表紙説明
名詩の周辺
春日山荘(有智子内親王)
京都・下鴨神社
作者有智子内親王は、平安前期の女流漢詩人で、嵯峨天皇の第八皇女として生まれました。父帝や兄弟の影響を受け、幼少から詩才を発揮、弘仁元年(810年)4歳で賀茂斎院(かもさいいん)となっています。斎院とは未婚の皇女を神の御杖代(みつえしろ)として奉仕させたもので、この嵯峨天皇の時代から始まりました。
一般に下鴨神社で知られる賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と、上賀茂神社で知られる賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は総称して「賀茂神社」と呼ばれており、上賀茂神社を上社、下鴨神社を下社ということもあります。創建は両社ともに非常に古く、社伝によれば天武天皇6年(678年)、現在地に社殿が造営されたとなっています。いずれにしても京都で最も古い神社のひとつで、平安遷都後も朝廷の崇敬があつく、王城鎮守の神として伊勢神宮に次いであがめられていました。(世界遺産にも指定されています)
毎年5月15日に行なわれる「葵祭」は、上賀茂・下鴨両神社の例祭で、祇園祭・時代祭と並ぶ京都三大祭のひとつ。平安時代の風俗そのままの優雅な装束をした約600人の人々や牛車の行列が延々1kmにも及び、さながら一幅の絵巻物の世界を展開します。欽明天皇の頃、五穀豊穣を祈念する祭礼が起源とされ、最も盛大だった平安時代には「祭り」といえば、この「葵祭」を指すほどでした。
なお、行列に加わる斎王代は、賀茂斎院の代理ということで、現代では一般の未婚の子女から選ばれています。
(下鴨神社=京都市営バス「下鴨神社前」下車すぐ)
取材――株式会社 サークオン
* おことわり=「吟詠家・詩舞道家のための日本漢詩史」は、筆者の榊原静山先生が去る3月5日、肺炎にて、ご逝去されましたため、今月号は休載いたします。榊原先生からは、既に原稿の一部をお預かりしていますので、引き続き掲載させていただく予定です。
なお、3月、4月号「日本漢詩史」の掲載通し番号が、第14、15回とありましたが、これは第10、11回の間違いですので、お詫び訂正をお願いいたします。
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水六訓
一、あらゆる生物に生命力を与えるは水なり。
一、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。
一、如何なる障害をも克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。
一、自から清く他の汚れを洗い清濁併せ容るの量あるは水なり。
一、動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い何等報いを求めざるは水なり。
一、大洋を充し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ、霰と化してもその性を失わざるは水なり。
水を心とすることが平和と健康と長寿の妙薬であります。
笹川良一
明日への提言
天皇皇后両陛下をお迎えした恩賜財団母子愛育会創立七十周年記念式典の席上、当財団に感謝状が授与されました
河田和良
三月十八日、気象庁は東京と横浜、静岡で桜(ソメイヨシノ)の開花を確認したと発表しました。この桜開花宣言は観測史上二番目の早さということ、私の住む倉敷の開花宣言は未だでしたので、東京の方が少し早かった模様です。
三月は年度末を控え、財団も諸行事が目白押しで、十三日には財団の役員総会(理事会・評議員会)と故笹川鎮江財団二代会長の一周忌追善の集いが、JR品川駅前のホテルパシフィック東京で開催されたのを始め、翌十四日には、笹川記念会館で、全国少壮吟詠家審査コンクール決選大会が開催されました。続いて、十八日には、毎年、五月五日(子供の日)恒例の財団名流大会の奉賛先である社会福祉法人恩賜財団母子愛育会(総裁・三笠宮妃殿下)の創立七十周年記念式典に出席するため再度上京することになりました。
創立七十周年記念式典は、東京・渋谷区の明治神宮会館に天皇皇后両陛下をお迎えして開催されました。式次第は、国歌斉唱、母子愛育会会長式辞、天皇陛下御言葉、来賓祝辞、記念表彰、感謝状授与の順に執り行なわれ、この式典の中で、当財団に対する感謝状の授与が行なわれました。
この日、天皇陛下のお言葉では「少子化が進む今日、母子の心身の健康を守ることは非常に大切なことであり、母子愛育会の活動には大きな期待が寄せられます」という母子愛育活動に対する励ましと期待の御言葉が述べられました。
当財団への感謝状は、名流大会の開催を通じて、三十年有余にわたり母子愛育事業に奉賛してきたという貢献に対して頂戴したものです。
天皇皇后両陛下、三笠宮妃殿下ご臨席の記念式典の席上、私が財団会長として感謝状授与の紹介を受けましたが、たいへん晴れがましく、感激一入の一時でした。
時:平成十六年三月十四日(日)
場所:笹川記念会館国際ホール
主催:財団法人日本吟剣詩舞振興会
それぞれに思いがある、少壮吟士候補への道
吟界のリーダーとして吟詠の発展に寄与する少壮吟士。その資格を得るための全国少壮吟詠家審査コンクール決選大会が、去る三月十四日、笹川記念会館国際ホールで行なわれました。コンクールのなかでも難関といわれる本決選大会。今年は果たして何名が少壮吟士候補になれたのでしょうか。
開会を宣言する鈴木吟亮専務理事
少壮吟士はまさに吟界のリーダーとして吟詠の発展、向上を牽引する役目を担う存在といっても過言ではありませんし、実際に多くの方々から期待を寄せられる存在でもあります。それ故に、審査は厳しく、年一度の決選大会を三回通過しなければ資格を得ることができません。また、単に吟詠が上手というだけではなれず、社会人としての人格、マナーまでもが審査対象となるなど、吟詠コンクールの頂点ともいえるのが、この全国少壮吟詠家審査コンクール決選大会なのです。
その厳しい審査を受けた吟詠家は総勢百三十九人。その誰もが吟歴七年以上、指導歴三年以上で、会長以上の責任者の推薦を受けた方々です。参加者の内訳は北海道五名、東日本三十四名、中部十三名、近畿三十四名、中国十三名、四国十三名、九州十六名、第三十一回入選者等が十一名となっていました。
河田和良財団三代会長の挨拶のあと、いよいよ競吟が開始されました。一番手の今村晴夫(神奈川)さんから百三十九番の渡辺晴美(東京)さんまで、この日のために精進してきたすべてを一吟に注ぎ込み、力の限り吟じている姿は感動的ですらありました。しかし、経験豊かな吟詠家でも決選大会独特の雰囲気のせいか、絶句する人、誤読する人もあり、見ている側からもこの舞台の重圧のすごさをうかがい知ることができました。
出場者の舞台に注目をする審査員席
すべての競吟が終了すると、壇上に河田和良会長が立たれ、決選大会に対する講評を述べられました。
●詩文を持つ位置が悪い。詩文で顔が隠れてしまう人がいた。審査員に顔が見えない場合は減点になる。素晴らしい吟をしていても、持ち方で減点されたのではもったいない。
●詩文を見っぱなしも減点である。これは覚えていないことになるからだ。三回クリアする人は、十五題を確実に覚えており、その上で時たま確認する意味で詩文を持っている。
●調和の点数(二十点満点)は十七点が八名、十六点が十五名、十五点が三十名で、以下つづいていく。例えば「七」の音を出すなら確実に出して欲しい。「七」に上がりきれず、「六」の音に聞こえる人もいた。自信がないのなら、はじめから「六」の音で吟じた方がよい。
●発音では満点の十点が八十四名、九点(少し発音があやしい)が二十一名、八点(一カ所違っている)が十四名いた。少壮吟士のコンクールなので、発音ができて当たり前だが、これだけで百十九名にものぼり、個人的には発音の点数の付けかたが甘かったのではと思っている。
など、少壮吟士への期待が大きいだけに、講評の内容も厳しいものになりました。そのあと、審査結果が発表され、晴れて少壮吟士候補になられたのは四名で、大澤三枝(静岡)、後藤憲子(岐阜)、辻本圭子(奈良)、田中文夫(神奈川)、以上の皆さんでした。
入倉昭星常任理事による閉会の辞が終了すると、熱気を帯びていた会場に静けさが訪れ、決選大会も成功のうちに終わることができました。今回入選した人も、しなかった人も、終わった今日からが来年の大会へのスタートであり、また精進の日がつづくことでしょう。
壇上で河田和良会長から賞状額を受ける入選者
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