策をとっていたので、これを武力によって開国させようと提唱した西郷隆盛、副島種臣、後藤象二郎、板垣退助らの考えに対して、欧米から帰国した岩倉具視、大久保利通、木戸孝允らが国内政治を優先せよと反対して、朝鮮出兵は中止された。然し西郷隆盛に傾倒する作者の篠原国幹も、当時の国内事情や、また清国をバックにした朝鮮の無礼を封じ込めるためには、派兵以外の手だてはないと信じていた。詩文では秀吉の韓国出兵を持ち出して、馬に鴨緑江の水を飲ませたいなどと述べているが、これはあくまでも形容であり、本音としては如何に攻撃するかの作戦で彼の頭は一ぱいだったであろう。
 
征韓論の図(錦絵部分)左端が西郷隆盛
 
 従って剣舞構成としては前奏から起句にかけては馬にこだわらず、剣技による勇壮な攻めの型を見せたい。承句では、この計画が中止になったための国幹の虚脱感や迷い、例えば振り上げた刀の処理に戸惑う心境を見せる。転句は承句を受けて、更に攻めの形に戻ろうとするが、周囲の圧力で押え込まれる様な苛立った(いらだった)動作で自己主張をする。結句は刀を落し(または納刀して)諦め(あきらめ)の境地を見せ、不図(ふと)見上げると花の散るのに気付き、扇に落花を受ける振りから、扇を短冊に見立てて詩をしたためようとするが、又しても心の苛立ちから筆は進まず、只々、悶々と花を見つめて終る。後奏は失意の情を込めて退場する。
 
〈衣装・持ち道具〉
 作者自身の閉ざされた心境を述べたものだから、衣装も黒や濃いグレー系のものを選びたい。扇も濃い茶や紺の無地とか、又は地紙に南画風のものを使ってもよいが、但し落花との関連で花の図柄のあるものを選ぶことは避けたい。
 
詩舞
「余生(よせい)」の研究
良寛(りょうかん) 作
〈詩文解釈〉
 作者の良寛(一七五八〜一八三一)は江戸時代末期の僧侶で、越後(新潟県)出雲崎の出身。18歳(一説には22歳)で出家し良寛と号した。22歳から数年備中玉島の円通寺、国仙和尚に学んだ。その後は、約20年諸国を行脚して越後に帰国して国上山の五合庵に入り、47歳から13年間ここに住んだ。生涯、寺を持たなかった良寛は、ときには托鉢して回り、子供達と手毬をついて遊び、農民と酒をくみ交わし、歌を詠み、書を楽しむと云った自由な無欲な生活を貫いた。
 
良寛(木像)
 
五合庵(大正三年再建)
 
 詩の題名の「余生」とは、一般には生涯の残りの部分を云うが、ここでは人生の盛りを過ぎた後に、俗世間をのがれ、のんびり暮らすことの喜びを述べたもので五合庵時代のことと推定される。詩文の意味は『雨があがり、雨雲が切れてきたので、空気までがさっぱりとしてきた。さて心がさわやかに、すがすがしくなると、世の中の物すべてがすがすがしく感じられる。今の自分は、この身も、うき世のわずらわしさからも解放されて、のんびり暮らすことが出来るようになったら、初めて“月”や“花”の風雅さが分かって来て、そうした雅(みやび)な世界を相手に余生を楽しもう』と云うもの。
 
〈構成振付のポイント〉
 作品の内容は良寛が出家して以来約20年の諸国行脚の後、故郷の五合庵に帰ってからの新たな生活身上を述べたものであろう。詩文の構成順とは異なるが、良寛は世の中のわずらわしさから開放された心のゆとりで、雨や雲が晴れて大気がすがすがしくなる様に彼の心も、世の中のすべてが清らかに感じる如く、月や花で代表される風雅な世界を相手に余生を楽しむ心情を描きたい。
 詩舞構成としては、良寛についてよく知られている、子供や村人達との交流や、得意とする草書の風格(筆跡ぶり)や詩作ぶりを点在させる。
 まず前奏から起句にかけては笠(扇で代用)をかぶり托鉢の良寛が登場して来ると、子供達の遊戯を見付け、毬つきなどで交流する。承句では隠れんぼで目隠しされた良寛が間違えて村人を捕まえ、目隠しをとると、転句では美しい天空の月を見上げて、村人と酒を酌み交わす。良寛は酔って天空に“月”の字を草書体で筆を走しらす。結句はやがて花が散ってくると興にのった良寛は、早速短冊(扇)に歌を認め立ちつくし、名残り惜しげに退場する。
 
良寛の筆跡
 
〈衣装・持ち道具〉
 ほとんど良寛の一人称振りになるから、着付けと袴はグレーか薄茶がよい。扇は鳥の子の無地、必要なら目隠しの手拭い。


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