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(5)事業の成果
 今年度はイラク・バグダッドおよび自衛隊が人道復興支援活動を続けるサマーワから宗教家や教育者など15名を招聘したほか、パレスチナから人権運動活動家1名を招聘した。
1)イラク人招聘
 サマーワからのイラク人招聘は、反米武装勢力によるテロ活動が頻発しており、バグダッド経由では危険すぎることから、クウェート経由で来日したため、査証の問題やロジスティクスで苦労したが、招聘されたイラク人にとって貴重な体験となったばかりでなく、日本人にとっても、イラク情勢に関する生の情報を得るまたとない機会となった。
 というのは、サマーワで活動する自衛隊の安全について、国内では政府、国会はいうまでもなく、マスコミでも議論の的となっていた時期だけに、今回の招聘では、宗教指導者、医者、教育者を含むサマーワ住民から、直接、自衛隊の活動に対する意見を聞くことができたのは大きな成果だった。
 中でも、第1回目招聘で来日したシーア派僧侶2名は、マスコミだけでなく、一般の日本人からも大きな注目を浴びた。というのは、イラク社会ではシスターニ師やサドル師など宗教指導者が果たす役割が非常に大きいことは日本でも知られているが、日本人がそのような宗教指導者に直接触れる機会は極めて少ないためである。
 その意味で、日本政府は医師や技術者などを研修目的で招聘することはできても、特定の宗派の宗教指導者は招聘できないから、宗教指導者を招くという当財団の狙いは的を射たものであった。
 第1回招聘で来日したイラク人は、官邸に小泉総理を訪ねたほか、石破防衛庁長官(当時)、小池環境大臣、逢沢外務副大臣などを表敬訪問した。これらの訪問ではイラク人たちは口をそろえてサマーワ住民が自衛隊の活動に感謝していることを伝え、撤退どころか増派を願い出るほどの評価を披露した。さらに記者会見や意見交換会などの場においても、イラク人たちは同様の謝意を表明するとともに、サマーワ住民に歓迎され支持されている自衛隊が安全であることを強調した。
 さらに第2回招聘で来日したイラク人も、小泉総理、小池大臣を表敬訪問したが、この回は女性中心のグループだったため、政治の話より、社会問題、教育問題、女性問題などが話題の中心となった。いずれの招聘においても、女性には特別のプログラムを用意して、日本の女性が教育や医療の現場で活躍する姿をみてもらった他、伝統的には男性の職業とみなされている船長、クレーン操縦士、白バイ警察官、ジャーナリストなどの日本人女性との交流を行った。
 これらの交流を通して、女性に限らず日本人全体が勤勉で礼儀正しく、誠実な国民であることに、イラク人たちが大きな感銘を受けたことは明らかだった。彼らは敗戦の荒廃から世界の経済大国にまで発展した日本の原動力が、人材にあることを痛切に学んだようだ。特に、若いイラク人男性には、日本人の勤勉さと折り目正しさが強烈なインパクトを与えたようだ。彼らの目には、日本で目の当たりにした人材の威力を、何とかイラクの同胞にも伝えて、自国の復興・発展のために努力しようという決意がみなぎっていた。
 また第1回招聘で来日した女性たちは、当初は宗教指導者や内科部長という社会的地位の高いイラク人男性に遠慮がちな面も見られたが、日がたつにつれて日本社会に溶け込み、男性に対する遠慮は影をひそめていった。第2回招聘は、女性が主役だったため、また男性は息子の年齢ほど若かったため、初めから男性に対する遠慮などなく、堂々としたものだった。イラク人女性は、男性の前では一応遠慮してみせるが、男性のいない場面では羽目を外すという事実もわかって興味深かった。
 さらに、伊勢神宮参拝の際に、イスラム教の宗教指導者が宮司の説明を聞きながら神道式の礼拝を行っていたのには驚かされた。伊勢神宮というのは神聖な場所として宗教の違いを超えてイラク人の心に響いたことが明らかだった。2人の宗教指導者がだれから促されるともなく、清らかな水の流れに誘われるように五十鈴川のほとりへ赴き、手と顔を清めていたのは、何か不思議な力さえ感じた。やはり、何か宗教には共通する神秘な力があると確信せざるを得ない瞬間だった。
 
2)パレスチナ人招聘
 バッセム・イード氏は、パレスチナでもアラファト批判で知られた人物だ。アラファト議長が健在の頃から、パレスチナ和平は武装闘争では実現しないことを説き、対話の必要性を説き続けてきた。またパレスチナ自治政府内部の腐敗を糾弾し、私服を肥やす高官の排除を繰り返し求めてきた。
 そのイード氏の来日1週間前にアラファト議長が死去するという事態が発生した。同議長の死は、パレスチナ国家樹立に向けての最初で最後のチャンスというのがイード氏の見方だ。イード氏は、アラファト議長がパレスチナ問題を国際社会に認知させた歴史的功績はもちろん評価するが、オスロ合意が実現されなかったのも、まさにアラファト議長が障害となっていたと見る。
 イード氏は、在京イスラム諸国大使館やジャーナリストとの意見交換会の場で、アラファト議長が、国際社会から寄贈される援助を私物化して、何千億という大金をパリに住む妻に送っていたが、パレスチナ住民のためには学校一つ作らなかったことを強調した。また、暴力と報復の連鎖は双方に犠牲者と遺族を増やすだけで、何の解決にもつながらない。パレスチナ、イスラエル双方が冷静な対話により和平への障害を一つずつ取り除いていくしかないことを繰り返し主張した。
 今回の来日時に、パレスチナ自治政府におけるアラファト議長の後継者としてイード氏が評価していたのは、アブ・マーゼン(マフムード・アッバス)であるが、2005年1月の選挙では実際アッバス氏が自治政府長官に選出され、2月8日にはエジプトのシャルムエルシェイクで歴史的なアッバス・シャロン会談が開催され、パレスチナ情勢は一気に和平へ向けて動き始めた。







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