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<これまでの安全管理の課題>
 次に、これまでの安全管理の課題というところに移ります。先ほどもちょっと申し上げましたけれども、使命感や責任感を持ってしっかりやっているかやっていないかとなりますと、傾向としては、一生懸命やっている学校や地域がある一方で、そうでない学校もありますので、私なりの感想というか印象ですが、申し上げます。
 最初の点は、事件、事故が発生したあとの取り組みが中心であるということです。これは大変厳しいので、こんなのは当たり前だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、学校で、あるいは子どもが事件や事故で犯罪被害に遭ったりするとものすごい心身の負担になりますし、それを回復し、教育を正常化するためには相当の労力がいります。本人ももちろんそうですし家族もそうですし、学校の先生方も同級生とか同じ学校の子どもたちもものすごいショックを受けて、普段の教育活動が順調にできなくなります。
 これは犯罪被害だけではなくて死亡事故などがありますと、そのことにかかわって学校全体がドーンと教育機能が低下します。今までうまくいっていたいろいろな活動なども、保護者が不安を持って見るようになりますのでなかなか難しい。協力もなかなか得られにくくなるというふうなことがございます。それから、何しろやらなくてはいけないことが山ほどありますので、ものすごく大変な労力がいりますし、その割には意外と効果が少なく時間がかかります。
 よくスポーツなどでは、攻撃こそが最大の防御というのがありますし、病気だと生活習慣病、例えば高血圧症になってから直そうとか薬を飲もうというのは、失礼ですがもうあまり効果はないわけです。それよりも、小さいときの普段の食事や運動や休養というものをバランスよくやっていけば、そういうことが発症しないで済む。私は今56歳ですが、例えば56歳で1年間に医療費100万円を使うとすると、子どものときに一生懸命食事や運動をするのはほとんどただで、大したお金はかかりませんし、そこをしっかりやっていれば、その医療費というのは必要ないわけです。
 そのようなことと同じように、日頃から安全とか健康とかというものについては子どもたちに意識を持たせて、そういう力を身に付けさせ、それから保護者の方や地域の方々からのご支援もいただきながら、子どもたちの安全、安心は学校、家庭、地域の皆で守っていくという体制が常にできていると、そういう事件や事故が非常に少なくなるし、起こっても軽い被害で済む。あるいは、それを立て直すにも非常に短時間で効率的にできるということになります。そういうことがありますので、やはり事件、事故が発生したあとの取り組みが中心というのは、これは大きな問題であり課題であるということになります。
 それから2点目は、安全管理というのは年に数回、だいたい学期に1回ぐらいとか月1回とか安全点検をやっているのですが、この安全点検でうちは安全管理をちゃんとやっていますというふうに自己満足していないか。安全点検の中でやっていることは、だいたい施設設備が壊れていないかとか故障していないかとか、そういうことが中心でありまして、例えばここから不審者が入ってくるようになっていないのかとか、学校の中で死角はないか。それからもう一つは、壊れてはいないんだけれども災害、例えば地震などが起こったときに倒れるもの、落下するものはないかなどということを含めて幅広く、安全点検そのものも多様にやらなければいけない。それは安全点検表などにその項目と方法をしっかり明示すればできるわけです。ただ、形式だけの安全点検をやったのではどうもだめなのではないかということで、このへんについても非常に心配があります。
 それから3点目は、安全管理が行動の規制など児童、生徒等の活動を制限する方向で進められているという傾向が多くて、私はよく先生方に言うのですが、「禁止の袋詰め」と「だめの佃煮」で子どもたちは育ちません。子どもたちは、一生涯親とか先生が守ってあげることはできません。だから子どもたちを守るべきところはちゃんと守って、小学校1年生は1年生なりに守ってあげる、中学生は中学生なりに守ってあげる。ただし、それに合わせて子どもたち自身が安全について、逆にいうと危険について考えたり気づいたり発見したりして、その危険を排除、除去、回避する、あるいは被害を軽減する方法を考える能力をしっかり見に付けさせなければいけない。これは、学校ですので特に重要だというふうに言っているわけですが、そういうことが必ずしもすべての学校でしっかり行われているとは言えないのが残念です。
 4点目は、それと同じようなことかもしれませんが、子どもをただ守ってあげるだけ、例えば信号機がちゃんとあるにもかかわらず、指導員の方がわざわざ、青になって渡るのよ、右だよ左だよ、はい、渡れ渡れというふうにいちいち指示をしている。子どもは5人、10人縦に行くと、1人目の子どもはさすがに、右なら右を確認するかもしれないけれども、2番目から5番目はほとんど何も考えずについて行く。信号機のないところとか、いろいろなところで、実は大きな事故が起こっている例がたくさんあります。つまり、自分で考えて自分で判断していない。適切な判断ができなくなっているわけです。一生懸命に守ってあげるというふうに考えていても、逆に、社会に出て自分は生きていけないというような受身な子どもにしてしまうということになれば、非常に問題があります。
 それから5点目は、やはり事件、事故が発生した場合に、いったいどのようなことが発生するのか、どんなことが起こるのかということをうまく想定していない。ちゃんと想定していれば、そういうときに役割を明確にしておき、例えば、A、B、Cの3人の先生は、不審者のところに突進するんだという役割を持っていればすぐできるわけですけれども、だれが何をどうするかわからない中では、パニックになる。下手をすると、子どもが教室にいるにもかかわらず、先生が逃げていくなんていうことになってしまうわけです。逃げていくという言葉は大変強烈ですけれども、先生が不在になってしまう。
 我々からすると、どんな理由であれ凶器を持った不審者と子どもを残して、先生が出ていくなんていうことは通常考えにくい。確かに怖いでしょう。そういう場面に遭ったら、私も怖いと思います。そこで先生の命を張ってとは絶対に言いません。先生の命も守りながら、何とか不審者と距離を置きながら、子どもはできるだけ先生の後ろのほうからどんどん逃がしてやる。職員室に行けとかちゃんと指示してやれば、あとは大きな声で「助けて」とか「誰か来て」と言うと、両隣の先生とか、いろいろ聞きつけた先生、用務員さんとかが来るはずなんです。
 そういうことが、あの附属池田小学校では全然できなかった。極端なことを言うと、救急者も素早く呼べなかったわけです。ご存じだと思いますが、学校の外のお店に、けがをした子どもがグランドを越えて行ったわけです。そこのお店の方は、救急車をすぐに呼んでくれました。そこは4、5分ぐらいで救急車が到着しているんです。けれども学校の方は、そうではありませんでした。一番最初救急車が学校に来たのは20分ぐらいしてからで、それも1台しか来ない。何人がけがをしたのか言っていなかったので、それもわからない。ところが、最終的に8人が死亡して、確か十数人が重傷のけがをしています。それは、全然あの時点では想定されていない(あの時点では想定できない)というのが正しいか。役割も決められていなかったためにできなかったわけです。だからそのところは、やはり学校全体の問題として、一つの教訓として、しっかりとらえてほしいということを全国の学校にお願いしています。
 それからもう一つは、やはり家庭や地域社会との連携が不十分だということがあります。大変悲惨な話を聞いたのですが、亡くなった子どものお母さんは、学校で何かあったらしいということは、分かったらしいのですが、自分の子どもに何かがあったのかどうかは分からない。もちろん連絡はきません。それで1時間ぐらいかけて学校に着いたけれども、娘さんの姿はない。先生に聞いても分からない、だれに聞いても分らない。
 結果としては、その子どもさんは、実は、そのお母さんと入れ違いぐらいに、家に近いところの病院に運ばれていました。お昼頃に事件は起きたのですが、夕方になってやっとそれが分ったわけです。ところが、そこに行こうと思ったら、今度は車が渋滞で全然動けない。2時間以上もかかって、着いたのは亡くなった後だった。もっと早く教えてもらったら、少なくとも最期のときにはその娘を見送ることができた。それができなくて残念だというふうに、本当にハラハラと涙を流しておりましたが、一事が万事そういう状態だったわけです。大変残念で申し訳なかったと思います。
 そのようなことがあって、あと、学校の電話は全部パンクです。新聞社が電話をよこす、保護者が電話をよこす。3台か4台あったそうですが、何か事件があったと分った時点から電話は全然使えなかったそうです。どうしようもなくて、どうしらいいんだろうと後でいろいろ反省していましたが、実はそれはいろいろなヒントがありました。学校の外のお店の方は、すぐに救急車を呼んでくれましたので、それはヒントではないですかと私は言いました。というのは、附属学校で確かに地元の子どもはいないんです。けれども、子どもの登下校の通学路とか、学校の周りには何軒かお店とか、いろいろいつも大人の方がいるところはありますから、そこの方にお願いして、もし学校の電話などが使えなくなったらお願いしますと、そういうことをお願いできないか。それは、犯罪だけではなくて防災のときもあるわけです。
 そうできれば、例えばその方にお願いして、そこにだれかが名簿を持って駆けつけて、実はこれこれこうですと連絡すれば連絡網も機能するし、いろいろなことができます。それを1軒だけではなくて何軒かお願いする。6年生まであるとすれば6軒にお願いしておけば、1年から6年まで分散して電話もかけられるという、そういう状況も出てくるわけです。例えばそういうことはできないか。あるいは、何か不審者の情報を地域の方々から学校あたりにいただけるようにならないか。通学路や駅の周辺あたりに、どうも最近フラフラと変な人がいるので、子どもたちに注意させてくださいとか、あるいは警察のほうでこういう情報が入ったのでと、警察から教育委員会経由でも近隣の学校経由でも結構ですので連絡するシステムを構築しておく。そんな対策を講じておく必要があります。
 また、それだけでは心配なので、ボランティアの方などにお願いして、登校や下校のときにパトロールしてもらったりとか、場合によっては夜間にパトロールしてもらったりとか、そういうことをお願いして、学校や家庭や地域が連携してやるという意味で、ネットワークが作れるのではないかと思っています。それは少なくとも、あの附属池田小学校の事件が起こるまではほとんどなかったし、防犯については警察と学校の連絡すらもほとんどなかったと言っていいくらいの状況だったわけです。大きく言って課題はこんなものではないかと思います。


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