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吟剣詩舞
こんなこと知ってる?(2)
 四月号から始まった新企画「吟剣詩舞こんなこと知ってる?」の二回目です。読者の皆さまと双方向で意見が交換できるコーナーとして設けておりますが、皆さまからのご意見や投稿は、今月号には間に合わなかったようです。今、お茶の間で人気の『トリビアの泉(フジテレビ番組=前月号本欄冒頭で「トレビアの泉」と紹介しましたが、「トリビアの泉」が正しいです)』や、『ここだけの法則(NHK番組)』の吟剣詩舞版特集です。吟剣詩舞の歴史、人物、身近な出来事など、読者の皆さまが驚くようなこと、是非、知らせたいことがありましたら財団事務局月刊誌係まで、ご寄稿をお願いいたします(形式は問いません。写真等も歓迎です)。
 今回も財団吟詠コンクールの歩みの中から、本部事務局がまとめました。
 
“なぜ、絶句の吟詠時間は二分以内なのか!”
 絶句の吟詠時間は、財団吟詠コンクール実施要項で二分以内と決められ、この時間を超過すると失格になります。入学試験などの解答時間のようにたいへん厳正なものとなっています。
 その運用はオートタイマー(原則として二分〇一秒でセット)でベルを鳴らし、ベルが鳴った時点で吟詠が終了(余韻も含みます)してなければ失格となります。昨年九月の平成十五年度全国吟詠コンクール決勝大会のタイムオーバー失格者は一名。今年三月十四日に開催された第三十二回全国少壮吟詠家審査コンクール決選大会では二名の方がタイムオーバーで失格しました。
 吟剣詩舞のことを「二分間の芸術」と称した方がありました。絶句の吟詠や絶句の剣詩舞を指したことばですが、吟剣詩舞のことを端的に言いあらわしていると思います。
 絶句の吟詠時間が二分以内と考えられたのは、吟詠の各流共演(競演)が始まってからのことです。当初は流派によって吟詠時間の長短が結構ありましたが、各流の吟詠時間の平均値を考え、この辺に決められたのだと思います。特にレコーディング、吟詠放送、舞台出演など、出演者の持ち時間の公平を期すため、時間制限が自然発生的におこったともいわれています。
 ちなみに、近年の吟詠コンクールの絶句の吟詠時間の一例をとりますと、五言絶句の平均吟詠時間は一分四六秒、七言絶句は一分五一秒となっていて、ほぼこれにプラスマイナス五秒の中で吟じられているのが実態です。
 また、絶句の吟詠に時間制限を設けたことが、吟詠が音楽の仲間入りをはたす最初の試みであったと語る有識者もありました。
 音楽とは、音を材料とした調和と結合の芸術を指すものですから、吟詠がこれに近づくための約束事を決めた第一歩が、絶句の吟詠二分以内の取り決めであったと考えられます。
 吟詠が各種の楽器と共演できるようになったのも、カラオケテープに合わせて吟じられるようになったのも、絶句の吟詠時間を一定に定めたことに始まる効用といえるのではないでしょうか。
 
“なぜ、吟詠に発音アクセントが
重要視されるようになったか!”
 絶句の吟詠二分以内や発音アクセントの重要視に関しては、コンクールでは失格や減点の対象になるなど、これらは吟詠界の常識になっていますが、他の分野の人たちから見たら『ヘエー』とトリビアを発する人があるかも知れません。
 故笹川鎮江財団二代会長は「ともすると日本語のアクセントや鼻濁音が守られない今日、わが吟詠界だけは美しい日本語で吟詠するよう心がけたい」とおっしゃっておられました。
 財団吟詠コンクール審査規定でも、吟詠が日本のことばを素材とする以上、標準アクセント(わたりを含む)及び鼻濁音を正確に表現して吟じなければならないと規定しています。
 作曲家の舩川利夫先生は、日本語のアクセントが重要視されることは、詩句、すなわち、詩語の読み下しを的確に理解させるという意味からも、たいへん必要なことだと言われていました。
 また、舩川先生は、吟詠の音楽的向上ということからも、アクセントの重要視に賛成されていました。それは、吟詠に変化をもたせることになると考えられたからです。しかも、ことばのアクセントを無視したうえ、内容の違う漢詩を同じような節調で吟じようとする傾向が一部にあって、これは吟詠の音楽的向上を考えるとき、まったくナンセンスなことです。せめて、ことばのアクセントを重要視することにより、多少なりとも吟詠に変化をもたらすことが出来ると考えましたから、当初から財団の吟詠へのアクセント採用に賛意を示してきたとも言われてました。
 
美しい日本語を守るのは吟詠の使命、吟剣詩舞は「2分間の芸術」とも・・・
(昨年度武道館大会フィナーレより)


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