日本財団 図書館


訴追
横浜国立大学 田中利幸
1 刑事裁判権・執行管轄権の拡張と訴追の拡張
 訴追にいたるまでの追跡や拿捕などの手続については、別稿の対象とするところであるので、本稿は、訴追そのものを対象とする。訴追は、刑事裁判権と適用される実体法・手続法の存在を前提して、それに基づく刑事裁判を求める手続を指すが、本稿は、訴追をする前提としての刑事裁判権について論じることとする。
 このことについての最近の問題を論じるにあたっては、最近の海洋を巡るわが国の刑事裁判権の拡張が念頭におかれなければならない。刑事裁判権の拡張は執行の拡張とそのひとつの行きつく先である訴追の拡張を導くからである。執行はもちろん刑事裁判権の行使のためにだけ行なわれるのではない。他に捜査共助のために、あるいは海上警察権として行われる場合もある。しかし、本稿の対象である訴追との関係では、裁判権行使のための執行に根拠をあたえる刑事裁判権の拡張という視点が重要である。
 この点については、まず次の二つの点を指摘しておく必要がある。第一は、刑法改正により刑法第3条の2が追加されたことである。これは、「国民以外の者の国外犯」という表題で、国際法上言い慣れた用語では消極的属人主義、刑法的にはむしろ国民保護主義と称される原則を規定したものである。この立法は、TAJIMA号事件をひとつの契機としている。その意味でこの刑法改正には海洋の問題が色濃く影を落としているということもできる。しかし、この国民保護主義規定の追加は、TAJIMA号事件あるいは同種の事件を解決するために行われたわけではない。むしろ、外国特に外国領土内でわが国の国民が被害にあう事態が増大してきていたという事柄を背景にして、その対処のための立法の契機を探っていたときに、TAJIMA号事件が発生したというのが実態である。そのためもあり、TAJIMA号事件で認識された問題の解決と観点からみたときには、解決の仕方として、船内秩序の維持を中心とするアプローチの仕方と邦人の保護を中心とするアプローチの仕方の両方がありえたが、結局、邦人保護アプローチでもって作業が進み刑法改正が行われることになったということである。その結果、日本企業の運航する便宜地籍船内で加害者・被害者とも外国人である場合は、この規定の適用はなく、TAJIMA号で認識された問題の一部はなお未解決のまま残されている。しかし、限定的ではあってもその限度で、刑事裁判権の拡張がなされていることが、ここでは重要である。
 刑事裁判権の拡張のもうひとつの点は、SUA条約改正案の3条の2において、住民を脅迫する目的、あるいは政府・国際機関に何らかの行為を行なわせあるいは行なわせないよう強要する目的で、爆発性物質、放射性物質、または禁止兵器を使用あるいは排出すること、および、それらの物質を輸送することそのものを条約の対象とし犯罪として規定して、刑事裁判権の拡張を行おうとしていることである。SUA条約は、被疑者の所在地国に引き渡さない場合には刑事裁判権の設定を義務づけていることから、刑事裁判権の拡張がなされることになる。
 このように刑事裁判権の範囲が拡張されると、それによって執行の範囲が広がり、訴追される範囲が広がってくる。
 訴追する範囲が広がる方式としては、このように刑法の適用範囲を広げる方法と犯罪化の方法が考えられ、その方式がこれまで一般的であったが、しかしそれだけが必ずしも唯一の方法ではない。もうひとつの方法が、執行管轄権の拡張に基づく訴追の可能性の拡張ということである。
 改正SOLAS条約に基づいてわが国で立法された、国際航海船舶および国際港湾施設の確保に関する法律は、新たな手続そのものを規定することによって、執行の具体的範囲を拡張している。また、SUA条約改正案の8条の2は、一方で旗国に一定の確認と執行を促すことを定めるという従来の旗国主義を前提にした規定を置きつつ、他方、旗国以外の締約執行国が旗国に当該船舶に対する執行についての一種の承認を得るかたちで執行することをできるようにする体制を定めて、旗国以外の執行管轄権を拡大している。
 このように執行が拡大すると、それは、処罰される事実の発見の機会の拡大、そして訴追の可能性の拡張に結びついてくる。
 
2 管轄権の競合と調整
 1で述べたように訴追の可能性が拡張すると、刑事裁判権を行使する可能性のある国が増加する。例えば、消極的属人主義による刑事裁判権の拡張が行われると、それまでの属地主義あるいは旗国主義、積極的属人主義に基づく刑事裁判権を行使しようとする国のほかに、消極的属人主義を根拠として刑事管轄権の行使を主張する国が加わってくる。そうすると、それぞれの原理に基づく裁判権の間で競合が生じる。すると、各国の刑事裁判権が競合したときにどのようにそれを調整するかという問題が生じてくる。
 
(1)調整方式1 SUA条約
 刑事裁判権の調整の方式については、現在次のような4つの方式があるように見える。その第一は、SUA条約のようなテロ関連の条約の多くが採る方式である。普遍的管轄権を規定したものと一般的に理解されているSUA条約6条4項を見ると、ここでは所在地国が他の管轄権を有する国との関係でその管轄が事実上優先するように規定されている、すなわち、この所在地国には、裁判権の設定に関する当該条約6条2項に規定されている、管轄権を有する利害関係国との関係で、所在地国がこれらに当たらない場合であったとしても事実上の優先が生じる。
 次は、所在地国が自ら処罰はしないで引き渡すということを選択した場合、裁判権が競合している引渡し先の国々の間ではどのような優劣になるのかということが問題となる。
 この議論の前提は、引渡しは基本的には実施国の裁量に委ねられているということを出発点としながら、所在地国の優先の根拠を条約が規制しようとした犯罪が確実に処罰されることを確保するという点にもとめると、適切な刑事裁判権の行使が確実と思料される国の選択は最終的には実施国の判断に委ねられるとしても、少なくともその判断の一資料として、場合によっては優劣を示すガイドラインとしての内容を条約から読み取っていくのが、国際刑事法の今後の進展にとって必要ではないかという考えに基づくものである。なぜなら、引渡しか訴追かという命題は、処罰の確保を目的としているのに、所在地国が自ら訴追もせずしかも刑事裁判権の行使が危うい関係国に友好国であることなどの理由から引き渡すのも全く自由裁量で条約上の義務は尽くされたとしたのでは、制度趣旨を没却するからである。そこで、その裁量の制限は、規制対象とされた犯罪の性質、特に法益が国際社会に固有のものであるか、国際社会の利益である面が国内的な法益という面に優先する場合に、機能させていく余地を考えようとするものである。
 このような姿勢に立つと、引き渡し先について自ずから何らかの調整が考えられる。そこでは、まず第1番目には裁判権の設定を義務づけられている国、SUA条約では、6条1項の国と、権能として認められている2項の国との間にその関係を考えることができる。一義的には裁判権設定義務国の方に優先があり、権能国の方はむしろそうではないというように考えていくのがひとつの考え方である。
 次に、管轄権設定義務国として規定されている、属地主義、旗国主義、積極的属人主義を根拠とする国々の間ではどうかということが問題となるが、この点については、多くの国が属地主義を管轄に関する第一の基本原理としていることから、属地主義、旗国主義を第一義的に考えていくというところに落ち着かせるのがおそらく適当であろう。しかし、国によっては積極的属人主義を第一義的には考えている国もなくはないので、なお集積が必要であるかもしれない。
 権能国の間では、消極的属人主義、国家保護主義がそれぞれ問題となるが、罪の種類によって多くの場合どちらかに分類できるかもしれない。しかし、SUA条約3条の2などでも、人質の国籍国以外の国が一定の行為を強制されるというようなことも起こりえるので、問題が生じないわけではない。この場合の実行例のひとつは、ロッカビー事件である。
 この事件は、1988年に英国の上空のロッカビーというところで米国籍の航空機が爆破されて、被疑者はリビア人であると理解された事件である。その経緯は、まず、属地国であるイギリスと旗国であるアメリカがリビア政府に被疑者の引渡しを請求したが、リビア政府は自国民の引渡しを拒絶した。その後安全保障理事会がリビアに対して英米両国の要請に応じるように促す決議をしたが、1992年3月、リビアはICJに提訴し、そのときリビアは、自国はモントリオール条約を遵守しており、所在地国であり積極的属人主義国であるから、管轄について優先を事実上有していると主張した。それに対して安全保障理事会は経済制裁の決議を行ったが、結局ICJはその安保理決議の効力、およびリビアの主張するモントリオール条約との関係も、本案審理で議論されるべきであると述べ、ICJの管轄を認める判断を示した。そこで、アメリカおよびイギリスは、リビアとオランダとの間で仲裁裁判について合意をし、属地国であるイギリス・スコットランドの裁判官によってスコットランド法に基づいて、場所はオランダのヘーグで裁判をするという決着による解決を行った。そのことにより、事実上属地国へ係ったということになった。しかし、この事件の解決には政治的な内容が多分にふくまれているので、裁判権の競合の調整の問題として捉えていくにはもうしばらくいろいろな例が蓄積されることが必要であろう。
 この点と関連して、SUA条約の改正案は新たな問題を提示している。すなわち、SUA条約では、8条の2に規定されているとおり、旗国以外の締約国の執行が可能になるが、この場合、旗国以外の執行国による執行によって犯罪事実が明らかになると、その執行国が結局被疑者の身柄を確保しているという状況が生じてくる。すると、ここでは執行国がいわば所在地国化するということが現象として生じてくる。そうすると、SUA条約改正案のもっている意味は、執行から処罰まで、広く世界の海域で執行の意欲と能力をもつ国の事実上の支配が進み、旗国主義のもつ意味が著しく変質しその価値が著しく減少するという面も有していて、その意味は、国際刑事法にとどまらず、海洋に関する国際法にとってかなり大きいと思われる。
 
(2)調整方式2 UNCLOS(汚染)
 方式の二つ目は国連海洋法条約の228条に規定されている。228条は汚染に対する手続を定めているもののひとつであるが、そこでは、「手続を開始する国の領海を越える水域における外国船舶による船舶からの汚染の防止、軽減及び規制に関する適用のある当該国の法令又は国際的な規則及び基準に対する違反について罰を科するための手続は、最初の手続の開始の日から六箇月以内に旗国が同一の犯罪事実について罰を科するための手続をとる場合には、停止する」と、まず規定し、次いで、「当該旗国が開始した手続が完了した場合には、停止されていた手続は、終了する」と定めている。
 すなわち、沿岸国には手続との関係で被疑者が所在しているが、それと旗国との関係では旗国が優先をするということをまず定めている。しかしそれに続いて、但し書きで、「ただし、その手続が沿岸国に対する著しい損害に係る事件に関するものであるである場合又は当該旗国が自国の船舶による違反について適用のある国際的な規則及び基準を有効に執行する義務を履行してないことが繰り返されている場合は、この限りでない」として、その優先についての逆転を認めている。
 そこでは二つの事柄が掲げられている。著しい損害事案である場合か、そうではなくて旗国の国際的義務不履行がある場合であるかの、二つである。とくに後者の問題が、以降管轄を考える場合には有用になると思われる。
 
(3)調整方式3 船内犯罪
 方式の三つ目は、船内犯罪と呼ばれる一般的な犯罪に関するもので、それを規律している一般国際法の考え方である。それは、属地主義、属人主義が基本的に優先し、積極的属人主義、消極的属人主義というようなものは、とくに消極的属人主義は、劣位におかれるということである。
 その実行例としては、1988年のSUA条約以前である1985年に発生したアキレ・ラウロ号事件がある。そこでは、旗国であって所在地国であるイタリアと消極的属人主義国であったアメリカとの間で引き渡し要求について争いが生じ、事実として決着した内容は、旗国が優先して裁判権を行使したというものである。この事件を契機に、1988年のSUA条約が締結された。すなわち、条約以前はこの種の犯罪類型は、海賊にもあたらなかったことから、国際法上はテロ関連の国際犯罪として確立してはいなかったと考えられ、その意味で、一般的な犯罪として分類される余地の残されたものであったと理解することも許されよう。そうでなくても、一般犯罪と比較してより国際社会に脅威をもたらす犯罪類型においても、旗国主義が事実上優位していたことは、一般犯罪においては一層消極的属人主義の劣位を示すものであろう。
 
(4)調整方式4 ICC
 四つ目の方式は、海に関するものではないが、国際刑事裁判所(ICC)規程に掲げているものである。その17条は、利害関係国は当該事項の管轄権につき国内法の存在する限りICCの対象とした犯罪について管轄権を有するということと、ICCの管轄権とがどういう関係に立つのかを規定している。その1項は、前文の第10項および第1条にICCの管轄権が国内の管轄権に対して補完的なものであると定めていることを前提にした上で、それに基づいて、ICCが事件を受理できない場合として、(a)〜(d)を掲げている。
 「(a)事件が、管轄権を有する国によって現に捜査又は訴追がなされている場合。但し、その国が捜査又は訴追を真正に行う意図又は能力を欠く場合はこの限りでない。
 (b)事件が、管轄権を有する国によって捜査され、訴追しないことを決定した場合。但し、その決定が、当該国の真正に訴追する意図や能力の欠如から生じたものである場合は、この限りでない。
 (c)関係者が告発の対象となっている行為について既に裁判を受けており、第20条3に基づき裁判所による裁判が許されない場合
 (d)事件が裁判所によるそれ以上の行動を正当化するのに十分な重要性を有していない場合」
 とくに(a)、(b)、(c)は、先に着手した利害関係国がICCに基本的に優先することを定めたものである。しかしながら、(a)の但し書きのところでは、当該国が真摯に捜査、訴追する意図または能力を有しない場合にはこの限りではないと規定しており、当該国の訴追の意図または能力が欠如する場合には、利害関係国とICCとの管轄の優劣が逆転をすることを示している。この方法は、(2)の調整方式2において国連海洋法条約の採用した、旗国が国際義務を十分に履行していない場合には沿岸国との優劣が逆転するという定め方と共通するということに注目すべきであろう。


前ページ 目次へ 次ページ





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION