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2)「海洋環境と環境チケット」 森野栄一 (ゲゼル研究会代表)
 みなさんこんにちは。3年くらいでしょうか、海ゴミに取り組む活動は各地で自発的に行われて来ました。SOFさんのご協力を得ながら成果をあげつつあるかな、という状況に来ていると思います。
 私自身の、このような活動への取り組みに関心を持つきっかけというのは、全国各地で地域の経済活性化、町おこし、村おこし、そういう相談をよく受けてきました。そのなかで、人々のいろんな取り組みが行われて来たわけです。今に至るも全国何処に行っても、自分の住む地域の活性化。どうすれば活性化するのか。あるいは町をどうおこしていけばいいのか。どういう風な個性的な町を作っていったらいいのか。そう言うことに対する関心というのはものすごく高いです。
 そのなかで身を投じて来て気が着いたことは、やはり日本人の気持ちが大きく変わってきているなあというのが1つあります。
 どう言う風に変わってきているかと言うと、昔から言われていますが、日本語には仕事をするということに2つの言い方があります。仕事と稼ぎです。仕事というのは、公の為に自分がすることが仕事で、金銭の報酬がある訳ではありません。「仕事に行く」というのは公の為、地域のために何かをする、という時の言い方。自分のプライベートな利益の為にするのは、「稼ぎをする」、「稼ぎのために何かをする」と言う。日本人は江戸時代からこの2つの言葉を使い分けて地域社会で生活をたてて来ました。
 だから、稼ぎが少ないと家でかみさんに叱られる。仕事に出て地域の消防団の活動をする。そうしたことで、稼ぎが無いからと言って家で文句を言われることは無かったわけです。ところが最近は、稼ぎがないことをやってもしょうがない、という気持ちが一方で支配的ですが、他方ではそれだけじゃダメだなあという気持ちが日本人の心の中に随分と芽生えて来ました。
 先程出てきたように、ボランティアの活発化というのも、そうです。ボランティアというのは日本語ではありませんけど、無償で行う行為を言うわけです。これをしたから幾らよこせというのはボランティアでは無い。そういうことを、多くの人が躊躇無く、するような気風が出てきました。日本語で言えば、ボランティアというのは「仕事をする」と言うことだろうと思います。ことさらカタカナ語を使わなくてもいいのかな、という気もします。そういう気持ちが出てきた。
 他方では、相変わらず「私」優先の気持ちというのも根強い物があります。各地方の自治体さんに相談されて行くことがあります。まだまだ私優先の人も多い。例えば、自分の家の前の道路に雑草が生えてきた。そうしますと役所は何をしているんだと、役所に苦情の電話をしてくる人がいるんだそうです。草刈をしろと。自分は税金を払っているんだから、行政が家の前の草刈ぐらいして当たり前だろうという考え方なんでしょう。
 何から何まで尻を持ちこまれても、行政は十分な対応は出来ません。自分の家の前に草が生えていたら、自分が出ていって刈れば良いだけの話なんです。そうして、わが国の地域社会は、どこでも公の仕事というのは、皆が出て行って、草を刈ったり、農業用水路の水草を刈ったりしたわけです。水路は自分のものではありませんが、そこに「仕事」として出て、水草を刈るということもしました。
 戦後60年、ずっと経済成長が続いてくる中では、やはりわが身の利益優先。「稼ぎ」優先で来ました。自分の勘定の中で、損が立たないのが一番良い。ゴミ問題は典型です。最近、家電リサイクル法というのが実施されました。行政の清掃局は持って行ってくれないわけです。メーカーに連絡して処分してもらう。お金を取られます。皆さんの家の近辺でも増えたと思いますが、軽トラックで家電ゴミを集めに来る人が増えてきました。幾らですか?と聞くと、メーカーより安い金額を言う。そう言う人達はどう処分しているかと言うと、誰も見ていない山の中へ行って捨てます。違法投棄です。自分の計算上は儲かります。
 しかし、違法投棄をされたゴミは誰かが片付けなければいけない。公の勘定では赤字が出ます。公から、自分のプライベートな勘定に金を移している。ゴミも、規制を強めれば人がそれを守るかというと、そうではない。規制を強めれば闇にまぎれて違法で捨てる行為が増えてくる。それは人間の了見の問題だという、教育の強化も必要でしょうが、しかし他方でそう言う風に人間の気持ちが自分の刺激の方へ振れすぎてしまうような仕組みというのも工夫して行く必要があるのではないか、と思います。
 多くの共通の意識の流れとして、公に対する、何か貢献しなければ自分にとってプラスにならないというのが理解されてくるようになったと思います。昔は皆が分かっていたことです。公共というのは、公を共通にするということです。別のいい方では、公同。公を同じくするという言い方です。最近は、公共という言い方が支配的になってきました。公同という言い方もしておりました。公を同じくする仲間たちとして生活を同じくする自覚。これが、昨今のボランティア精神の勃興にも寄与しているのではないか。と同時に、これを重視しなければ、実は「稼ぎ」、つまり、私の利益においても損をするという自覚が出てきたと思います。
 地域の経済活性化と言う時に、私共はよく言うんですが、商業とは何かと言うと、近江商人の教えの通り、「三方良し」でなければならない。売り手良し、買い手良し、世間良し。世間にとっても良くなければ、商業という自分の利益を追い求める活動も上手く行かない。世の中に支持されなくては、私の利益を追求することも支持されず、利益も上がらない。
 昔は、日本人がよく知っている二ノ宮尊徳という人は、商業というのは、売り手が売り手の事ばかり考えて、買い手のことを考えないと損となって帰ってくると言う事を言っている。公にご奉仕するという考えがあってこそ、自分の利益もたつ。
 戦後を考えてみますと、地域振興と言った時に、無残な状態があるわけです。商店街はシャッターを閉じ、昔は華やかだった駅前に人影を見ず、地域の経済が疲弊している。歩いても楽しくなく、生活に不便ばかり感じる地域社会になっている。何とか地域の経済を振興したい。という時に、昔良かった時はどうだったかと考えてみればすぐ処方箋は出てくる訳です。
 例えば、戦後地域社会を作るときに、社会的に大きな役割を果たしてきたのは、郡部であれば農協の活動も大きかったと思います。生活の仕方、家計のやりくりの仕方から始まって、多くの知恵を提供してきたし、取り組みもしてきました。都市部であれば、地域の事業者たちの貢献は大きかったです。私は子供の頃、工場地帯に住んでいましたが、子供たちが御輿を担いで歩いていくとき、一軒一軒その工場に入っていくんです。そうすると、工場で職員が子供たちにジュースを出してくれたりする。そういう形で地域のお祭りへの支援、交流がごく自然にありました。そう言った中で、地域の地場事業がなりたっていたわけです。
 ところが、いつの間にか経済の動きは強いものが勝つ、という激烈な競争の中に入って行きます。地域の商業もそうです。そうすると、どれだけ地域に貢献しているかなどということは考慮されず、消費者も1円でも安ければ良いというお店に買いに行くようになります。そうして、地域社会がだんだんと痛んできて、その極みを今迎えているということではないでしょうか。
 そうすると、そこでもう一度、自分たちが暮らしている地域社会、その公という物を、自分たちが何かそこに取り組んで行かなければならないんじゃないか。地域の振興ということを考えた中で、色々な取り組みに出会います。そうして気がついたの事のひとつが、海ゴミ等に取り組んでいるようなボランティア活動、社会貢献活動というのが、日本の社会でもあちこちに出てきた。同じひとつの地域でもいくつも見られるようになってきたという実態です。つまり、海岸のある自治体であれば、海の清掃を始めたボランティアが出てくる。そうすると、社会貢献活動をしている人達をどうやって、地域の人間は支持していったら良いのか。或いは町作りと言ったときに、どういう関係を付けて行ったら良いのかということが問題になってくるのです。
 とりわけ、本日のテーマである海に関して言いますと、町興しと言っている時に、それを強調している人達は何処から町を見ているかと言うと、町の中から町を見ています。しかし、海岸のある自治体には沿岸漁民の方もいます。漁民の方は、海から町の変遷を見ています。町が寂れるということを海からの眼差しで見ています。
 海守の話がありましたが、陸から海に向ける眼差し。多くの、町作りという場合には町の中から町の中を見ていました。そうして、何とかしなけばいけないと。どうすれば地域経済が活発化していくような町作りに繋げられるのかという問題をたてかたでした。
 しかしそこから段々と視野が広がっていったのです。多くの所で、町作りを考える人達は海にも眼差しが向くようになりました。同時に山にも向くようになりました。それは私達が住んでいるのは、大概は都市部に住んでいる人が多いです。しかし、都市というのはそれだけによっては成立っていないと言うことに気がついて来るのです。町作りと言いますが、その町だけで成立つわけではないのです。都市というのは、膨大な後背地を必要とします。それはどう言うことかといいますと、まず、食べるものの事で言えば、農業との関連で近郊農業が必要です。更に、今は交通が至便になってきていますので、私達の口に入るものには、地球の裏側で出来た物もあります。それは海を渡って、船が重油をたいて日本に運んでいるのです。そういう広がりも有ります。さらには、山も必要です。山は単に林業の場所だけでなく、水を涵養する場所でもあります。
 私は現在、横浜市に住んでいますが、横浜市水道局の水は山梨県の道志川の水が曳かれています。子供の頃は、横浜港で船に積む水は世界一美味しいと教えられました。それは今日まで続いています。それが、自治体の合併騒ぎのときに道志村が横浜市と合併協議会を設置しようと申し出ました。私は多いに賛成しました。横浜市は道志村に合併してもらって、道志市になればいいんだと。なぜそう思ったかと言うと、道志村の人間だって地元の経済を発展させたいです。ゴルフ場を作ると言う計画を以前出しました。ゴルフ場には農薬が蒔かれます。それが、水に溶けて流れます。それを横浜市民が水道局の水として飲むというのは堪らん、と多くの人が反対しました。それをしっかり、かの当地の人は覚えているわけです。ゴルフ場開発の話はなくなりましたが、横浜市と言う都市に住んでいる人たちは、自分たちの後背地である、水道水を提供してくれる山に対する想像力を欠いていたんです。そして、「私だけ」の関心。自分は農薬が入っていない美味しい安全な水を飲みたい。その利害だけを主張した。主張された方はどうでしょうか?そんな事を言うんだったら、山の中に来て住めば良いというだけの話かもしれない。しかし、君達の所はゴルフ場を作るなよ、と言うわけです。つまりそこには、想像力のあり方が欠けています。しかし人間が、そういう後背地に気付く、というのにはきっかけが必要です。
 今日の新聞にありました。中国が大型のマグロ漁船団を増やすという。ところが、マグロを食べてみれば、都市の、マグロの握りが食べられる生活は日本の遠洋漁業に依存しているわけです。勿論海外からも買いつけています。養殖もしてます。しかし、日本の遠洋漁業がマグロ、カツオ漁船が太平洋やインド洋へ出かけて行って獲っています。今、本当に獲れないそうです。格段に長時間仕事をしないといけない。延縄を海に投ずるのに20時間。次の日にこれを巻き上げるのに13時間。そして次の日にまた13時間。3日間で46時間、これだけ過酷な仕事をせざるを得ないほど追い込められてる。それでも、マグロの漁獲量は減っています。私達は都市の生活を、環境を維持しながら持続出来るのか。ずっと継続して、成立っていけるような仕組みが必要です。それが持続可能性ということです。
 しかし、私達はマグロが食べられなくなるでしょう。環境と共存しながら資源が減らないようなかたちで漁獲を上げて行く、そういうマグロ漁業をするために、日本は船を減らしたりしています。ところが、減らしても他所が増やしてとにかく世界中でマグロを獲り尽くすのが目の前に来ているわけです。そうすると、それも私達が都市での生活を考えていると段々に視点が広がって行くことであろうかと思います。人々の、公の中身の広がりと、関心の広がりというものが出てきていると思います。
 特に今日のテーマであるゴミというのは、一番人間にとってきっかけとなりやすく、示唆的です。私達の生活が最終的に、ゴミと言う形で流れ着きます。以前は都市の川はゴミが投げ捨てられ酷い状態でした。それは、流れて海に行きます。そして海ゴミになる。そこで、ゴミをきっかけに見ていくと、里山から里地へ経て里、海に至る。私たちの生活圏の特色と言うのが一番表れていると思います。ゴミを、分別するということに取り組んだ所が多いと思います。それを通して見えてくるのは、私達の生活の姿、有様そのものでもあります。それを循環型と言っています。ゴミを通して何に気がつくかと言うと、循環の意義です。
 農業でも、ゴミを通してみれば直ぐ分かるのですが、海岸のゴミに小さなカプセルがあります。これは、日本の農業の現実を象徴しています。マイクロカプセルと言うのですが、これはゆっくり効いていく肥料が入っています。田んぼや畠に蒔く。肥料そのものを蒔いて、一気に効いてもしょうがないので、遅効性と言ってゆっくり効いてくるような形の肥料をやります。それが効き、農産物が出来ますが、その後のカプセルが川に流れ、海に出てくる。多くの人がそれを見ても何が何だか分かりません。砂の一種ぐらいにしか見えません。そういう形で農業をすることが、一方であります。
 他方では、化学起源の肥料を使いたく無いという農業者も出てきている。そう言う人達は堆肥作りから取り組み、しっかりとした農業をやって行きたいという気持ちがあります。
 湘南海岸にはサーファーの人がいます。彼らは海のゴミを掃除しています。渚で海と触れ合うという人は海のゴミに心を痛めています。ゴミを清掃しているんだから、海草も上がるに違いない無いと農業者が海草を貰いに来ます。しかし、有機肥料に使う、堆肥の中にその海草を入れるわけには行きません。ひとつ、ひとつ分別するのは大変です。実際は無理だと諦めて帰っていきます。
 しかし意欲的な有機農業を推進したいと言う農業者はやはり、諦めきれません。日本の近世を見てみれば、例えば千葉県の九十九里。あそこは鰯が沢山取れると九十九里浜にだーっと並べてホシカを作った。ホシカってのは鰯を干したもの。これは大阪のホシカ問屋等を通じて日本全国に配られて行きました。畑に投じられ肥料となるんです。なぜ、海の物、海のミネラル分を陸に返さなきゃいけないか。大きな必要性があるんです。循環の視点です。
 鮭が産卵で川を遡上します。そうして卵が産んで子供が生まれて、また川を下って海で大きくなって帰ってくる。帰ってきた親は産卵が終わると死ぬわけです。それを熊が食べたり鳥が食べたり人間が採って食べたりします。そうして糞になって陸地に吸収されて行きます。鮭が海に流れ出たミネラル分の、陸への戻し手になっているんです。
 化学肥料を農業に使い始めた昔にこういう話があります。古代ローマは大きな半島を持っていました。古代ローマの食料の2/3を提供していたのは、実は北アフリカの植民地、領地でした。ここは沢山の作物が出来ました。ローマという都市に食料が運ばれて行く。ローマ人はそれを食べ、うんこにしてそれを川に流す。地中海に流れていく。食料は、農産物を通して土中の窒素、燐酸やカリ、色々な微量元素があります。こうした物は私達の食料の生産に必要不可欠です。しかし、それがどんどん生産して行くと地味が痩せて行きます。段々、農産物が取れなくなってしまいます。
 ローマ帝国が崩壊した理由は沢山ありますが、その1つになるか分かりませんが、土地の生産力の低下というのがあります。そうすると、近代に入ってきてその様に土地の生産力が低下するんなら、化学的な手法で失われたものを作り、化学肥料として土の中に入れてやれば良いじゃないかと言う発想が出てきます。これが、化学肥料が登場する基の発想です。
 わが国で言いますと、江戸時代には化学肥料というのはありません。ですから、海に流れた物をもう一度、陸に戻して行くということは、海草や鰯を干したもの、海の産物をもう一度畑に戻してやることによって、生産力を回復したり上昇させるという工夫が必要だった。
 江戸時代には、農薬と言うものはありませんでした。それでも農薬の役割を果たすような物は使われておりました。それは、クジラです。クジラの油などで、植物の汁を吸うような害虫に対してはクジラの油が呼吸を止めて殺すということで使われていました。多くの海の資源が陸の産業活動に役に立てられていました。しかし今日、そう言う関連が失われています。有機農業を志した農業者が海岸に海草を採りに行っても、くれる人がいない。更には海のゴミを通して気付くのは、農業も酷い状態ですが、海ゴミが象徴するのは日本林業の壊滅的な状態です。
 枝打ちをして、ちゃんと手入れをしていればあんなに花粉は飛びません。しかし手を入れられずほっておかれると、杉も生物ですから種の存亡の危機を実感します。そうすると沢山花粉をつけて生き延びようとします。これが手入れをしていればそういうことは無いわけです。
 日本の国有林は別にして、私有林を考えると、山林地主さんというのは殆どが山の手入れが出来ないような御高齢に達しています。70代、80代という方が多いです。不幸にも亡くなられたりすると子供さんが相続します。お子さんは大概都会に出て、山仕事なんかしない。そうすると、自分には山があったはずだが、一生に一回か2回見に行く人もいるそうですが、何処だか見当もつかない。そういうところで、山の手入れが出来なくなっているということは、手入れに人が入らない。入らないと言うことは、人目がないということ。山への眼差しがない。何が起こるかと言うと、違法投棄する人が、建設機械を持ちこんで道を勝手に作ります。穴を掘って、医療ゴミなどどんどん捨てます。捨てたところで逃げます。
 山の手入れが出来ない、林業は成立たなくなっている。林業をやるには長い時間が必要です。最短で30年。山から伐採してきて、杉が1本幾らするか。3千円にもならないそうです。そしたら物凄い大赤字です。手入れは出来ないし、出来なくなる。稀に手入れをしてる林を訪ねると、大概70歳以上です。しかし、その山の手入れをしても、金銭で報われることはもう無い。
 市場に出しても儲からないから、出す人も少なくなる。買い手は、当てにならないから市場は余計に疲弊します。衰退します。日本の国産材のマーケットは機能していないところが多いのではないか。買うほうはいつも、望んだ量が、望んだ価格でいつも手に入る外材を手当てする方が良いですから、そちらを買います。山はどんどん荒れます。
 山から流木倒木の類が流れます。増してや、昨今の異常気象で台風が来たりすると山の木が沢山倒れます。誰も片付けません。最終的には海が受け皿となります。
 ゴミを通して、私達が生活している日本の山、里、海の関連した状況が見えてくるわけです。私達が生きていく公の在り方として、やはり少しは何かして行きたい。何か出来るのではないか。という取っ掛かりとして、ゴミ問題ということに取り組んで来たわけです。
 そういう時に、問題はいくつかあります。地域興し、村おこしと言ったって、地域に行けば分かりますが、「やってるのは暇人がやっているんだ」、「やることが無いからやっているんだろ」と言う人もいます。
 ボランティアで、「仕事」としてやっていきたいという時でも、どうしても長続きさせないことがあります。長続きさせる工夫も必要かなと。そういう時に、そう方法はありません。ひとつは金銭的な報酬があること。金銭的報酬はあげません、ボランティアだから。すると何をあげるかと言うと、非金銭的な報酬をあげるということ。誉めることもひとつ。多くの人は喜びます。気持ちで返して欲しいと言う事もある。そうすると事は長続きするということもあります。
 そこで環境キップという仕組みを導入したらどうだろうかと。何かボランティアの仕事をしてくれたら、お礼として感謝の気持ちをチケットで表す。子供じみた他愛無いことで、人が動くものかということになりましょう。しかし、環境キップというのはあと一工夫あります。社会貢献をした方に差し上げるわけです。誰が差し上げるか。そういう取り組みをしている団体が差し上げます。しかし、そういう取り組みをしている団体がどこからそれを手に入れるかと言うと、「ありがとう」と渡すだけは感謝状です。これを使えるようにするのが大事ではないか。
 例えば、地場の事業者さんがいます。この環境チケットを何枚持ってきたら、うちでは5分安くしてあげるよと言う割引券として受け入れます。そうすると、僅かな利幅の中でも5分を公に譲ることによって、自分の売上が出ます。例えば、気仙沼では、環境キップのポイントが貯まると、地場の信金、信組に持って行くと預金をするときに、預金利率をサービスしてくれる。それは、環境キップの使いでがあるということ以上に、信組、信金さんから見れば、地元の人がお客さんになってくれて、預金をしていただけるということです。
 預金をした人は、僅かではあるが地域社会に良いことをしたら、そういう報酬が出たという事になります。信組、信金さんも事業が拡大します。そして、地場の信組、信金のような金融機関さんがそういう仕組みに参加すると、次にどういう事になるかというと、地元のボランティアに参加した人が預け入れた預金は、地元の事業者さんの、事業資金等々に貸し出されて行くわけです。地元の産業の振興に繋がって行くわけです。
 たかだか、ちょっとした子供の遊びと思えたゴミ拾いの取り組みが、巡り巡って地域の事業の振興にも繋がっていくという効果が期待できるわけです。象徴的なのは、この気仙沼のエコポイントの場合には、気仙沼に進出してきている大手の事業者さんは採用しなかったそうです。大手の事業者というのは、そこに進出して買い手がいて、購買してくれる、買ってくれる、儲かるからそこに進出しているんです。そうして、自分達自身で地域への貢献の枠組みは持っています。それで地域の消費者をお客として抱えこむという戦略を取っています。地域の地場の事業者を中心に運営される仕組みには見向きもしません。どういう事かと言いますと、決定的に異なるのは、大手の業者は利益が上がらなくなったら、地域から去って行くことが出来る。
 多くの地域で、地場で事業をやっている方々は、地域から離れるわけに行かない。皆、小さな業者ばかりかと言うと、そうでもありません。大きな業者でも地域から逃げて行くことが出来ない業態の業種が沢山ありますね。例えば電鉄会社が、線路をひっぺがしてその地域から逃げて行くという事はあり得ません。
 つまり、地域に根ざして、その地域を良くしていくことが、自分の、私の利益にも繋がると。だからこそ地域貢献していかなければならないと考えている人達に、やはり役に立つ仕組みというのが必要かなと。そうすると、それは先程言ったゴミを通して広がった視野が町を位置付け直すと、そういうことが見えてくる。現在、ゴミが流れるルートは川ですね。そういう時に、わが日本が地域が元気になって、日本を救って行く時代だと言われても、地域の経済圏というものがどうなっているかという事を、見直してみるきっかけになります。
 昔は、山が分けていて、川が隔てている地域がひとつの経済圏を自然に作っていました。
 今は違います。物資や人の流通を支えているのは道路です。新しい地域と言うものが出来ました。地域圏、経済圏。改めて、ゴミから見ると流域圏というものも見直してみる必要があるのではないかと。それが典型的に表れているのが水道などです。そうすると、私達は地域興しという時でも、川が持っている意義といったものにも気付かざるをえません。川下で海岸に繋がって行きます。つまり、私達は問題が起きると、水に流すというような事を言います。水に流すと、海に流れて行くわけです。が、水に流すと言って、何が流れて行くか。やはり各種の廃棄物を含め、有用な陸地にある物質も流れて行く。それを取戻すような仕組みが、昔のようにあれば社会は健全さを保って行くでしょう。
 しかし、それが切断されているという事に気付きます。そして日本人の多くは、殆ど、自分達が生活している地域の、日本の気候の中で、日本に降る雨と、日本に降り注ぐ太陽と、日本の国土の中で育ってきた食料を食べて生活しているかというと、そうではありません。昔の古代ローマ人のように、北アフリカの植民地で出来た農産物を船で運び、貴重な海路を使い、エネルギーを使い日本に運んできて、そうして農薬まみれの野菜を食べている。
 輸出する方は自分達が食べるわけじゃないから。お隣の中国の野菜は、中国国内でも問題になりました。野菜じゃなくて、毒菜。人体にどういった影響を与えるか分からない薬品が沢山使われております。
 では、私達はゴミを通して気がつく日本の姿、その中でどこに注目すればいいか。私達ひとりひとりの生活の有りようで、ごみが一番雄弁に物語ってくれている。それに対する取り組みを通して、私達が願っている地域の振興。或いは、経済活性化、村おこし、人々の交流の活発化。そうしたものを達成していくという方向の中に自分達を置いて行く必要があるのではないか。それを一番教えてくれているのでないかという風に思っています。
 皆さん、ここに入ってくるときにマスに仕切られて入っていましたね。私達がゴミを分類するということの持つ教育的な教化力と言いますか、大きな力があると思います。こういう取り組みはビジネスベースでは絶対に成立たない。農業者が海辺に海草を取りに行っても、買いに行っても沢山のお金は出せない。じゃあ、集まっている人がどれくらい分類出来るのか。人手をどれくらい投入したらいいのか。金銭を払っていては成立たない。つまり、私達は「稼ぎ」のレベルではなく、「仕事」と言うレベルで海のゴミを捉え直す。陸地のゴミも捉え直す。
 そういう人の取り組みが継続するようなちょっとした工夫。環境キップのような工夫を入れて行くと継続的な取り組みになっていくのではないか。この3年間の海ゴミの取り組みは、端についたばかりだと思います。これからどう言う形で自発的に人々の参加を増やしていって、個性的にかつ連絡がとれた形で発展して行くのか。これからの課題だという風に考えております。ありがとうございました。


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