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福祉移動サービスの歴史と課題
2004年8月27日
 
  施策や法制度 全国の動き
70年代後半 「新宿福祉の家」矢田茂氏の主導で初めてリフト付き車両が開発される。
78年 日本テレビが「24時間テレビ」で福祉車両の寄贈を始める。
ボランティア団体による福祉車両運行スタート(東京都内)
80年代 厚生省;施策に外出支援策を盛り込む。 全国各地の「社会福祉協議会」がリフト付車両で移送サービスを始める。
タクシー業界もリフト付車両でサービスを事業化。
86年 「東京ハンディキャブ連絡会」設立。
88年 東京都地域福祉振興基金が助成開始。 「移送サービスを考えるつどい(現移送サービス研究協議会)」開催。以後、毎年開催(東京都社協主導)。
88年 道路運送法4条事業に「患者等輸送限定」が導入される。
89年 運輸省;全国2ヵ所でSTS実証実験を実施。
90年代    
93年 運輸省;白ナンバーによる移動サービスは厳密には違法行為としながらも黙認。 「日本財団」がボランティア団体に福祉車の寄贈を始める。
全国各地に活動団体が増加。
98年
12月
NPO法施行。 「移動サービス市民活動全国ネットワーク(全国移動ネット)」設立。
99年
3月
この頃から介護サービスを付加したタクシーが各地に登場。
2000年
4月
11月
介護保険制度が始まる。
交通バリアフリー法施行。
介護保険の訪問介護事業者による送迎が行われ始める。
2001年
6月
「患者等輸送限定」免許、軽福祉タクシーに拡大される
02年
2月
改正道路運送法施行。
事業免許が許可制に。
7月 国交省:NPOの有償運送ガイドライン作成を公表。
9月 札幌でSTS実験実施。 宮城県のNPO法人が白タク容疑で家宅捜索を受ける。
10月 世田谷区提案の道路運送法80条1項の規制改革提案が構造改革特区制度に盛り込まれる。
03年
3月
国交省;特区のためのガイドラインを通達。
4月 特区の認定開始。
介護保険に乗降介助制度が新設される。
大阪枚方市、世田谷区、岡山県、長野県小海町等13自治体(うち3自治体は過疎地特区)が年度末までに特区認定される。
6月
8月
「日本福祉のまちづくり学会」等主催「構造改革特区学習会」(70人)
9月
10月
「福祉交通支援センター」主催「移動サービスシンポジウム」(150人)
11月 内閣府:規制改革要望を全国から募集。 全国各地のNPOから車両の限定等、特区ガイドラインに対する規制改革要望相次ぐ。
12月 全国各地のNPO等が国交省に要望書を提出。
東京都等、厚労省と国交省へ意見書提出。
意見書提出。
2004年
1月
全国移動ネット主催「緊急フォーラム」開催(200名)。
2月 国交省&厚労省:介護輸送に関する意見募集を実施。 関西STS連絡会も大阪でフォーラム開催(150人)。
3月 国交省:全国移動非営利団体に摘要するガイドラインを公表。
4月 内閣府;セダン型特区を新設。 旧特区中7自治体がセダン型特区に移行。
6月 「内開府規制改革・民間解放推進室」、規制改革要望を受付。 愛知を中心に、セダン型への規制改革要望書提出。
高崎市がセダン型特区認定。
7月 運営協議会の設置は全国で難航。
8月 国交省:セダン型全国化に対する内閣府の再検討要請に「セダン型は乗降に問題がある等」と反論。 全国各地で都道府県・市区町村に対し、NPOが運営協議会設置の要望書を提出(4月〜)。
9月 神奈川県等、一部地域で運営協議会設置の準備が始まる。
9月末現在、運営協議会が設置された地域は特区を含む約20ヶ所。
10月 セダン型特区に神奈川県と東京都板橋区が認定申請。
*「かながわ福祉移動サービスネットワーク」の協力で作成
 
利用者の声
かながわ福祉移動サービスネットワーク
2004年8月
はじめに
 ある利用者が「私は生きていると感じるようになった」と突然言われ、最初は何のことか分かりませんでした。病院では車椅子を押すなど介助が必要な方で、福祉移動サービスを利用する前は、老いた夫に付添われてタクシーで通院しておられました。タクシーで病院へ直行し、終わればそのまま帰宅。月に1〜2度の外出はそれだけで終わっていました。いまは、行きたいところへ連れて行ってもらえる。桜の季節には花見に行ったり、入院中の友人の見舞に行ったり、買物があれば自分で選ぶこともできるようになりました。「あの頃は生きているのかどうか分からなかった。いまは生きているという実感があるのよね」ということでした。私たちにとっては、役に立っていることが実感できてうれしい言葉でした。
 かながわ福祉移動サービスネットワークは、日々現場で活動をする中で、このような利用者の声を拾いました。また、ケアー者が日々利用者と接している中で感じてきた思いやコーディネートの苦労などを集めました。このたび、「福祉移動サービスの事例集」としてまとめました。数千人いる会員のほんの一部の事例ではありますが、非営利市民による福祉移動サービスの活動が、移動困難者の移動の権利を得ることができるための必要不可欠な活動であることをご理解いただければ幸いです。
 
1 福祉車の移動サービスを利用
車椅子で生活している女性
 週に1回、ホームヘルパーに買い物をお願いしていましたが、女性ですので商品を自分の目で見て手でさわって確かめてから買いたいという希望で、福祉移動サービスを利用しました。
 広いフロアーは車椅子に乗り、車椅子とカートの2つを押してもらいながら時間を気にしないで買い物できるのがなによりうれしいです。通院の帰りがけにお気に入りの花屋、パン屋、クリーニング屋、郵便局など何ヶ所も立ち寄ってくれるので時間の無駄がなくとても便利で助かります。
 通院以外は家にひきこもりがちだったのですが、お世話になるようになって、「季節」というものを感じるようになりました。春には千本桜の満開のさくら見物をして、夫の好物だった福田まんじゅうを買ってご仏壇にお供えすることができて、ほんとうに楽しかったです。
 
念願の野球見物に付き添ったケアー者
 脳性まひで、施設入所の60才代の男性。長年の野球ファンで、この春、生まれてはじめての野球観戦が実現しました。車椅子用の座席を施設の職員が取ってくれたので、当日は福祉車にお乗せし野球場まで行きました。初めて見る広い野球場にまず感激。ごひいきのチームが大勝してさらにご機嫌。途中で雨が降ってきて寒くなったので、帰ろうかと促しても、どうしても帰りたくないと雨具を着て最後まで観戦しました。帰りにはレストランで食事。次はいつ行けるかと何度も聞いていました。行く前に利用者とあって顔なじみになり、駐車場もあらかじめ電話で野球場に頼んでおいたり、ひざかけやクッションなど用意したり、周到な準備をしておいたので、長時間ケアーが無事できました。
 
福祉車利用の96才の男性のケアー
 ご家族によれば、1年ほど前に急に悪寒がすると言って寝込んだら、それっきり歩けなくなったとのこと。寝室は2階にあり、さらに玄関から路上まで1階分に相当する階段があるため、乗降前後は、運転会員の息子さんを動員して3人体制で車椅子のまま抱えています。娘さんと同居ですが、腰を痛めていて手伝えません。
 以下は、数ヶ月ぶりに会った若い女性のケアー者からの報告。
 「ベットから車椅子に移乗する際、手すりを持ってではあるが、お立ちになりました。娘さんによると要介護4から要介護3になられたとか。皆さん、弱っていかれる方が多いなかうれしいですね。車中でも、集音器なるものを巾着袋から出して、一生懸命お話ししてくださいました(関東大震災の話から始まり、難しいインカ帝国の話まで)。言葉ではなく、話の内容についていけない私はニコニコしながら微笑むしかなくて、『Mさんごめんなさい・・・』という感じでした。」







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