平成17年度
「山古志・小千谷における二十村郷闘牛の復興」事業報告
I 総括編
1 新潟県中越地震の発生
旧山古志村及び小千谷市は、平成16年10月23日に起った新潟県中越地震で未曾有の大被害に遭遇した。旧山古志村は、家屋は全て全壊又は半壊し、村民の全てが住める状態ではなくなってしまった。また、道路は寸断され山崩れや崖崩れの危険にさらされるなど全村民が避難を余儀なくされた。
新潟県では昭和39年に起こった新潟地震以来の大地震であるが、全村避難に至るなど新潟地震を遙かに超える被害であった。旧山古志村村民は、やがて長岡市内に建設された仮設住宅に入居することとなったが、その生活も1年以上経った今なお続いている。一方、小千谷市においては山古志ほどには至らなかったにしても、仮設住宅での生活者が多く出ている現状は山古志に次ぐ被害であり、魚沼地域一帯は、未だかってない状況にある。
2 伝統行事「牛の角突き」
両地区には、伝統行事として数百年以上或いは千年余り続いているという「牛の角突き」行事がある。昭和53年5月に「重要無形民俗文化財 牛の角突きの習俗」として国の重要無形民俗文化財に指定されており、全国的に知られているところである。同類の角突きは現在西の方の愛媛県、島根県、鹿児島県、沖縄県で開催されているが、これらはいずれも島部で行われており、本州の日本海側に2カ所存在しているのは珍しい。今では地元にしっかり根付いている。
しかし、この伝統行事を存続していく闘牛場が地震で壊滅状態となった。また、闘う牛自体も地震で倒れた牛舎の下敷きになり数十頭が死亡した。残った牛も極度のストレス等により衰弱死したもの或いは処分されたものもでていた。これらを免れ生き延びた牛が山古志では31頭余り残ったが、元の牛舎が使用不能となっている現在では長岡市や新発田市へ、また、一部の牛は、出生地である岩手県等にも避難せざるを得ない状況になった。したがって、両地区とも例年5月から11月にかけて開催されてきたような闘牛大会を開催できる状況ではなかったのである。
このような中で県は、地震から立ち直る手立てとして12月1日「新潟県観光復興会議」を設立し、闘牛も重要な地域伝統芸能であるとの位置付けがなされた。地元では地震からの復興のシンボルとして、平成17年度においても伝統を絶やすことなく闘牛を開催することを決意した。まず、仮設牛舎を身近に建設することにより伝統の闘牛だけは復活させようとの意志を示し、開催に向け盛り上がりを見せたのである。平成17年2月になり第1回開催日は山古志で5月4日と定めたが、小千谷は大雪のためこの時点で日程は6月とだけ決定し、日については未定であった。
3 日本財団への申請
平成17年度の日本財団助成金申請の締め切りは、前年の16年10月末であったため10月23日に発生した地震では到底間に合わず当初の申請は行っていなかった。年が替わり平成17年1月頃から地元から伝統の闘牛だけは休止することなく続けるとの動きが本格化し、県や国土交通省をはじめ政府へ働きかけた結果、国において壊滅状態の闘牛場の復旧費の計上が認められることとなった。闘牛場の復旧費が認められることに平行して、仮設の闘牛場の建設費に対する県からの支援も決まった。これらに伴い日本財団からもイベント経費について助成するとの了承を得たのである。平成17年4月20日のことである。地元山古志では、第一回開催をゴールデンウイークの5月4日としていたため、早速、記者発表を急いだ。
助成は、事業名を「山古志・小千谷における二十村郷闘牛の復興」として財団法人地域伝統芸能活用センターに対して行われることとなった。地元の団体である山古志の「株式会社山古志観光開発公社」と小千谷の「小千谷闘牛振興協議会」と同センターの3者で実行委員会を組織し、事務局は同センターが当たることとなった。
イ 組織(実行委員会):二十村郷闘牛の復興実行委員会
ロ 委員会メンバー:
財団法人地域伝統芸能活用センター
株式会社山古志観光開発公社
小千谷闘牛振興協議会
総額予算は、日本財団助成の3,000千円に地元2者3,000千円ずつを併せた9,000千円とした。他に入場料1,000円を徴収するが、仮設闘牛場の建設費の不足等に充てることにした。
第一回委員会は、平成17年4月26日長岡市青葉台に構えていた長岡市山古志支所において行い、3者出席のもとに委員会会則の制定及び業務委託契約書の締結等について取り交わし会を発足させた。
なお、過去は日本財団から「牛の角突き習俗」保存の支援事業として平成9年度、平成10年度の2ヶ年間に年3,000千円ずつがセンターを通じて助成されている。
助成金申請書
収入の部 |
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1 助成金 |
3,000,000
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2 自己負担金 |
6,000,000
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(1)(株)山古志観光開発公社 |
3,000,000
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(2)小千谷闘牛振興協議会 |
3,000,000
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計 |
9,000,000
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支出の部 |
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1 闘牛出場費 |
3,360,000
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2 観光客送迎バス借り上げ |
750,000
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3 場内仮設放送器具 |
2,000,000
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4 仮設トイレ借上料 |
800,000
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5 仮設トイレし尿処理費 |
960,000
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6 闘牛ポスター・チラシ制作 |
380,000
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7 ノボリ旗作成費 |
140,000
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8 広告宣伝費 |
210,000
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9 旅費 |
200,000
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10 会議費 |
100,000
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11 報告書作成費 |
100,000
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計 |
9,000,000
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4 従来の「牛の角突きの習俗」を活用した行事
(1)由来
二十村郷の牛の角突き習俗は、数百年あるいは千年の歴史があると伝えられている。起源については、岩手県南部地方から牛に付けて鉄を売りにきた商人が、牛も売って帰ったため荷役のかたわら闘牛を始めたという説、大陸から越後に移住した人々が闘牛を持込み、この地方に伝わったという説の2説が残されているが定かではない。
闘牛を通して家が繁栄するよう鎮守様の側に祈りをこめて行われた神事が、幾多の変遷を経て現在に受け継がれてきた習俗といわれている。
(2)実施場所
旧山古志の地域は、大きく東山村(山二十村)と虫亀六ヶ村(山六ヶ村)2つの村に分けられていた。山二十村即ち旧二十村郷は、木沢、塩谷、蘭木、荷頃、梶金、小松倉、菖蒲、岩間木、朝日、寺沢、中山、首沢、小栗山、油夫、大内、竹沢入、間内平、桂谷、大久保、濁沢の20か村を指すものであった。また、山六ヶ村とは、種苧原、中野、蓬平、池谷、竹之河内、虫亀の村々を指した。
昭和31年、山二十村と山六ヶ村が合併により旧山古志村となるまでは、小栗山、種苧原、池谷、虫亀の4カ所で開催されており、その後は小千谷市(小栗山)、旧山古志村(種苧原、池谷、虫亀)で実施されている。平成17年4月1日付けで旧山古志村は、市町村合併により長岡市となっている。
(3)実施内容、方法
明治から大正にかけて、二十村郷で約130軒ほどの家が角突き用として1〜2頭の牛を飼っており、地震が起こるまでは山古志で約100頭、小千谷で約40頭の角突き牛が飼われていた。
牛の角突きは、毎年5月から11月まで月1〜2回の割合で、山古志、小千谷の闘牛場で開催される。午後1時頃から、10〜15組の約3時間にわたる熱戦が繰り広げられ、取組は事前に出場頭数、対戦相手が決まるが、大相撲と同様に若い牛(前頭級)から始まり、後半は小結、大関、横綱と進んで行く。
1トン以上の巨体が、地も揺れるように激しく突きあい闘うが、勝負を着けさせないことが大きな特徴としている。これは牛の特性から一度勝負が決すると、前に負けた牛とは決して闘わないということもあるが、バクチをさせず、健全な娯楽として伝えられてきたところである。
闘いの最中、牛の後足に綱をかけ牛を分ける。闘争中の牛を引き分けるときと恐怖のため逃げる牛を追いかける等、勢子には高度な技術が要求される。興奮した牛どうしの角突きの勇壮さと、牛と若い衆との闘いが手に汗握る見せ場である。これが角突きの醍醐味といわれ、闘牛場は2頭の牛と約20人の勢子と観客の熱気につつまれて行く。
5 平成17年度 闘牛の開催
5月4日第一回山古志の闘牛が臨時の闘牛場である長岡市東山ファミリーランドで開催されることとなった。既に建設されていた仮設牛舎(40頭用)から約1キロと比較的近い距離である。入場者数は、3,000人に達し、テレビ、マスコミをはじめ素人カメラマン達で賑わって、場所は異なっても例年通りの闘牛大会が挙行されたのである。
一方、小千谷は大雪により仮設会場の設置が遅れたため、山古志に遅れること1ヶ月の6月5日が第一回の開催となった。白山総合運動場公園の一角であったが、1,800人と山古志には入場者数では及ばなかったもののテレビ、マスコミ等も入って盛大な開催となった。
今回は、日本財団の協力により両会場にテント、横断幕の貸し出しを行っていただいたほか、特に旧山古志では従来からなかった「幟」旗を各牛毎に作成することができたなど一層闘牛大会らしい雰囲気を醸し出していた。
一連の闘牛大会の開催により、地震に負けずに復興を目指す住民の一体感が醸成されるとともに、全国にその姿が報道されたことにより、地震からの復興に向けた大きなステップとなった。
平成17年度 闘牛の執行状況(開催月日、取組番数、入場者数、天候)
山古志(仮設闘牛場:長岡市 東山ファミリーランド)
平成17年 |
5月4日(水) |
取組番数 |
15回 |
3,000人 |
晴 |
平成17年 |
6月19日(日) |
取組番数 |
14回 |
1,200人 |
晴 |
平成17年 |
7月17日(日) |
取組番数 |
14回 |
1,000人 |
晴 |
平成17年 |
8月2日(火) |
取組番数 |
6回 |
600人 |
晴 |
平成17年 |
8月3日(水) |
取組番数 |
6回 |
1,000人 |
晴 |
平成17年 |
9月18日(日) |
取組番数 |
13回 |
800人 |
曇 |
平成17年 |
10月23日(日) |
取組番数 |
13回 |
1,800人 |
小雨 |
平成17年 |
11月3日(木) |
取組番数 |
13回 |
1,500人 |
小雨 |
計 8場所 |
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小千谷(仮設闘牛場:小千谷市 白山総合運動場)
平成17年 |
6月5日(日) |
取組番数 |
13回 |
1,800人 |
晴 |
平成17年 |
7月3日(日) |
取組番数 |
13回 |
1,000人 |
晴 |
平成17年 |
8月20日(土) |
取組番数 |
19回 |
1,200人 |
晴 |
平成17年 |
9月11日(日) |
取組番数 |
12回 |
900人 |
雨 |
平成17年 |
10月2日(日) |
取組番数 |
12回 |
500人 |
雨 |
平成17年 |
11月6日(日) |
取組番数 |
16回 |
1,500人 |
曇のち雨 |
計 6場所 |
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