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質問 大変参考になるお話をありがとうございました。今子供たちが発達障害、そこからスタート致しましたけれども、現在の小中学生を育てている親は、30代から遅い方で40代だと。そしてその30代、40代を生み育てたのが今の60代の私たちなのです。そうなるとどうしたらいいのかしら。私は3人の子供がいて、自分の子供は確信を持っているのですが、さて孫が生まれたら私自分で育てようかぐらいのそんな気持ちでいるのですけれど。その親の発達障害を、どうしたらいいのかということを教えていただきたいです。(笑い)
 
高橋 もっともなお話で、私が「親が変われば子は変わる」という全国区の運動を起こしているのです。青年会議所という30代の若者の組織があります、その方たちが「先生、親が変われば子は変わるというのもいいけれど、子が変われば親は変わるというほうが早いのではないか」と、こう言った方がいまして、「親守歌コンテスト」というのを松山で始めたのです。子守歌ではなくて親守歌、子供が親を守りますよという、これは1,000人近く集まりました。今年は、松山市の小学校・中学校にも親守歌を募集してやるということになりました。
 私は昭和25年生まれで、闇市の中で母親はものを手に入れたということを私に語ったことがあります。その貧しい時代に子供を育ててきた世代はものを与えることを重視してきたと思うのです、自分たちは物がなかったから。そこで何が欠けていたかというと、今日申し上げた「心施」、心を込めて心を尽くして心を伝えるという、子供の心に向き合って心を伝えるということを怠ってきたのではないかと思うのです。それは、ある意味で親の世代には仕方なかった、時代がそういう時代でしたから。
 ところが、マザー・テレサがよくこういうことを言います。「アジア、アフリカのストリートチルドレンよりもはるかに日本の子供のほうが不幸なのではないか」アジア、アフリカの子供たちの目は輝いています。日本の子供の目のほうが死んでいます。なぜこの豊かな時代に生きている子供のほうの目が死んでいるのか。それをよく考えなければいけないと思っています。
 私は「生野学園」という神経症的登校拒否児の全寮制高校に行ったら、お父さんは高学歴で企業戦士が多いという、つまりこの国を動かしている経済のリーダー、そのもとで息切れをして、何のために学校に行くのか、どうして勉強しなくてはいけないのか、と思っている子たちがいる。だから、ある意味で、ニートという存在が85万人もいるのは時代の縮図なのです。何のために働くのか、何のために学校に行くのか、つまり幸せということの原点はいったい何なのか。ここが一番大事なことですね。でも、ものの貧しい時代は一生懸命子供に個室を与えて、物を与えて、日ごろ子供と接する時間があまりないから、物を与えて何とか子供を引き付けようとしてきた親たちも少なくないと思うのです。
 大事なことは、戦後の教育というものが、親の自信喪失から始まったという面もあると思うのです。私はアメリカに30才の時に留学して、GHQ文書240万ページ研究をしました。日本の文化というものに対する自信を、日本人は失ってしまいましたね。日本人自身が、家庭で子供たちに語り継ぐべきものについての自信を失ってしまった。歴史もそうです、文化も伝統もそうですけれども。だから親たちがもっと自信を取り戻して、日本の文化というものを自分の言葉で、自分の生活の中で、これは生活の中で自然に語っていくことしか子供はなかなか変わらないわけです。心の琴線に触れることはできないわけです。
 ですから、今一番の問題は家庭の教育力が崩壊しているということですので、私は「親学」というもの、親が親として学ぶということをあちこち全国各地にぜひこれを展開する必要がある。ところが、一番必要な親が集まってこないのです(笑い)。これはもうここにお集まりの皆さんもよくお分かりです。今日私の話を聞く必要のない方がほとんどここにお集まりになっている。(笑い)本当に聞いてほしい方はなかなか集まらない。
 そこで、「悩みや弱音を吐くだけの会」というものをスタートさせ、「うまくいかないのだよ」、「こういうふうに失敗するのだよ」と、そういうふうに弱音や愚痴を言い合うような場を定期的に開いていって、そこで弱音や愚痴を言い合うだけでけっこうさっぱりして帰っていく人がいるのです。自分が語るだけで、要するに悩みを分かち合うだけで解決していくこともあります。先生に対しても「悩める教師を救う会」というのがありますが、僕は「失敗事例研究会」というのを気が合う校長先生とは一緒にやります。温泉で酒を飲みながら、うまくいかない失敗について話し合うという会なのです。もう少し肩の力を抜いて、つまり親がこうあるべき、教師がこうあるべきということを肩ひじを張ってしゃべると、みんな自分を責めてだんだんつらくなってきて「もう行きたくない」と言うのです。確かに家庭の教育力が崩壊しているから親に言いたいことがいっぱいあるのですけれども、それを頭からぶつけるような場ではなくて、肩ひじを張って「あなたこうしなさい、もっとこうしなければ駄目よ」と言って責めるのではなくて、そこに来たら自分の弱音や愚痴も吐けるようなそういう場をこれから全国に作っていきながら少しずつ少しずつ気付かせていく、そういう場を作っていく。
 例えば、私は親学講座というのを新宿の近くのアイランドタワーという所で、モラロジー研究所の応援を得てやらせていただいています。そこでは、例えば「ドラマセラピー」という手法をつかいまして、不登校児の親に子供の役をさせて「どうして学校に行かないの」と言って答えさせる。そういうロールプレイを通して気付かせていく。
 だからこうあるべき、どうあるべきというあるべき論のお説教ではなくて、どうやって子供とかかわったらいいかを気付かせていく場を継続的に作って行くことが大事です。そして、日本の伝統とか文化とか、あるいは年中行事です。子供たちは今手が不器用でリンゴの皮もむけない。基本的な生活習慣が育っていません。親たちに「親としての学びを深める」場を、地域で作っていくしかない。親学の拠点をどんどん、継続的なものを作っていくしかない。その場合にはやはり学校とか幼稚園とか保育所も拠点にならないと。今までの子供に対する教育だけではなくて、親がそこに来て元気になる。例えば、赤ちゃんを保育園や幼稚園で抱くという体験をするというのはすごく小学生・中学生には大事な体験なのです。もっと親学というものの継続的な学びの場を草の根で作っていく。そしてあまり関心がない、普段講演会に来ない人たちにも働き掛けていく。そういう地道な意識改革をどう全国で展開するか。これは非常に地道なことですけれども、それをやるしかないのではないかなと思っております。
 今日、桑原先生がお越しいただいています。ちょっと桑原先生、立っていただけますか。急に申し訳ございません。桑原先生は川口市立東本郷小学校で脳科学を1年間導入してこられまして、埼玉でも7月2日に感性・脳科学教育研究会というのを立ち上げます。小学校・中学校・高校の校長先生が世話人になって先生方の研修を始めます。それをベースに親学もどんどんやって参りますが、そういうものをぜひ草の根で広げていく、上からの教育改革と下からの教育改革がドッキングするときに初めて教育改革は成功するのです。今日は今東京に集まっていますが、全国にそういう地道な草の根の教育改革の動きをぜひこの感性・脳科学教育研究会を中心に展開していきたいということでございます。ちょっと余計な話になりましたが、よろしいでしょうか。
 もう一つだけ、これはいつも学生に見せている紅白梅図であります。日本文化の感性、私一番これに集約されていると思っています。紅梅と白梅の真ん中に広い川が流れている。これが男と女、あるいは私と公、個人と国家、ナショナルとインターナショナル、そういう一見対立するもののバランスを取っていくバランス感覚、文化感覚、これが日本の感性です。感性というのは個人の感性というレベルだけではなくて、文化感覚というそのレベルでぜひとらえていただきたい。そのことを詳しく書いたのが「日本文化と感性教育」という本で、モラロジー研究所から出していただいております。最後宣伝になりました。以上で終わらせていただきます。(拍手)
 
質問 貴重な時間、ご質問させていただきます。先生、今日は私たち参加者に先生の情熱・熱情が伝わって参り、大変素晴らしい講演に参加させていただいてありがとうございました。
 講話の最後に、先生がお話した言葉の中にあったのですが、実は私、こういうことを感じましたのでご質問させていただきたい。「人づくりなくして、国づくりなし」という言葉があります。「人づくり」という言葉が大切だということが企業でも言われていますし、学校教育、家庭教育すべて言われます。実は、人づくりというのは「つくる」と「つくられる」という、主体と客体というのですか、それがつくるのは大人である、つくられるのは子供であるというふうに私はとらえています。高橋先生が先程、最後の講演の中に、主体というのはやはり「大人」という、「大人が」主体者であるというふうな感じは私も致します。そこに共生という、しつけること、基本の型という継承というものがそこにあると思っています。
 そこで、先生の教育哲学の中の言葉を私たちは支持しているわけですが、男女共同参画基本法を歪曲した活動をしたり、ジェンダーフリー運動が起こってきたり、非常にわれわれの教育というものの見方を破壊していく勢力、これが残念ながら日本にはあります。日教組とか全教という組織がございます。ここに私たち全日本教職員連盟のリーダーたちもおりますけれども、やはりそういう考え方に根本的な間違いがあるのではないかということで、私たちはこういう運動をしているわけです。
 ちなみに、アメリカからいただいた民主主義、ソビエトからいただいたマルクス主義、フランスから流れてきた功利主義とかイギリスからの利己主義や合理主義を含めて、そういうような考え方が戦後60年、日本の大人の中に入ってきてしまいましたから、どうするかということで悩んでいるわけです。ジョン・デューイの戦後の教育界のあの哲学、私も教師の一人としてこの考え方というのはおかしいぞと思ってこの運動に取り組んでいるわけでございます。先生、デューイみたいな子供中心主義思想、その他民主主義とかマルクス主義とか、そういうイデオロギーというものに対する先生の現在の姿勢を、ひとつ教えていただければありがたいなと思います。以上です。
 
高橋 ありがとうございます。戦後、教育相談というものの要になったのはカール・ロジャースという方の非指示的カウンセリングというものでした。非指示というのは指示をしないカウンセリング。なぜこのカール・ロジャースの教育相談のカウンセリングが広まったかといいますと、これはデューイの弟子のキルパトリックに学んでいるのです。
 私は神奈川県で不登校の対策の協議会で、親向けのハンドブックを作る責任者をしました。それは「長い目で見守れ、信じて待て、登校使役を与えるな」というこれまでの対応だけでは駄目なのではないかと。もっと積極的にかかわって、非指示的カウンセリングのうえに指示的カウンセリングが必要で、その上に今日申し上げた成就感、達成感、成功体験というものを通して子供の中にスイッチオフ・オンにする具体的なかかわりが必要だということを申し上げてきたのです。
 例えば、PHP教育政策研究会というのがございます。この元の会は京都座会という臨教審が生まれるまでの、加藤寛という人が中心になった京都座会ですが、今私が主査に選ばれて、現場からの教育改革というので提言を作っているのです。私が今議論しようと思っているのは、アメリカの不登校対策。これは、日本では大変大騒ぎになる不登校対策なのですが、「ゼロトレランス」。トレランスは寛容さです。寛容さなし。アメリカは、生徒指導にもゼロトレランスというのを取り入れているわけです。日本とは対照的です。私が政府を代表してアメリカ、イギリス、オランダ、フランスを回った時も、ニューヨークの中学校でガラスを割った子がいました。どうなったか。すぐにスクールポリスがやってきて、親を呼び出して罰金を取りました。こういう発想は日本にはないです。つまり、親の責任を問うという発想です。これが不登校対策にも出て参ります。
 例えば、イチローがいるシアトルという所では、不登校の子には親に罰金25ドル、ボランティア活動を「親に課す」ということを法律で決めています。それからアメリカのカリフォルニア州はもっと詳細に決めているのです。つまり、親の責任、学校の責任、行政の責任、さまざまな役割分担というのがきちっとしているのです。日本の場合は何日休んでも、結局卒業させてしまうという非常に無責任なところがあります。アメリカはその無責任を許さない。そこは非常に厳しいのです。もちろんこのように罰金を取るとかというのをすぐに日本でやったら、これは大騒ぎです。日本はフリースクールの考え方が根強く一方にありますから、学校に行かないのは子供の選択、生き方の選択なのだと。「それを罰金取るとは何事だ」と、こういう話になりますから。この国の教育が間違ってきたのは、誤った児童中心主義がひどかったためなのです。それは子供にこびる、最終的には子供にこびると言ったほうがいいのでしょう。私はいつも、教育の原点は何が児童の最善の利益になるかと、ここを考えなければいけないのだと強調しています。
 もちろんこのように罰金を取るとかいうのをすぐに日本でやったら大騒ぎです。日本は、フリースクールの考え方が根強く一方にありますから、学校に行かないのは子供の選択、生き方の選択だから、それを罰金を取るとは何事だと、こういう話になります。
 それでパターナリズム、父権主義と言うのですが、父性的なかかわりです。父権主義というのは英語でパターナリズムと言います。パターンというのは型のことです。型を押し付けるのが父権主義ですね。ところが、そのパターナリズムというのはどういう考え方かと言いますと、こういう考え方なんです。私なりに表現すると、最終的には子供の最善の利益になることをもって、子供の自由に干渉することが正当化されるかかわり方。最終的にはそれが子供のためになるんですよ。ここが大事なポイントなんです。つまり親が子供を叱る。これが最終的に子供のためになるか、ということが大事なことなんです。ただ、かっときて殴っているのかどうか。
 「窓際のトットちゃん」で、黒柳徹子さんが「本当はいい子なのに」と言って叱られたという。それは優しさに裏打ちされた厳しさです。単なるかっときたスパルタ教育ではなく、子の人格を信頼しながら、子供というものをしっかり信頼しながら、その行為をびしっと否定するという。そして型を押し付けるというのも、それは子供のために型を強制するわけで、その父性的なかかわりということが子供の脳の発達にも心の発達にも必要不可欠なのに、それを戦後の教育はしてこなかったんです。それは押し付け教育だとか注入教育だとか、心の教育、道徳教育もそういう延長線上に十分に行われてこなかったんです。
 ところが、イギリスやアメリカやフランスにはその反省がもう起きていて、誤った児童中心主義を乗り越えようとしている。従来の考え方を乗り越えていこうという考え方がイギリスや、アメリカや、むしろ欧米では広がっているわけです。
 そういう意味で日本ももう一度、何が児童の最善の利益なのか、そのためには太陽と北風のかかわりが大事なんだ。太陽のように温かい母性的なかかわりと、北風のように厳しくかかわるという父性的なかかわり。そして「人間を浴びて人間が人間になる」と岡本道雄先生はいつも強調されます。人間を浴びて人間になるんだ。つまりそれは大人たちのかかわりだと思うんです。人間、人と人の間という字を大事にします。人間関係を大事にします。そういう意味で、誤った子供中心主義じゃなくて、本当の児童の最善の利益は北風と太陽と温かさと厳しさと、しかも優しさに裏打ちされた厳しさというものが一番大事である。
 私はいつも例として、バケツに3杯水をくんで、万引きをしたわが子を叱ったお父さんの話をするんですが、自分が2杯かぶって、子供に1杯かけて風呂場に連れて行って「ごめんな、寒いだろう」と拭いてやったという実例があります。二度と万引きをしませんでした。自分がかけるという厳しさがありました。でも風呂場に連れて行って拭いてやるという優しさがありました。そういう父性と母性のバランスです。本当の厳しさというものは優しさに裏打ちされた厳しさ。愛情が伝わるような激しい叱り方をしなければならない。激しい叱り方は、決してその子供を尊重していないわけではない。そこのところが大事なポイントなのかなというふうに思います。先生のお答えになったかどうか。
 もう1点だけ。これは料理、クッキングしている時の脳の測定図なんです。炒めているとき、切っているとき、どんな料理にしようかと考えている時、こういうのがあるんですが、こういう電極を付けてやるんです。
 これから和装礼法のことも幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校で、埼玉をはじめどんどんやっていきます。これはぜひ特別予算を組んでやりましょうという話になっています。脳科学を教育に導入するということは、細心の注意を払ってやらなくてはいけませんが、やはりこれはこれからの教育を考えるために大事なポイントでございますから、ぜひ大胆に全国に向かって発信していきたいと思います。
 ありがとうございました。(拍手)







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