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図44
 
明治20年(1887)の絵馬籐筆の難船絵馬 福浦の金刀比羅神社蔵
 
 こうした驚異的な絵馬籐の進出の前にほぼ同時期にスタートした新興派の吉川派も対抗できず、明治初年には姿を消してしまい、吉村派と同系の平井派がわずかに残った。これは吉村派が明治初年から船体の版画化に転向するとともに、絵馬籐にはないリアルな作品を売り出していたからにほかならない。吉村派の船体描写は、既述のように大和屋派のよさを継承しているふしもあり、それが一部の人々に受け入れられる要素だったような気がする。げんに明治時代の吉村派と絵馬籐の作品を比べてみると、それがはっきりする(図48〜51)。
 ただ、吉村重助は自信作以外に落款を入れなかったらしく、大半は無落款物で、明治時代でも落款入りはわずか数点を数えるにすぎない。たとえば、明治一九年(一八八六)に河野村(福井県中条郡)の八幡(やはた)神社に奉納された絵馬(図52)はその一つである。船乗りは、住吉・伊勢・金毘羅などの多様な神仏ばかりでなく、船体に船玉を納めるだけに、船玉神にも航海の安全を祈願した。この絵馬は左上に住吉神を具現した古武士を、右上に船玉神を具現した女神を描いていて他に類例がない。面白いのは、明治三〇年頃に同じ河野村の磯前神社に奉納された大絵馬(図53)である。落款にわざわざ「絵馬商 吉村重助画」と入れているのは、かつての絵馬師という気概が明治時代の半ばともなると消えてしまったということなのだろうか。なお、落款物にもかかわらず、いずれの絵馬にもなぜか奉納者が明記されていない。
 
図45
 
明治23年(1890)の絵馬籐筆のブリガンチンの絵馬 河野村の磯前神社蔵
 
図46
 
明治15年(1882)の絵馬籐派のイサバ船の絵馬 引田町の山王宮蔵
 
図47
 
明治22年(1889)の絵馬籐筆のダンベイ船の絵馬 周参見町の王子神社蔵







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