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(3)海賊・海上武装強盗
 東南アジア諸国の周辺海域におけるいわゆる海賊の問題も、実は海洋生態系に甚大な損害を発生させる危険をはらんでいる。それは領海内で行われるために国際法上の海賊ではなく、海上武装強盗(maritime armed rubbery)と呼ばれるものであるが、沿岸諸国の取り締りの能力形成(capacity building)に関する日本の努力にもかかわらず、最近はなお増加の傾向にある。同海域は非常に狭くかつ世界の船舶輸送量の過半が通航する輻輳度の高い交通の要衝であり、また大小の多くの島が点在している。さらに複数の沿岸国の領海が入り組んでおり、相互に領域を超える管轄権行使を抑制する必要もあって、複数の国家の沿岸海域を自由に渡り歩いて活動する海賊船舶は他国の領海に逃げ込めば追跡を免れることとなる。それゆえ、海上での取締りの実効も上がりにくい。東南アジア諸国間では合同パトロールという形で領海を越えて追跡可能なシステムの構築も検討されているが、主権の側からする抵抗も強い。
 
 もともと海賊は一つの産業というべきものであり、略奪した物資を陸揚げし、陸上で貯蔵保管し、売り捌く組織的な体制を必要とし、またその過程で場合によっては地方の役人の協力をうる必要も生じる。すなわちそれは陸上の支援体制があって初めて成り立つ犯罪であり、したがって海上の取締りを強化するたけで抑制できるとは限らない。しかも海賊はしばしば国内反政府勢力とも結びつき、それら組織が闘争資金をうるために海賊と協力し、あるいは自ら海賊行為を行う場合もある。とりわけ国家領域の一部がそれら叛徒組織の実効支配を受けている場合には、沿岸国政府に取締りの実効を期待することも難しい。その意味では、沿岸国国内社会の政治的安定をもたらしうるような貧困の改善、差別や腐敗の除去、雇用の促進・確保といった総合的な施策への国際援助が必要不可欠である。もっともこれら援助が成果を生むには相当に長期の時間を要するであろうから、当面は、それら海賊行為による国際経済社会の不安定化を回避するための海賊情報の普及と商船への防除設備の装備、場合によっては海賊対策用の警備員の配乗など、自衛的な措置を強化する以外にはない。海賊情報の普及については、IMOやICC(International Chamber of Commerce)が随時海賊警告情報を出しており、また最近では情報共有センターがシンガポールに設置された。これらは通航船舶の側に情報を提供することによって被害を縮小することを目差すものであるにとどまる。
 
 ところで海賊は海上で船舶を奪取・略奪した後これを放置することも多い。これまで東南アジア海域において、海賊に遭遇して放置された船舶が座礁したり他のタンカーなどの船舶と衝突事故を起こしたりして大規模な海洋汚染を発生することがなかったのは、むしろ奇跡に近い。またこれら海域で叛徒団体によりタンカーなどがテロ攻撃を受けた場合には、長期にわたって海峡が通航不能になるなど、国内経済を海運に依存している他の国家は甚大な経済的損害を蒙ることになる。その意味で複数の沿岸国の間で海賊に関するリアル・タイムの情報を交換し、また海賊船の捕捉のために沿岸国が執行上の協力体制を整えることが必要であるように思われる。
 
(4)漁業資源開発に関する情報協力
 アジア海域では点在する島の領土問題も絡んで排他的経済水域及び大陸棚の境界画定も未解決のままの部分も多い。このため沿岸諸国は漁業や海洋科学調査など個別の事項ごとに暫定的に海域を区分して、境界画定が未決着なことから生じる不都合を回避している。しかし海域全体を対象とする統合的資源管理は難しく、地域国際漁業委員会などの設置による海域全体を一つのゾーンとして漁業資源を保存管理する組織的な協力は進んでいない。沿岸諸国がいずれも魚類を重要な蛋白源としているにもかかわらず、またそれゆえに、有効な漁業資源の調査及び管理の協力体制を構築できないでいることは、将来の世代に対する重大な責任回避と言わざるをえない。
 
 日中・日韓の漁業協定は暫定水域については共同委員会による漁獲量その他の漁獲規制を行うことしているが、それ以外の水域ではそれぞれの沿岸区域について沿岸国が漁業保存措置をとることとされており、海洋を一つのゾーンとして捉えて一体としての漁業資源の保存を行うことにはなっていない。底魚は比較的安定しておりそれぞれ沿岸国が主権的権利に基づく規制を行うことで問題は少ないが、浮魚については、その回遊範囲を広く一体として保存措置を講じるのでない限り、共倒れになる危険が大きいといわれ、長期的に見た漁民の利益が損なわれる可能性がある。こうした「共有物の悲劇」(tragedy of commons)が生じないようにするためには、そのため日中韓三国の間では漁業資源保全分野における協力体制の確立が模索され、2003年10月にインドネシアで開催された日中韓三国首脳共同宣言の中で「三国は、二国間又は三国間で、効果的な漁業管理を通じて、漁業資源の持続可能な利用とその保全を促進するために協力する」ことが合意され、これを受けて本年6月に開催された日韓水産当局間のハイレベル会議でも、海洋生物資源の保存及び管理を推進するための方策について今後とも協議していくことが確認された。しかしこれを実施する具体的な方策は示されておらず、せいぜい認識の共有が確認されたにとどまっている。ただし日韓漁業の共通の敵である「大クラゲ」の大量発生を受けて、その発生の原因やメカニズムを共同で調査することが合意された。近年におけるアジア沿岸海域におけるイワシの不漁の原因についての全海域をまたがった調査が必要であろう。こうした調査の成果を一つ一つ積み挙げることにより、まずは魚種資源の現状に関する客観的調査の共同実施、あるいは地域漁業機関を設立しての科学的資源調査の一体的な実施の必要性の認識を高め、さらにそれらの上に立って初めて、将来における漁業資源の統合管理の制度を展望することができることになるように思われる。
 
(5)海底資源開発に関する情報協力
 海底鉱物資源開発については再生可能資源としての魚種資源のような暫定的な取極めに合意することは極めて困難な面がある。それは大陸棚あるいは排他的経済水域の境界が未画定のまま残されていることによる。とりわけ海底鉱物資源の既知の鉱区は境界画定交渉の結末に大きな影響を及ぼす場合があるため、沿岸国は一方的に海底の探査開発に乗り出そうとする。たとえば中国による東シナ海のガス田等の開発は、中間線の中国側で行われているものの、日本沿岸から200海里の内側で行われており、少なくとも日本の権原(sovereign title)が中国のそれと競合する場所で行われている。そうした開発行為がそれ自体で国連海洋法条約にいう境界画定合意の阻害行為といえるかどうかの法的評価はここでの問題ではない。ここで取り上げたいのは、こうした大陸棚開発には大規模な海洋汚染の危険が伴っているにもかかわらず、日中の間で緊急時における共同行動に関するスキームが策定されていないことである。境界画定合意を優位に進めるために、一方的に探査開発が行われる結果である。北海油田について、イギリス・ノルウェイなど関係国の間で緊急時計画が詳細に定められているのと極めて対照的である。
 
 この問題は重大である。同海域はまた日中韓の三国の漁船が交錯する漁場でもあり、ひとたび天然ガスや石油の掘削から汚染が生じた場合には、三国漁業は甚大な損害を蒙ることになるのは火を見るよりも明らかだからである。春暁油田は天然ガスではなく石油の開発が行われるようでもあり、一層、開発過程で事故が生じた場合の海洋汚染の被害は深刻となろう。
 
 将来における境界画定に関して中国側は共同開発区域の設定を提案しているようである。日中間において東ティモールの共同開発方式が当然に参考となるかどうかは不明であるが、中国が共同開発に真剣な興味をもっているのであれば、少なくとも権原の競合する範囲内のすべての海域における科学的な情報を明らかにするのでなければ、その一部に設定されることとなる共同開発区域の中での資源の衡平な配分という結果を導くことはできない。
 
(6)海洋保護区域(MPA)の問題
 海洋の統合管理に向けての一つの方策として、現在、海洋保護区(MPA, Marine Protected Area)の設定が多くの国によって提案されつつあるが、それはどちらかというと環境保護NGOのイニシアティブによるものであり、生物多様性や世界自然遺産の保護という文脈が強調されている。それはそれで極めて有意義なことであり、沿岸諸国民の意識を覚醒する(consciousness building)ものとして、海洋の統合管理への一つのステップとなりうるものである。
 
 もっともMPAの設定の合理性は、その性質上、人為的な海域区分になじまないものであり、沿岸域の統合管理(integrated coastal management)をこえて、公海についてまで拡張して適用することが主張されるとともに、排他的経済水域において認められる船舶の国際航行を部分的に差し止める措置の提案をも含んでいる。こうしたMPAを沿岸国が単独でまたは隣接沿岸国と協調して一方的に設定することは、海域の多様な利用にとっては、沿岸国による管轄の忍び寄る拡大(creeping jurisdiction)の危惧を生じさせる。沿岸域にMPAが設定される場合はそうした危惧はあまり生じないが、領海における無害通航の一時的な停止とは別に、さらにMPAを設定して外国船舶の通航を沿岸国が一方的に規制できるかには問題がある。それにとどまらず、さらに排他的経済水域や公海における航行の自由を否定することになれば、そこから国際紛争が惹起される可能性は極めて高いし、地域の経済発展全体にとって由々しい事態を将来するであろう。また排他的経済水域における魚種資源も、沿岸国の主権的権利の対象ではあっても、沿岸国がこれを独占することが認められたわけではなく、海洋法条約は沿岸国にその最適利用(optimum use)を義務づけているのである。最適利用は最良の科学的証拠に基づき、かつ最大持続生産(maximum sustainable yield)を基礎に措置されることが求められている。そして最適利用のためには、特定の魚種資源の漁獲可能量(TAC)に自国の漁獲能力を超える余剰分(surplus)がある場合には、その漁獲を第三国に配分する一般的な義務を、沿岸国は負っているのである。MPAがこれら沿岸国の義務を回避する口実として設定されるようなことがあれば、それは海洋法条約によって導入された排他的経済水域制度を根幹から揺さぶるものとなろう。
 
 MPAの設定がそうした海洋秩序の不安定化の要因を現出するものとならないためには、国際的なレベルにおいてMPA設定の許容基準を客観化するとともに、それら基準への適合性を判断する前提として、まずMPAが提案される海域を含む地域の海域全体についての情報の収集・提供とその共有化が不可欠となる。ここでも情報協力はアジアのそれぞれの半閉鎖海域を全体として一体のものとして捉える観点からなされる必要がある。
 
(7)情報協力の方策
 これまでみてきたように、アジアの海域が海洋環境にも海洋生態系にも資源保存にも脆弱な半閉鎖海であるという認識を共有するためには、まずは海洋に関する多様な情報を可能な限り公表し、必要に応じて誰もがいつでもアクセスしかつ利用可能であるようにしておくことが必要である。短期的には海底開発や海賊行為から大規模海洋汚染が発生した場合の緊急対応についてアジア地域諸国が情報交換と防除措置に関する国際協力体制を策定する必要がある。長期的にはこれら海域全体の生態系を解明し、海域の適正な利用と保護の統合した管理システムを創設する必要がある。海洋情報の統合は、海域を一体として統合管理する体制を将来にむけて整えていくための出発点でもある。
 
 海洋情報の共有化は、しかしながら、世界全体についても必ずしも進んでいるとはいえない。とりわけアジア海域に関しては、領土問題や大陸棚の境界画定問題も絡むために、そもそも科学情報を資源情報や水路情報と区別することを可能にする科学コミュニティ(science community)の成立が難しい現状にある。世界レベルではようやく、UNESCOの海洋地形委員会と世界気象機関WMOとが共同して、海洋環境情報を統合調整するプロジェクトを立ち上げ、海洋科学情報収集の形式(format)や基準(standard)の調整統一、情報仕様(mode)の統一による科学コミュニティの中での情報流通の円滑化などの諸方策の検討を開始した段階にある。こうした試みは実は、国際社会がこれまでたどってきた発展の方向にそったものである。ある特定の事項ごとの必要性に応じて、情報の集積と交換、またそのアップデートを経常的に行う必要から、特定の問題ごとに専門的国際組織がこれまで創設され、国際協力の体制が整えられてきているが、それら国際協力の組織としての専門的国際組織の活動を支えたのは、まさに加盟諸国家から情報提供を受ける体制=報告制度(reporting system)であった。報告制度はその結果が公表されること自体を一つの事実上のサンクションとして実効性を持つこととなるが、同時に、国際組織の側で提供されるべき情報の形式や基準、統計指標などを統一した質問表(questionnaire)に応答する形で報告を要求することにより、国内行政のあり方に大きな影響を及ぼすことによって国際協力の実を挙げてきたという側面がある。つまり報告書を通じて国家は国内統治のレベルでも国際的なレジームへの組み込み(enmeshment)を加速してきたのである。従来は専門的事項ごとに技術的に細分化された国際協力が推進されてきたが、海洋情報の共有化は、専門事項ごとの縦割りの国際協力ではなく、文字通り分野横断的(cross-cutting)な情報の収集、交換と公表に基づく国際協力の体制を目指すものとなる。とくに半閉鎖海においてはこれを一体として扱うレジームの形成が不可欠であり、とくに各国の資源エネルギー政策、環境政策、漁業政策などの優先順位のばらつきを乗り越えて国際的な制度が策定されなければならない。そのため従来の特定の専門技術的で予測可能な国際協力の組織化を超えた課題をつきつけられており、それゆえ政策決定者レベルのみならず、市民社会内部でのアジア海域の半閉鎖海としてのidentityを強化するような認識枠組みの変更が必要不可欠であり、そのためには情報国際協力とその公開・公表がなによりも必要である。
 
 こうした情報国際協力の進展は、人々の間に、人類文化の発展がいかに海洋に依存しているかということに関する共通の認識を創出し、海洋の地形、海流、気象、生態系等の相関性と経年的変化、漁業・鉱物資源、海洋環境へのそれらの影響を明らかにすることを通じて、海洋利用に関する新たな制度的枠組みを創設するインセンティブを産み出していくであろう。それはまた国内における行政組織にも分野横断的な再編を迫ることとなろう。海洋の一体的な統合管理の必要性は人類の海洋活動の大規模化、地球環境の変化、人口・食糧問題の深刻化、水資源その他共有天然資源の衡平な配分といった問題の発生によって、ますます強まってくることが予想される。これを解決することなしにはわれわれは将来の世代に対する責任を回避することになる。重大な紛争の局面を迎える前にアジア沿岸諸国の人々の認識枠組みを変更し海洋国際協力の体制を整えるために、海洋に関する情報協力の第一歩をまず踏み出すことが必要である。この第一歩をアジアから踏み出すことは誠に有意義であるとともに、半閉鎖海が連続するアジアの沿岸国によっては、海洋との持続的な共生を図りつつ国民の生活の安定を図る上で、すぐにも開始しなければならない優先的な課題である。これは1次的には問題発見的な科学コミュニティに課せられた課題であるが、同時に、各国の政府の資金面、技術面での協力、とりわけ短期的な国益を長期的に視野で置き換える政策の転換なくしては達成できない事業でもある。


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