2004年11月号 東亜
胡錦濤は科学発展観で独自色
慶應義塾大学教授
小島朋之
十月一日、中国は建国五十五周年の国慶節を祝った。引退した江沢民の動静は、十月に入っても公式報道に登場する。しかし、報道では中央軍事委員会主席を引き継いだ胡錦濤総書記が「党政軍の指導権を全面的に掌握した」事実を繰り返し確認する記事が目立つようになった。中でも、胡総書記が自ら提起した「科学発展観」が賞賛されるとともに、その学習が強調されるのである。
ただし、胡錦濤政権の独自色が政策として定着するまでには、なお時間が必要である。日中関係の改善についても、胡錦濤政権はその意思があるが、本格化するまでにはいたっていない。本格化するには、日本側の具体的な対応も要請される。
本稿では以下において、江沢民から胡錦濤への中央軍委主席の交替が決定された党第十六期四中全会(第四回中央委員会全体会議)以後の政局の動きとともに、日中関係について検討しておこう。
江沢民引退は広く歓迎された
九月十九日に閉幕した党第十六期四中全会は、党中央軍事委員会の江沢民主席が辞任し、代わって胡錦濤総書記が就任することを決定した。この決定は「中国の第四世代指導者が党政軍の指導権を全面的に掌握したことを明示し」、「このニュースが発表されると、国内外で熱烈な反響を巻き起こし、世論から広く歓迎されている」と報じられる1。
たしかに、これで第三世代から第四世代への権力の世代交替が形式的には全面的に実現したのであろう。一九四九年の建国以来、はじめて権力の世代交替が混乱なく実現したことになる。第一世代の毛沢東は第二世代の劉少奇や林彪を後継者に選びながら、結局は切り捨てた。第二世代の 小平も胡耀邦や趙紫陽を後継者候補にしながら、見捨ててしまい、江沢民を後継者として抜擢しなければならなかった。第三世代の江沢民は 小平による指名であったが、予定通りに第四世代の胡錦濤に権力を移譲したのである。
四中全会の翌日、九月二十日に開かれた中央軍事委員会拡大会議は、軍委主席の交替を軍隊に向けて告知することになった。その報道は「江沢民同志」を序列第一位に、「総書記、国家主席、中央軍委主席」の胡錦濤を第二位に配置し、円滑な交替をアピールするとともに、自主的な引退を決断した江沢民に配慮した2。
江沢民への配慮はさらに、彼が提起した「“三個代表”重要思想」を「マルクス主義を中国化した最新の成果」、「全党、全軍、全国各民族人民の団結奮闘の共同思想の基礎」、「全面的な小康社会建設という広大な目標を実現する根本的指針」であり、「われわれが長期にわたって堅持しなければならない指導思想」として称賛する報道にもみられる3。江沢民の「国防と軍隊建設」に果たした「卓越した功績」も称賛され、さらには「幹部隊列、とくに高級レベルの指導者の新旧交替の実現に向けて多くの工作を行い、多くの重要思想を提出して、執政党建設の理論を豊かにするとともに発展させた」ことも「長治久安の重要な保証」として高く評価されるのである4。
そして江沢民への配慮は十月に入っても、なお報道される。九月に揮毫したチベットの「チョモランマ山国家級自然保護区」の石碑の除幕式が報じされ、さらには引退したにもかかわらず訪中したフランスのシラク大統領と上海で非公式に会食したことも報じられる5。
1 「社論:政通人和胡錦濤全面掌権」『澳門日報』二〇〇四年九月二十一日。
2 「江沢民胡錦濤出席中央軍委拡大会議」『人民日報』二〇〇四年九月二十一日。
3 「『三個代表』重要思想是我們必須長期堅持的指導思想」『人民日報』二〇〇四年九月二十三日。
4 「全軍和武警部隊広大官兵賛揚江沢民同志的卓越功績」『人民日報』二〇〇四年九月二十三日、「与時倶進砺精兵」『人民日報』二〇〇四年九月二十八日および「長治久安的重要保証」『人民日報』二〇〇四年九月三十日。
5 「西蔵隆重挙行珠峰自然保護区立碑掲幕儀式」『人民日報』二〇〇四年十月八日および『東京新聞』二〇〇四年十月十三日。
科学発展観は胡錦濤思想化?
しかしながら、公式報道の主流は胡錦濤が「党政軍の指導権を全面的に掌握したことを明示し」、「世論から広く歓迎されている」ことを強調するのである。九月二十五日には軍委主席に就任後はじめて将官の昇格式を挙行し、上将への昇格命令書を手渡した。昇格したのは四中全会で中央軍事委員会委員に新たに任命された海軍の張定発司令員と、第二砲兵部隊の靖志遠司令員であった1。九月二十九日には全軍司令部建設会議の代表と会見し、軍委主席の交替を決定した四中全会と軍委拡大会議の「精神」の学習を強調した2。
そして建国五十五周年を迎える十月一日の国慶節は、「党政軍の指導権を全面的に掌握した」胡錦濤政権のお披露目の機会となった。『人民日報』紙の国慶節社説は、胡錦濤主席が自ら提起した「科学発展観」を強調するとともに、「胡錦濤同志を総書記とする」共産党の「領導核心」としての役割を強調した3。
「われわれは人間本位(以人為本)で、全面的で協調的かつ持続発展可能な科学発展観を真剣に樹立し、さらに社会主義物質文明、政治文明と精神文明の協調的発展の推進を自覚的に堅持し、経済社会発展の基礎のうえに人間の全面的な発展を促進することを堅持し、人間と自然の調和を促進することを堅持しなければならない。われわれは改革、発展と安定の関係を正しく処理し、大衆工作をしっかりやり抜き、社会安定の維持を徹底しなければならない。・・・われわれは党の執政能力の建設を強化し、われわれの党を中国的特色をもった社会主義建設の歴史の中で終始一貫して堅固な領導核心とし、全国人民を率いて国家富強、民族振興、社会調和、人民幸福を実現しなければならない」。
国慶節前夜の祝賀会で、温家宝総理も「発展には新しい考え方が必要だ」として、「科学発展観を樹立し、定着させなければならない」と指摘した4。
「発展には新しい考え方が必要だ。科学発展観を樹立し、定着させなければならず、“五つの全般的配慮”を堅持し、新しい工業化の道を歩み、経済社会の全面的で協調的かつ持続可能な発展を実現し、人間本位を堅持し、人民の多方面な要求を不断に満たし、人間の全面的発展を促進しなければならない」。
胡錦濤主席も十月一日に北京で開催された祝賀活動に参加し、「科学発展観の樹立と定着」展覧を参観して、「科学発展観は新しい情勢の下での発展問題に対するわれわれの党による認識の深化であり、また新中国成立以来、とくにわれわれの党が人民を率いて発展に向けた長期の実践を推進してきた経験の総括である」として、自画自賛するのである5。
「科学発展観」の基本的発想は、二〇〇三年十月の第十六期三中全会で採択された「社会主義市場経済体制の若干の問題の完備にかんする党中央の決定」に見られる。「決定」は、「あくまで人間本位であり、全面的で協調的かつ持続可能な発展観を樹立し、経済・社会と人の全面的な発展を促進する」ことを強調するとともに、「五つの全般的配慮(五個統籌)」を指摘していた。「都市と農村の発展の全般的配慮、区域発展の全般的配慮、経済と社会の発展の全般的配慮、人と自然の調和のとれた発展の全般的配慮、国内の発展と対外開放の要求の全般的配慮」がそれである6。
「決定」が提起した「発展観」を、胡錦濤総書記は二〇〇四年三月十日の中央人口資源環境工作座談会で「科学発展観」と言い換えて、自らの新しい指導思想として提唱することになる7。「科学発展観」には、江沢民時代の高度成長路線から「以人為本」の均衡発展への軌道修正が含意されているといってよい。胡総書記は「科学発展観」の樹立を提唱し、これに沿った政策の提起を指示し、「科学発展観」の学習キャンペーンもはじまったのである。
しかも、三月以前にすでに二月二十一日に、温家宝総理が「科学発展観」の樹立を指示していた。温総理は党中央主催の省・部クラス責任者が参加する「科学発展観を樹立し、定着させる」ことをテーマとした特別研究班の終業式に出席し、「認識を高め、思想を統一して、科学発展観をしっかりと樹立し、真剣に定着させよう」と題する長編の報告を行っていた8。特別研究班には三十一の一級行政区の最高指導者および党中央機関、国家機関や軍隊の主要責任者が参加し、六日間にわたって学習した。それゆえに、この研究班の組織化は、「科学発展観」の「宣誓動員」工作であるといわれたのである9。
1 「中央軍委挙行晋昇上将軍銜式」『解放軍報』二〇〇四年九月二十六日。
2 「深入学習貫徹十六届四中全会和軍委拡大会議精神」『解放軍報』二〇〇四年九月三十日。
3 「社論:祝福、偉大的祖国」『人民日報』二〇〇四年十月一日。
4 温家宝「在慶祝中華人民共和国成立五十五周年招待会上的講話」『人民日報』二〇〇四年十月一日。
5 「首都挙行盛大遊園活動」『人民日報』二〇〇四年十月二日。
6 「中共十六届三中全会在京挙行」『人民日報』二〇〇三年十月十五日および「征求対中共中央関於完善社会主義市場経済体制若干問題的決定和関於修改憲法部分内容的建議的意見」『人民日報』二〇〇三年十月十七日。
7 「認真落実科学発展観的要求」『人民日報』二〇〇四年三月十一日。
8 「提高認識、統一思想、牢固樹立和真落実科学発展観」『人民日報』二〇〇四年二月二十二日。
9 柴米「科学的な発展観は中国の新しい発展戦略」『北京週報』二〇〇四年第十三号。
対日関係改善に意欲はあるが
胡錦濤体制が固まりつつあるとはいえ、経済の高度成長路線が一気に軌道修正され、「党の執政能力建設の強化」が促進され、政治体制改革が急展開されるというわけにはいかない。転換にはなお時間の経過が必要である。時間の経過が必要なのは、日中関係にもあてはまりそうだ。
胡錦濤政権は「全面的小康社会の建設」を目指し、そのための経済の持続可能な発展に不可欠な日本の協力を確保する必要がある。また東アジア地域を重点に据えた周辺協調外交にも、中国とともに地域大国である日本との協力が不可欠である。ところが、両国関係は経済の相互補完については構造化するほどに進展しているが、政治的にはいぜんとして冷却化したままで、「政冷経熱」といわれるのである。
たとえば十月八日から九日に第五回ASEM(アジア・欧州)サミットがハノイで開催されたが、日中の総理会談は立ち話だけで終わってしまった。こうした日中首脳交流の中断状況に対して、NEAT(東アジア・シンクタンク・ネットワーク)の調停委員を務める外交学院の呉建民院長は、日中首脳の交流中断が各国のNEAT代表の間に「東アジア共同体プロセスに悪影響を生むことを懸念していた」ことを指摘するのである1。
それでも胡錦濤政権は対日関係を重視し、関係の早期改善を期待している。胡錦濤主席は九月二十二日に衆議院の河野議長と会見し、「歴史を鑑とし未来に向かう」との江沢民時代の常套句に言及しつつも、「中国政府は中日関係を高度に重視し」、「戦略的な視点と代々の友好という角度から、中日関係の発展を認識し、積極的に推し進めている」と表明していたのである2。
「中国政府は中日関係を高度に重視し、終始一貫して戦略的な視点と代々の友好という角度から、中日関係の発展を認識するとともに、積極的に推し進めている。中日双方が“歴史を鑑として未来に向かう”ことを堅持し、『中日共同声明』など三つの政治文書の原則と精神を遵守し、長期的な着眼点、大局的な問題処理、交流深化、協力拡大をしていけば、必ず中日関係の健全で安定的で深化した発展を実現でき、中日の善隣友好協力のさらに麗しい未来を共同で創造できる」。
しかし、共産党独裁とはいえ、胡錦濤政権が「親民」路線を強調するように、民意を無視した統治はますます難しくなっている。今夏のサッカーのアジア・カップでの一部民衆の反日騒動は、その象徴とも言える。愛国主義教育が若い世代に反日感情を植え付け、歴史問題を対日関係のカードとしてきたことが反日行動に免罪符を与えてしまい、政権が効果的に対処できないのである。
対日批判、反日傾向はそう簡単に消えることはなさそうである。
日中韓三カ国による国際シンポジウムが十月十日から十一日に北京で開催され、私も招待されて参加した3。
会議は中国側が中国社会科学院日本研究所と東亜和平与発展戦略フォーラム、韓国側が東北アジア共同体研究院、そして日本側が平和・安全保障研究所の共催であった。東アジア地域では協力・統合への動きが本格化し、東南アジアでは二〇二〇年までの統合プランがすでに合意されている。しかし北東アジアでは協力への枠組みがまだ形成されず、とくに安全保障面の協力枠組みはほとんど手付かずである。こうした認識から、この会議のテーマは、北東アジアに絞った地域安全保障の新秩序の構築に向けた「協力・共生」であった。
二日間の議論の中には、協力を促進できそうな認識や提案などが見られた。たとえば中国側の軍関係者からは、なお日米安保に対する警戒を取り下げないが、米国の「東亜における軍事的プレゼンスは歴史的な事実であり、米国と東亜の多くの国々との間には二国間安全保障措置が存在し、東亜の安全保障に一定の安定的役割を果たしてきた」との認識が明らかにされた。韓国側からは、北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議で日中韓の協力が積み重ねられており、これを今後の安全保障秩序を構築する際の出発点とすべしとの提案があった。
しかし、「協力・共生」に不可欠な前提は「相互信頼」であるが、これが北東アジアにおいてはきわめて難しい。歴史問題への認識の相違が、三カ国の間に重くのしかかっているからだ。中国が国家目標として掲げる「中華民族の偉大な復興」が中華帝国による支配という歴史的記憶から周辺国に対中懸念を抱かせているとの忠告に対して、中国側からは「偉大な」を削除すれば脅威論は取り除かれるといった短絡的な反応が返ってくる。中国側はまた相変わらず、「侵略を“進入”と書き換えた」といった事実誤認にもとづいて「日本がいまもって歴史問題を深刻に反省していない」と批判するのである。
十月十四日に党中央と国務院は共同で「大学生の思想政治教育をさらに強化・改善することにかんする意見」を全国に通達した。「意見」は、全国二千万人の大学生に対する思想政治教育の強化を「重大で緊迫した戦略的任務」と位置付けている4。
思想政治教育の「主要任務」として、「理想信念教育を核心」とするとともに、「愛国主義教育を重点として、民族精神教育を発揚するとともに育成する」ことを強調した。そのために、博物館、記念館、展覧館、烈士墓地など「愛国主義教育基地」への大学生の集団参観を無料とすることも指示されている。
愛国主義教育が共産党の栄光の実績を若い世代に浸透させることを目的とし、したがって日中戦争の歴史が教育の中心になるかぎり、反日感情を助長することは避けられない。しかし過度の反日を避けるべく、今年の愛国主義教育では重点を日中戦争から国共内戦や近代史などに拡大する意図がみられたことも事実である5。そして、この傾向がなおつづいていることも事実である。
党中央と国務院は大学生に対する「思想政治教育」とともに、「未成年の思想道徳建設をさらに強化・改善することにかんする意見」を通達していた。この「意見」の実践に向けて愛国主義を「核心」とする「偉大な民族精神」を発揚するために、党中央宣伝部や国務院の教育部などは「愛国主義教育」の映画、歌曲、図書それぞれ百編を推薦指定した。いずれについても日中戦争関連はきわめて少ないのである6。
1 「建立東亜共同体成共識」『人民日報』二〇〇四年十月十四日。
2 「胡錦濤会見日本衆院議長」『人民日報』二〇〇四年九月二十三日。
3 「為東亜和平繁栄献策」『人民日報』二〇〇四年十月十四日。
4 「中共中央国務院発出『関於進一歩加強和改進大学生思想政治教育的意見』」『人民日報』二〇〇四年十月十五日および「中宣部、教育部、団中央負責同志記者問」『人民日報』二〇〇四年十月十六日。
5 拙稿「中国の動向」『東亜』二〇〇四年八月号四十二−四十三頁を参照されたい。
6 「中宣部等七部門向社会推薦『三個一百』」『人民日報』二〇〇四年十月一日および「愛国主義教育“三個一百”名単」『人民日報』二〇〇四年十月一日。
●9月の動向日誌
9月1日
*北京日本人学校に脱北者とみられる二十九人が駆け込む。*温家宝総理、現職の何厚 氏をマカオ特別行政区第二代行長官に任命。
3日
*第三回アジア政党国際会議が北京で開幕。アジア三十四カ国から約八十の政党・政治組織が参加。
7日
*中国共産党政治局会議開催。十六期四中全会は16日から四日間開催と決定。
*アテネ五輪金メダリストの中国選手五十人、香港訪問。12日の立法会(議会)選挙に向けたムード作りの一環か?
10日
*李長春・政治局常務委員を団長とする中国共産党・政府代表団が訪朝。12日、平壌で金正日総書記と会談。*王毅・駐日大使が着任。
12日
*香港特別行政区立法会(議会)選挙投票日。親中派が引き続き過半数。民主党、第三党に転落。
15日
*全国人民代表大会創設五十周年記念行事、北京で開催。
16日
*十六期四中全会が開幕。19日閉幕。江沢民・中央軍事委員会主席の辞任を承認。後任に胡錦濤副主席が昇格。党の執政能力強化に関する決議を採択。
*国連総会総務委員会、台湾の国連加盟提案を総会の議題とすることを拒否。
18日
*満州事変(中国側呼称「九・一八事変」)七十三周年。各地で記念活動。
20日
*高級理論誌、「戦略と管理」が停刊処分。北朝鮮を激しく批判する論文掲載で。*河野洋平衆議院議長が訪中。呉邦国全人代委員長と会談。*中国共産党中央軍事委員会拡大会議開催。江沢民前主席、胡錦濤主席が出席。
25日
*解放軍、河南省で軍事演習「鉄拳二〇〇四」を実施。ASEAN、上海協力機構等十六カ国の軍事視察員、将校が見学。
27日
*李肇星外交部長、国連総会で演説。安全保障理事会拡大問題は発展途上国を優先すべきとの考えを示す。
28日
*ニューヨーク・タイムズ北京支局の中国人スタッフ、公安当局に拘束。江沢民前国家主席の中央軍事委主席辞任を公式発表前に報じ、国家機密漏洩の疑い。孔泉、外交部報道局長が確認。
小島朋之(こじま ともゆき)
1943年生まれ。
慶応義塾大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院修了。
京都産業大学教授を経て現在、慶應義塾大学教授。同大学総合政策学部長。
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