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第6章 レーダーの基礎
6・1 まえがき
 終戦後レーダーの研究や使用は、昭和25年(1950)1月18日付米軍の日本政府宛覚書AG413、684号によって一切禁止されたが、船用レーダーは航海安全上極めて重要な計器であるので船舶への装備を許可するように運動した結果、翌昭和26年(1951)8月7日の日本政府宛覚書で航海用に必要な船用レーダーについては禁止が解かれ、装備が許可されることになった。これを受けて海上保安庁の巡視船や青函連絡船に相次いで装備が始まった。その始めの頃の状況は、電波航法研究会の雑誌電波航法研究報告第1輯に報告されているが、民間で最も早く船用レーダーの装備が完了したのは、当時の青函連絡船洞爺丸及び渡島丸で共に昭和25年10月18日であった。また社船として最初にレーダーの装備がなされたのは三井船舶の吾妻山丸(昭和25年12月)で、官庁船としては海上保安庁の巡視船「おき」(昭和26年2月)であった。
 戦時中の日本海軍のレーダーの表示方式はAスコープ(図6・1)であったが、上記の戦後輸入装備されたレーダーはすべてPPI方式の表示器(図6・2)であって、その能力には驚かされたものであった。写真6・1は昭和25年11月13日青森港碇泊中の渡島丸で撮った映像で、レンジは6海里、沖合約3海里の輝点は入港中の洞爺丸である。この写真はレーダー指示器(表示器)の上に三脚を立てて暗幕をかぶせて撮影したもので、恐らく日本で最初に撮影されたPPI画面の一枚である。
 船用レーダーの映像解析を研究するには、船用レーダーによる各種物標からの反射強度を測定することが第1であり、幾多の困難を乗り超えて、清水市折戸の商船大学天文講堂に備えたレーダーで、昭和28年11月28日、清水港を出航して横浜に向かう駿河湾航行中の三井船舶所属の有馬山丸(約8700トン)及び付近航行中の約50トンの漁船を追跡して、日本で始めて商船を対象としたレーダー反射強度の測定を行なった。この結果、図6・3のような反射強度の測定結果を得たものである。
 物標:レーダーなどで探知される目標物のこと。
 
図6・1 Aスコープ方式の画面
 
図6・2 PPI方式の画面
 
6・2 レーダー(Radar)とPPI
 初期のレーダーは、パルス・レーダー1といわれるもののみであったが、現在はCW(連続波)を用いるCWレーダー2や、周波数を変えるレーダー等いろいろな種類のレーダーが目的に応じて利用されるようになった。更にPPI方式で得た情報をデジタル信号として、方位と距離の極座標の位置(θ、r)を直角座標の位置(x、y)に座標変換を行って、テレビのような昼光型表示器を用いるようにもなったが、ここでは船用として最も広く用いられている基本的なパルス・レーダーを主に解説をすすめることにする。
 
写真6・1 青森港碇泊中の渡島丸レーダーの映像
 
図6・3 有馬山丸及び約50トンの漁船の反射強度
(拡大画面:46KB)
1:パルス状の電波を発信して、物標から反射して帰ってくる反射パルスを受信するまでの時間で距離を知るレーダー。
2:連続波状の電波を発信して物標から反射して帰ってくる連続波を受信して、発信波と受信波の位相差から物標の距離を知るレーダー。







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