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吟剣詩舞の若人に聞く 第61回
池田拓真さん
 
池田拓真さん(二十一歳)●奈良県生駒郡在住
(平成十五年度全国吟詠コンクール決勝大会青年の部優勝)
宗家(師):池田哲星さん(粋心流星華吟詠会)
吟詠はもちろん、もっと漢詩の勉強に打ち込みたい
若手として日々成長し、意欲的に吟詠と取り組んでいる池田拓真さん。平成十五年度青年の部優勝の喜びを胸に、吟のこと、これからのことなど、宗家であり父である池田哲星先生を交えてお話をうかがいました。
 
――時間も経っていますが、優勝の感想を?
拓真「優勝したときもそうですが、今も大変嬉しく思っています」
――青年の部以外の優勝経験はありますか?
拓真「幼年、少年とも出場しまして、おかげさまでどちらも優勝させていただきました」
――青年の部は初めての挑戦ですか?
拓真「いえ、それ以前に三回挑戦しまして、最高が四位でした」(笑)
――そこから優勝とは、何か理由があったのですか?
拓真「とくに何かを変えたとかはありませんが、地道にコツコツやった結果だと思っています」
――優勝ですが、何か反省すべき点はありますか?
拓真「本番で気合が入りすぎて(笑)、それがいくぶん行き過ぎの感もありました。気合は大事ですが、それをコントロールできればもっと良かったと思います」
――吟詠はいつ頃から始めましたか?
拓真「六歳の頃からです。父が宗家であり、指導者でもありましたから、自然に始めた感じですね。物心ついた頃には吟じていましたから」(笑)
――ご宗家ははじめからやらせようとお考えでしたか?
哲星「私は二代目ですが、私自身やるような雰囲気の中で育ちましたから、抵抗なく吟詠の世界に入りましたが、息子の場合も強要したわけでもなく、本人も言っていますが自然に始めました」
――教え始めた頃の拓真さんはいかがでしたか?
哲星「まず詩吟は楽しいということを教えなければなりませんでした。詩吟は漢詩ですし、堅苦しいことばかり言っても仕方ありません。興味をもたないと続けられませんから」
――先代から教わったことと、哲星先生が拓真さんに教えようとすることに違いはありますか?例えば、自分が指導されて嫌だったことは拓真さんにはしないとか、逆に絶対にこれだけは伝えないといけないこととか?
哲星「私自身が先代から指導を受けて嫌だったことはありませんでした。近所に同じ年齢の友達がいましたので、一緒に吟を習いました」
――拓真さん、吟詠を意識し始めたのは、いつ頃ですか?
拓真「漢詩の意味自体を理解しはじめたのが、中学、高校の頃ですから、最初の五、六年は自分が何をやっているのか分かりませんでした」
――声を出すのは楽しいということはありましたか?
拓真「それはありましたね。またコンクールで自分なりの吟ができれば、子供ながらに達成感みたいなものがありました」
――誰か一緒に習っていた方はいましたか?
拓真「いいえ。最初は一人でした」
――拓真さんへの教え方は、どのようになさっていますか?
哲星「私は流派を引き継いで二代目という立場にありますから、粋心流の目指すカタチというものを自分自身、求め続けていますし、その気持ちを拓真に伝えていきたいと考えていますので、他の生徒さんと違う教え方をするわけではないですが、その本質的なところは常に言い続けています。一般の会員さんですと、要求することが違っていまして、コンクールに優勝したいとか、上手になりたいなどがありますが、拓真にはそんなカタチで指導したことはありません。結果としてコンクールは、自分の練習の成果を評価していただける場と考えておりますので、成績がいい悪いには拘泥していません。それがこんどの青年の部、優勝につながったと思っております」
 
左より池田哲星宗家、池田拓真さん
 
――学校では何か部活はやっていらっしゃいますか
拓真「はい。でも詩吟ではないです」(笑)
――失礼ながら学校はどちらですか?
拓真「大阪大学です」
――それはすごいですね。
拓真「いえ、とんでもない」(笑)
――友達は詩吟について知っているのですか?
拓真「詩吟自体がわかりませんね」
――詩吟についてどう説明します?
拓真「漢詩を日本語の書き下し文にして詠うという風に説明しています」(笑)
――部活は何ですか?
拓真「この三月で卒業ですが、混声合唱を四年間やりました」
――発声法が違いませんか?
拓真「まったく違います」
――混声合唱はどのパートですか?
拓真「一番低いベースです」
――詩吟は何本ですか?
拓真「詩吟は三本です」
――混声合唱をやっていて、詩吟に何かプラスになることはありましたか?
拓真「合唱のほうは、技術的に高めたいというよりも、大学で一番人数の多いサークルだったのです。人数の多いサークルに入って、いろいろ経験したいなという気持ちで入部しました」
――何か楽器を演奏していましたか?
哲星「少しかじったね」
拓真「小さい時に少しピアノを習っただけです」
――合唱団のお友達は、拓真さんが詩吟をやることは知っていますか?
拓真「はい。詩吟の会に招待したりしています」
哲星「会の四十周年の祝賀会に、合唱団の仲間の方を招待してコーラスをしてもらったこともあります」
――合唱団のみなさんは、詩吟を聞いたのは初めてでしたか?
哲星「はじめてですね」
拓真「みんな、はじめてです」
――その時、みなさん、どんな感想を持ちました?
拓真「初めて聞くので、ビックリしたとか、合唱と違って、吟詠は独りで大勢の前で吟じますので、度胸があるとか」
 
優勝の喜びを語る池田拓真さんと師であり父である池田哲星宗家
 
――拓真さんにとって吟詠の魅力って何ですか?
拓真「私にとっては二つあります。一つは、漢詩を味わうことです。いろんな詩を勉強して、その詩を自分なりに表現することですね。二つ目は、お腹から大きな声を出してストレスを発散させることです」(笑)
――吟がなかなか若い人に浸透しない現状を、同じ若者としてどう思いますか?
拓真「まず吟詠そのものを知りません。ですから、彼等は吟詠と言われてもイメージできないです。私の仲間のように目の前で、僕が吟じると吟詠というものが、こういうものなのだと理解できます。百聞は一見に如かず。もっと若い人たちに吟詠に触れる機会をつくらないといけないと思います」
――この連載は『吟剣詩舞の若人に聞く』ということで若い方々にお聞きしているのですが、どうしたら若い人たちに吟詠をやってもらえるのでしょう?
拓真「最初の段階では、声かけというか、PR活動は大々的に行なう必要があると思います。少しでも詩吟に興味を示した方々を引き込むには、先ほどの話と重複するのですが、吟詠とはこういうものだよ、と実際に体験させることが大事だと思います」
――高校受験、大学受験で吟詠を辞める人も多いし、声変わりのために中断する人もいます。拓真さんは、変声期の頃はどうされたのですか?
哲星「拓真の場合は、小学校の五年六年で幼年の部、少年の部優勝を取らせていただきました。青年に出るまで期間がありましたので、中学の三年間は声を出しませんでした。高校に入りまして声も安定してきましたので、吟を再開させました」
――最後に今後の目標についてお聞きして、今回のインタービューを終わりにしたいと思います。
拓真「コンクールには何年も出ることがないでしょうから、週一回の練習に力を入れたいですし、今までコンクール中心に稽古してきたものですから、まだまだ知っている漢詩の数が少ないので、もっと漢詩の勉強をしたいです」
――宗家にお聞きします。優勝されたわけですが、今後の拓真さんの方向性について指導者としての立場で何かございますか?
哲星「先ほども申しましたが、粋心流という流派を引き継いで二代目という立場にはありますが、まだまだ私自身が勉強の途上にあり、その中で自分が納得して身につけたものを伝えていきたいという姿勢です。時代は変わっていますから、当然その時代にあった吟詠のあり方はあるわけですが、財団の方針である伝統芸術として吟詠を育てたいという方針にそって、ただ時代に迎合するのではなく、伝統芸術として吟詠をとらえ、発展させていきたいと考えています」
――拓真さん、三代目を引き継ぐ気はありますか?
拓真「ゆくゆくは後を継ぎたいと思っています」(笑)
――本日はお忙しい中、ありがとうございました。今後のご活躍を期待しております。


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