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剣詩舞に関する財団の考え
−財団パンフレット「吟詠・剣舞・詩舞読本」より−
詩舞ガイド
詩の心を身体で表現する風格ある舞
誕生は奈良・平安時代
 「詩舞」とは、その文字が示すように、詩吟によって舞う舞踊であります。そうした意味から、最近では漢詩だけではなく、短歌(和歌・俳句等)や近代詩なども詩舞の伴奏音楽と考えられるようになりました。また、詩舞の舞い手も、剣舞系、日本舞踊系、民舞系と多彩で、振り付けの形態も複雑です。
 詩舞の起源は大変に古く、たとえば中国では三千年も前から詩を吟じ、それに振りをつけて舞ったといいます。また、漢代(約二千年前)には楽符という役所が作られ、多数の学者が動員されて広く天下の詩を集め、あるいは新しい楽符体の詩を作り、それをうたって舞う、いわゆる中国の古典舞踊がうまれました。それらのサンプルであった「霓裳羽衣舞」とか「烏夜啼舞」などの原文は今日まで残っています。
 一方、日本では、奈良・平安の時代、中国との交流が本格化するとともに、さまざまな中国文化も移入されました。舞楽などはその代表的なものです。また、わが国独特の「催馬楽」や「朗詠」も平安貴族社会で盛んになります。「朗詠」の素材をまとめた「和漢朗詠集」(藤原公任撰)」などは現代に伝えられています。
 この時代が日本の詩舞の起源と考えられます。その後一時、舞楽など、器楽による舞が優先します、詩の朗詠による舞は少なくなりますが、平安末期から鎌倉時代にかけて「延年の舞」や「田楽の舞」「猿楽」など、うたものによる舞が起こり、それらが「能楽」に大成されることになります。さらに江戸時代には出雲の阿国の風流舞(念仏踊り等)から出発した「歌舞伎踊り」が広まり、日本の舞踊の大きな流れを占めることになります。
 
伝統の心を生かす現代の舞
 このような日本の舞踊の流れの中で、現代の詩舞がいかなる位置から出発したかといいますと、これは剣舞と密接な関係があります。明治期に誕生した剣舞は大衆化の波にのり、そうした中で女性の剣舞家も多数出現するわけですが、一部では「女性が剣を振ってはあまりに興ざめである」との発想から刀の代わりに扇を用いて舞うことを考えられました。したがって、振り付けには剣舞に似た“気迫”がみられ、衣装は女性でも男仕立ての着付と袴を使用し、特に袴は金襴の布地を用いる等のパターンがしだいに定着してきました。
 しかし、冒頭にも述べましたように、最近の詩舞は、扱う吟題のレパートリーが広がるとともに、一部では剣舞の影響をうけた強いタッチの舞いという先入観がしだいにうすらぎ、それぞれの作品、吟詠の曲調を活かした振り付けが考案されるようになりました。これにはもちろん、日本の伝統芸能である舞楽や能、歌舞伎舞踊などのほかに、武芸の型などが取り入れられておりますが、歌舞伎舞踊に見られる“女形”の様式などがなじまないところに詩舞独自の風格が現われています。
 舞踊芸術の草分けとして出発した詩舞は、今でも詩の魂を身体で表現することに主体性が置かれていますから、ときには具体的に、ときには抽象的に詩の魂を緩急自在に表現することに大きな特色があります。
(協力・井川 健)
 
剣舞ガイド
武人の気迫をひめた舞道
基本動作は古武道にのっとる
 剣舞とは、吟詠に合わせて刀や扇を持って舞う舞踊のことであります。その振りには一般の舞踊とは異なった、古武道の型を尊重して工夫された独特の動作があり、また、武人としての気迫を込めるなど独特の格調があります。
 剣舞に影響を与えた剣術、居合術などの古武道には古来よりの刀法や礼法がありまして、それが剣舞の刀の差し方、抜き方、納め方、振りかぶり方、斬り方、突き方、構え方、足の踏み方、腰の据え方などに正しい動作を要求するところとなり、さらに今日では、そうした基本動作に芸術的な磨きがかかってすばらしい舞踊として発展しています。
 剣舞は大変古い時代から出発しています。奈良・平安時代の舞楽に「太平楽」など剣を持った舞の原型を見ることができますし、また、同じころ起こった神社の神楽(かぐら)にも「剣舞(つるぎまい)」が伝えられてきています。このほかにも江戸時代の「風流舞」とか郷土芸能の「剣舞(けんばい)」や「太刀踊り」など刀を扱った舞踊は各地に存在していました。しかし、これらの剣舞は、それぞれに異なった伴奏の音楽によって演じられていました。
 吟詠の伴奏による現代剣舞の誕生は、一般には幕末とされております。実際には明治維新以後に榊原鍵吉が始めたものというのが定説になっております。榊原鍵吉は幕末の動乱期を剣一筋に生きた剣士でありますが、一方、大変なアイデア・マンでありまして、武芸者たちの剣術試合の余興に、当時大衆が好んで吟じた勇壮な詩吟に振りを付けた「剣舞」を大衆の前で披露しました。これがきっかけとなって吟詠と提携した剣舞を試みる人が次々と現われました。
 
伝統を重んじ、芸の向上へ
 まず明治二十三年に、この剣舞を芸道としてまとめたのが鹿児島出身の日比野正吉(初代雷風)と高知出身の長宗我部親(林馬)の二人でした。この二人はその後、明治二十七、八年の日清戦争の頃に、さらに意欲的な活動を展開します。日比野雷風は「神刀流」としてその芸風をまとめ、長宗我部林馬も「土佐派弥生流」として大きな進展をみせます。
 この両派の発展が剣舞隆盛の導火線となって至心流、金房流、敷島流、さらに武正流、神刀無念流などの流派を生む結果となっています。
 しかし、剣舞はなんといいましても日本古来の芸道であります。世の中が落ちつくに従って再び盛んになっていきます。吟詠が音楽性を主張しながら舞台芸術としての大衆化路線を歩み始めたのに対応して、剣舞もしだいに舞台芸術としての形態をととのえ、先行する能や日本舞踊の技巧を参考にしながら、その芸術性の追求と実現に真剣に取り組むようになりました。最近では当財団が主催する毎年秋の日本武道館における「全国吟剣詩舞道大会」や「全国剣詩舞コンクール」で示されるすばらしい剣舞の数々が、現代剣舞の向上に拍車をかけておりまして、その発展は目ざましいものがあります。そして、この勢いは、今後ますます強くなっていくと信じます。
 
日本における舞の歴史
―――剣舞・詩舞の位置づけ
 
 我が国の伝統芸術である“剣舞”“詩舞”が日本古来の舞踊の歴史の上で如何なる位置にあるか、又如何なる影響を受けたであろうか。上世、大陸から伝えられたとする古代の芸能から、現代までの流れを分析する。
 
日本の舞の歴史
 


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