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2004年度 仏独出張調査報告 参考資料
青木原稿 <都市問題 第91巻第10号 平成12年(2000年)10月 掲載>
 
フランスの外形標準課税
はじめに
 国際比較は興味深い。しかし、正しく比較することはきわめて難しく、時には危険ですらある。本稿の課題は、フランスの外形標準課税を考察し、わが国の議論に何らかの示唆を与えることであるが、執筆にあたって、この国際比較の難しさを実感している。
 フランスの外形標準を正しく伝えるには、外形標準のみならず、地方税制や行財政システム、さらにはフランスの伝統や社会・経済情勢にまで言及しなければならない。しかし紙数の関係から、それは完全に行うのは無理なことだからである。
 例えば、フランスで東京都のような特定業種への外形課税がありうるのかという問題提起をしたとしよう。その場合、課税標準ではなく、むしろ税率や減免税を論じなければならない。フランスでは、地方税の税率を地方がほぼ自由に決定できるし、税の減免も地方が任意で選択できるため、東京都のように課税標準に訴える必要はないのである。
 このように外形標準課税は、それを取り巻く環境や基礎条件とインタラクティブな関係をもっており、その環境・条件はわが国と大きく異なっている。したがって、両国の制度を比較するには、慎重な注意が求められる。この点を十分念頭に置いた上で、以下、フランスの外形標準課税をみてゆくことにしよう。フランスの動向から、わが国の参考になる事実も多いであろう。
 
1 フランスの外形標準課税と職業税
 外形標準課税といえば、通常は地方税が想定される。ただしフランスでは、国税にも外形標準による税が存在する。例えば、金融機関税(Contribution annuelle des insititutions financieres)であり、ちょうど東京都の銀行等への外形標準課税に近い存在といえるかもしれない。金融機関税は、その名称が示すように銀行・保険会社・商工ローン・不動産ローン会社など金融機関に課される。課税標準は、前年度の人件費・物件費・旅費・資産減価償却費などの合計であり、税率は1%である。
 あるいは、給与税(Taxe sur les salaires)という税も、一種の外形標準である。同税は、付加価値税を非課税とされる法人・個人に対して課税され、事業主や経営幹部の給与(現物報酬をふくむ)を課税標準としているのである(1)
 そうはいっても、これらが例外的な存在であり、フランスにおいても、外形標準の中心は地方税にあることに間違いない。フランス地方税において外形標準で事業に課されるのは、職業税(Taxe professionnelle)である。
 フランスにおける職業税の存在は巨大である。職業税は、第1表に示されているように、地方税収の37.4%をもたらしており、地方の直接税に限れば、その割合は41.6%に達する(2)。また国税法人税と比べても、法人税収の77.1%にも相当する税収を上げているのである。
 職業税における外形標準がどのようなものか理解するには、職業税の沿革と外形標準を巡る議論の推移を概観するのがよいだろう。
 
第1表、地方直接税の概要と税収構成(1997年度)
納税者 課税標準の概要 税収構成比(1997年度)
対地方税収 対地方直接税
職業税 法人・個人事業者 固定資産・債却遺産
支払給与(もしくは事業収入)
44.6% 37.4%
住宅税 居住者 居住用建物の賃貸価格 19.3% 16.2%
既建築地税 所有者 不動産賃貸価格 23.2% 19.5%
未建築地税 所有者 不動産賃貸価格 1.5% 1.3%
(資料)フランス公務員・行政改革省
 
2 営業税と営業税改革
 職業税は、1975年の法律で誕生したが、正確にいえば営業税(Patente)の生まれ変わりである。75年改革で課税標準は現代化されたが、税の性格はもとより、課税標準の範囲・内容など、先代の伝統はおおむね引き継がれたのである。
 営業税は、18世紀末にまで起源の遡る古い税であり、もともとは「ショバ代」的、もしくは営業免許税的な性格をもつ税であった。創設後100年以上にわたり国税であり、地方税は国税への付加税として設定されていたが、1917年税制改正により国税が廃止され、付加税部分のみが存続することとなったのである。
 本稿のテーマである課税標準については、(1)従業員(労働者)数、(2)固定資産の賃貸価格、(3)営業用設備・道具(償却資産)の賃貸価格が採用されていた。これら外形標準は、当時の未熟な徴税技術でも把握が容易、脱税が困難で、かつ課税標準がどの地方団体に属するのか確定しやすかった。ただし、税の算定そのものは、著しく複雑であった。
 課税標準の評価は、1,600以上にも分類される職業別に行われていたし、税額の算定も、従業員数に基づく部分と資産の賃貸価格に基づく部分に二分して行われていた。しかも、このうち前者の部分は、納税事業の所在するコミューン(フランスの基礎的地方団体)の人口と、事業活動の性格に応じて調整(課税標準の増減)が行われていためである。
 この調整は、地方団体の多様性や各職業の特殊性を考慮する目的で行われていたのだろうが、システムに混乱をもたらす危険性は否定できない。実際、複雑な税額算定は、課税標準とされる資産の評価が数十年にもわたって改訂(再評価)されなかったこともあって、職業間、地方団体間での不公平感を増大させずにはおかなかった。しかも、特に第2次大戦後、営業税の税負担が高まりを続けたため、営業税に対する批判はますます強まっていったのである。
 かくして1950年代後半、営業税は、他の地方直接税とともに改革が運命づけられた。地方直接税の改革を定めたのは、1959年1月7日オルドナンス(政令)である。ただし同オルドナンスは、改革のフレームワークを定めたものにとどまり、内容的にも斬新さを欠いていた。
 営業税については、(1)職業税へ改革すること、(2)「安定的な指標によって見積もられる」営業資産もしくは事業活動に対する課税であること、(3)課税標準は、「(1)職業の性格、(2)固定資産及び償却資産(道具)の賃貸価格、(3)一定の生産手段の存在、(4)労働者ないし従業員の数、(5)事業の生産価値を表すその他の要素、ただし売上高と利潤を除く」から構成されること、(4)課税標準の構成比率は、職業の性質別、コミューンの人口別に変化を付けること、(5)構成比率は、徴税当局代表、地方議員、職業代表により構成される職業税委員会によって決定されること、が定められたにすぎなかったのである。
 この規定によって、いったい営業税のどこが改革されるのだろうか。革新性の乏しさは、当時なお、地方税改革の喫緊性が乏しかったことのあらわれなのかもしれない。地方財政の規模も小さく、地方税負担も、高まり続けたとはいえ、その後の高進とは比べようもない程度であった。実際、その後10数年間、改革の動きは途絶え、旧態然の地方税が課税され続けたのである。
 この改革の停滞については、改革の緊要度の低さ以外に、たしかに技術的な理由も存在した。地方直接税は、先の第1表からも分かるように、基本的に固定資産を課税標準としているため、改革には固定資産の再評価が必要とされ、その再評価作業に膨大な時間がかかったという理由である。しかしいずれにしても、1970年代を迎えるまで、改革の動きは表舞台から消えることとなったのである。
 
3 職業税の誕生と課税標準の選択
 1970年代に入り、ようやく営業税改革の機が熟した。課税標準を巡る議論では、従来の外形標準、もしくはその現代化という改革方針の他に、外形標準以外の課税標準を導入しようとのアイディアも提示された。具体的には、(1)取引高を課税標準とする、(2)国税の付加価値税の税率を引き上げ、地方へ交付する、(3)事業利潤を課税標準とする、などである。
 しかし、これらのすべてに対して、政府より否定的な見解が表明された。まず、即座に却下されたのは(1)と(2)である。(1)については、かつて存在していた地方取引高税(Taxe locale sur le chiffre d'affaires)の復活に相当し、税の累積する取引高税は、もはやありえない、また(2)については、EUの税制調和、つまりEU加盟国間での付加価値税率の接近という制約から、付加価値税の税率引き上げは不可能との結論である。残る(3)についても、地方団体間での課税標準の分割、つまり課税標準がどの団体に帰属するのか確定するのが難しいこと、利潤は景気変動に応じて大幅に変動するので、地方団体にとって安定的な税源とならないことという、2つの難点が指摘された。
 しかし、この利潤という課税標準は、外形標準と組み合わされることによって、改革法案に取り入れられることになった。1974年1月25日の営業税改革・第1次法案は、(1)事業純益、(2)支払給与、(3)固定資産・償却資産の賃貸価格の3つを、職業税の課税標準と定めていたのである。
 このうち(1)の事業純益は、法人の場合は国税法人税の課税標準、個人事業の場合はやはり国税の所得税の課税標準がそのまま用いられることになっていた(使われるのは前年度の数値)。ただし、事業主・経営陣の給与は課税標準に算入され、欠損繰越・繰戻は認められないという点が特別であった。(2)の支払給与は、給与総額の半分を課税標準に参入するとされていたが、この50%という数値は、労働集約型産業を保護するために、付加価値に占める人件費の割合を考慮して設定されたようである。最後(3)の資産賃貸価格は、不動産賃貸価格の推移と取得原価から見積もるとされていた。
 この第1次法案は、大統領の急死など政治的混乱から国会審議されることなく終わったが、国会の空転を横目に、むしろ職業団体(商工会議所など)におけるリアクションが活発化した。改革による税負担の変動をシミュレートし、事業純益を課税標準としたために小規模事業者が負担増となると騒ぎ立てたのである。しかも政府自身、すでに明らかにしたように、地方団体間の課税標準分割が難しいこと、景気変動に弱く不安定な税源であることを認めていた。かくして第2次法案では、事業純益は姿を消すことになった。
 第2次法案における課税標準は、(1)支払給与(給与総額の25%)、(2)固定資産・償却資産の賃貸価格である。この第2次法案は、1975年7月29日法として成立したが、国会審議の過程で、2つの修正が加えられることになった。一つは、労働集約型産業の税負担に配慮して、支払給与として参入される給与総額の割合が20%に引き下げられたことである。いま一つは、従業員数の少ない自由業については、事業収入という課税標準が導入されたことである。弁護士・会計士・流通仲介業者など自由業は、生産設備を必要としないため、従業員が少ない場合には、職業税の課税標準はわずかで、税負担が余りに低くなってしまう。そこで従業員数が5人未満の自由業については、支払給与ではなく、事業収入が課税標準とされることになったのである。
 かくして、職業税は誕生した。ただし、営業税との相違は大きいとはいえない。職業税の課税標準をいま一度整理すれば、(1)支払給与(給与総額の20%)、ただし自由業については事業収入(収入額の1/8)、(2)事業用固定資産の賃貸価格(地方不動産税(3)の課税標準を用いる)、及び償却資産の賃貸価格(取得価格の16%)なのである。営業税の改革は、複雑怪奇なシステムを簡素化することには成功したが、要した年月の長さに反して、根本的な改革をもたらすには至らなかったと評価すべきであろう。


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